ぼくは明らかに、重度の「目標」依存を抱えている。何か目標がないと、うまく息を吸うことができないのだ。
ぼくが三十有余年の人生で達成した最も大きな成果は、「死と再生」である。それはたとえば、ギャンブルで貯金全額を失うからの復活だったり、女の子とうまくいったりいかなかったりだったり、職場解雇からのスロ小説家デビューだったりする。
が、後悔のそばには、いつもあいつがいる。あいつ。酒だ。
「今夜、すべてのバーで」という小説の中で、中島らもはこう書いている。
現役のアル中であるおれに言わせれば、アル中になる、ならないには次の大前提がある。
つまり、アルコールが「必要か」「不必要か」ということだ。よく、「酒の好きな人がアル中になる」といった見方をする人がいるが、これは当を得ていない。アル中の問題は、基本的には「好き嫌い」の問題ではない。
酒の味を食事とともに楽しみ、精神のほどよいほぐれ具合いを良しとする人にアル中は少い。そういう人たちは酒を「好き」ではあるけれど、アル中にはめったにならない。
アル中になるのは、酒を「道具」として考える人間だ。おれもまさにそうだった。この世からどこか別の所へ運ばれていくためのツール、薬理としてのアルコールを選んだ人間がアル中になる。
肉体と精神の鎮痛、麻痺、酩酊《めいてい》を渇望する者、そしてそれらの帰結として「死後の不感無覚」を夢見る者、彼等がアル中になる。これはすべてのアディクト(中毒、依存症)に共通して言えることだ。続きを読む