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読書とは、目線の移動であり、目線が移動するところに、感情の移動があり、感情が移動するところに、変化が起きる。これは、何かに似てはいないだろうか。そう、スロットに。

スロットと同じように、読書は、自分が何かものすごく強くなったような気分、自分が何かものすごく弱くなった気分、が行き来する。そしてこれは、旅行をしているときの気分とも一致する。月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり、松尾芭蕉。あるいは時間も、同じような性質があるのかもしれない。

一昨日から、「時間は存在しない」(カルロ・ロヴェッリ 冨永星訳)という、理論物理学者が書いたエッセイを読んでいる。

「現実」とは何か? 何が「存在」しているのか?

「この問いは間違っている」というのがその答えだ、と著者は言う。なぜなら「現実」という言葉は曖昧で、意味がたくさんあるからだ。「存在」という言葉に至っては、さらに多くの意味がある。

現代のほとんどの言語では、動詞に「過去」「現在」「未来」の活用がある。だがこのような語法は、この世界の現実の時間構造について語るには不向きなのだ。なぜなら現実は、もっと複雑だから。

この本の結論としては、時間は存在しない、ということが語られるのだろう。そういうタイトルなのだから。まあ、それはそれとして、では、実際、時間は、どうして必要なんだろうか。

たとえば、ですよ。ひとりで生きていたら、時間というのはあんまり必要がない。眠くなったら眠り、目が覚めたら起き、腹が減ったら食べればいいわけで、時間なんて、最優先事項でもなんでもない。時間が必要になるのは、誰か、自分以外の人がいるときだ。

自分以外の人と何か共有する必要があるとき、時間ははじめて時間として存在意義が与えられる。一日の「日」が太陽を意味すること。ひと月の「月」が月であることには、理由がある。

昔の人は、太陽の上昇と下降、または月の満ち欠けで、時間を把握していた。そして約束は、太陽が何回上ったか、あるいは月の形で、実行された。しかし、もっともっと細かい約束が必要になり、時計が発明された。しかし、時計が普及し始めた頃は、各都市で、あるいは各家庭で、個人個人で刻まれる時間が違っていた。おんなじのを作ろうぜ、と言い出したのはアメリカの大統領であり、1889年、アメリカにて、統一の時間をつくる会議が開かれた。爾来、マイナーチェンジはあったものの、我々は基本的に、単一の単位、時計を使用して、世界のどこであっても等しい時間で暮らしている。

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さて、読書の旅の3日目をむかえました。今日は、111ページから156ページという区間ですね。んん、だんだん難しくなってきた。地上から雲を見上げていたときは、雲の形がはっきり見えていたのに、雲に近づけば近づくほど、なぜか薄もやのようなものに覆われて、雲の姿が見えなくなってしまった、そんな感じ。

ということは、ぼくは今、雲のなかにいるのだろう。

もしかしたら、難しいと感じることは、その対象に近づきすぎているから、難しいと感じているだけなのかもしれない。雲のなかから、雲の形を判別することができないように。

ということは、ぼくは今、この本の核心に迫っているのかもしれない。難しいことを、それでも作者が書かなければいけない理由は、おそらく二つある。作者の自己満足であるか、あるいは、本当に大切なことである。以下、少し長いが、本文から引用する。

ここでもっとも雄大かつ明白な現象である天空の回転について考えてみよう。この現象は、わたしたちを取り囲む宇宙のもっとも壮大で直接的な特徴である。天空は回っている。それにしても、この回転はほんとうにこの宇宙の特徴なのか。じつは違う。何千年もの時間を要しはしたが、ついにわたしたちは天空の回転を理解した。回っているのは宇宙でなく、自分たちであることがわかったのだ。天空が回転しているように見えるのは、地球上のわたしたちが特殊な動き方をしており、そのせいで視野に影響が生じているからで、宇宙の力学に不思議な性質があるからではない。
 時間の矢についても、同じことがいえるのだろう。


ぼくたちが打っているスロットは、レバーを叩くと、リールが回り出す。が、本当はリールが回っているのではなく、ぼくたちが回っている。そんなことがあるのだろうか?

おそらく、あるのだろう。たとえば、「ぼく」という言葉。この一人称は、文章を書いている寿という人間が、自分のことを指し示す際のシンボルとして、書き、また機能している(と信じるものである)が、別の人が「ぼく」という言葉を使うことも、もちろん可能であり、しかしその時、ぼくとぼくが使うときの「ぼく」は一切関係がない。必要もなければ、関わり合いもない。

ぼくという言葉は、ぼくが使うときだけ、意味を持つ。時間というのも、これと同じことなのではないか。

スロットにおける確率論。たとえば、GODシリーズのGOD揃いことプレミアムゴッドゲームは、1/8192の確率で訪れるが、すべての人が1/8192で引けるとは限らない。1ゲーム目に引ける人もいれば、何万ゲームも引けない人もいる。要するに、揺らぐ。しかし、GODシリーズを打ったことがない人は、GODは揃わなければ、揺らぎもしない。時間とはそういうものではないか。

というのが、ここまでこの本を読んできたぼくの感想なのだが、あっという間に156ページがやってきてしまった。あかん。完全に興奮している。続きを読みたいのを我慢して、明日につなぐことにしよう。

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