8月の上旬あたりから、30代(後半)男性の物語を書いているのだけど、どうにも行き詰っている。そんなことで悩む人はほぼいないとは思うが、30代男の物語を書くときに困ることを備忘録代わりに残しておく。
小説の優位性は、内面描写にある(と思う)。映画やマンガ等、ヴィジュアライズされた表現では、役者あるいは主人公の内面を、独白、あるいは演技によって表現するが、小説ではダイレクトに「おれはこう思った」と書ける。
が、だ。
一般的な30代男性が思うであろうことを、そのまま書くとちょっと困ったことになる。
「パチ屋の横に座った女がたまらん肉体をしており、スロットどころではなくなってしまった」
……これはほとんど犯罪者である。
あるいは、内面描写ではなく、ダイアローグ(会話)でもそう。
「ああ、1回でいいからAV女優とやりたいな」
「でもさあ、元芸能人っていうだけで、売れる時代は終わったと思わねえ?」
「けけけ」
白昼堂々こんな会話をしてるオッサンが、どのような(物語的)冒険ができるだろう?
これが高校生だったら違う。
「なあ、レン」羽生は言った。「隣のクラスの小峰さん、やばくね?」
「何が?」
「あの足。どこまで伸びるんだろうな」
「フランスじゃね?」
「フランスか。いいな。ああ、一回やりてえな」
「お願いすれば」
「エッフェル塔どうですかって?」
「くっくっく」
高校生もオッサンも考えていることは同じなのだ。が、内面は同じでも、外見が違う。バカはバカでも、高校生は明るい。物語の中の完全な愛は、完全な勃起が支えている。が、30代男性のリアルは違う。たとえば愛を交わすシーンでも、飲みすぎてタタなかったりする。あるいは、中折れしてしまったり。これでは、うまく物語が進まない。
高校生が酒に酔っ払うと、(現実では法律違反であるがゆえに)反抗精神の現れであったり、非日常感の提示、スピード感という演出にもなる。が、中年男性が酒に酔うと、寝てしまう(ちーん)。
物語で一番大切なのは、読者をひきこむリアリティである(と信じている)が、そのリアリティが、一々むなしい。30代の男の哀しさはここに尽きる。
ということで、物語は、いかに30代(後半)男性が主人公であることが難しいか、という愚痴を主人公がこぼしているうちに、原稿用紙100枚を超えてしまった。困った。どうやったら収集がつくのだろうか。
つづく