書くこと、賭けること

書くことを賭ける。賭けることを書く。とどのつまりは遊び。Life is the gambling you know?

「寿という言葉は経験による人の円熟という意味に使われていた」
「成功は、遂行された計画ではない。何かが熟して実を結ぶ事だ。其処には、どうしても円熟という言葉で現さねばならぬものがある。何かが熟して生れて来なければ、人間は何も生むことは出来ない」

小林秀雄「考えるヒント」より

遺言

ストックのため方


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古事記では、イザナキが、オレのカラダの一部にはちょっち余ってるとこがある、というようなことを言い、イザナミが、ワタシのカラダの一部にはちょっち足りないとこがある、というようなことを言い、当然シモネタであるわけで、イザナキとイザナミはまぐわい、まず最初に生まれたのが、淡路島(兵庫県淡路市、洲本市、南あわじ市)でありました。

次に、四国が、隠岐(島根県隠岐郡)が、九州が、壱岐(長崎県壱岐市)が、対馬(長崎県対馬市)が、佐渡(新潟県佐渡市)が生まれ、最後に本州が生まれる。それぞれ島の大きさはまったく違うが、ともあれ、これが国産みである。

ポップミュージックで、日本語と英語を混ぜ始めたのは、おそらくサザンの桑田佳祐で(あるいはその時代の誰かで)、それ以後、日本のミュージシャンは、日本語と英語を混ぜた歌詞を歌うようになった。無論、この現象自体、母なる「やまとことば」と、父なる「漢字」を混ぜ合わせ、書き言葉としての日本語を成立させた、奈良/平安時代を無意識的に模倣しているのだが、ぼくがすべきことも、何かと何かを混ぜることである、とそう言い切ってしまっていいと思う。

ところで、ぼくはどうしてこの書物を手に取ったのだろうか? 期待値を追うことをエナ乞食と揶揄されることがあるからだろうか(同音異義語)。

ぼくが古事記を手に取ったのは、今年亡くなった二人の文人の影響が大きかったのかもしれないと、今、文章を書きながら思う。二人とは、小説家の橋本治さんであり、日本文学者のドナルド・キーンさんである。もちろん勘違いの賜物だろう。ただ、ドナルド・キーンがぼくのために言葉を遺し、橋本治がぼくのために小説を書いたのだという勘違いは、他人はどうあれ、ぼくにとって大きな意味を持つ。

人間、何が感動するといって、誰かの行為が、自ら(エゴ)のためではなく、誰かのためにそれをしたのだ、ということを知ったときではないか? その最上級は、誰かが自分のためだけに「贈り物」を届けてくれたということに気づいた瞬間のはずだ。「これはあなたのために作ったんだよ」と書いてあるわけではない。感動は、知らされるのではなく、悟るものなのだ。その瞬間、あなたはこの世界に存在してもいい理由を得る。本当に一瞬で。

古事記では、この国がどう作られたかが語られる。そこにはさまざまな神のさまざまなエピソードが書かれている。ここで重要なのは、その方法や物語の種類ではない。あなたが生まれるために、さまざまな物語があったのだ、という理解である。

さまざまな神が集まれば、そりゃさまざまなことが起きる。一人の人間の短い人生ですら、嫌われたり好かれたりを繰り返すのものである。人の間と書いて人間。延々メインストリームに乗っていられる(あるいはマジョリティでいられる)人間は、(ほぼ)いない。争いや、いざこざは、その時々であっただろう。攻める方、攻められる方、滅ぼす方、滅ぼされる方、富めるもの、貧するもの、その時々で、ご先祖様の立場や環境は違っただろう。だけど、少なくとも一つ言えることは、どんな立場に追いやられたとしても、生き残ったということだ。

今そばにいても、いなくても、あなたには両親がいて、両親にはそれぞれ両親がいて、それぞれの両親にはそれぞれの両親がいて、ずっとずっと、古代の向こうまで連綿と続いている二重螺旋。ことばよりも、文化よりも、国よりもずっとずっと長くて深いつながり。

あなたは一人じゃない。それが古事記に書かれていることだった。

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スロッターのゴールを考えてみよう。


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何かを表現したいってなんだろう

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2013年。
当時62歳の高橋源一郎(高橋さんは1951年1月1日生まれ)が、こんなことを書いている。

 都築響一さんの『ヒップホップの詩人たち』を呼んでいて(読んでなくても、だけど)、こんなことを思った。
 ぼくがいま十八だとして、いや、十八じゃなくってもいい、十六でも十四でも、とにかく、それぐらいの年齢で、なにをやりたいだろうか、って考えると、ヒップホップじゃないかと思うんだ。正確にいうと、ヒップホップという文化の中の、言語表現としてのラップじゃないかな、って。
 とりあえず、現実のぼくは、十八の時(正確には十四ぐらいから)、「なにかを書く」人になりたい、って思ってた。「なにかを書く」って、なんか抽象的って、思えるかもしれないけど、十四とか十六とか十八じゃあ、そんなものだよ。

~中略~

 その頃、「詩を書く」ことは、すごくカッコいいことだった。

~中略~

 大切なのは、「詩を書くこと」じゃなくって、「そのグループに属すること」だった。そして、そのことによって、「向こう側」に行ってしまうことだった。
「向こう側」があるってことは、「こっち側」もあるってことだね。
「こっち側」っていうのは、「退屈な日常」とか、「学校」や「家」のことで、「こっち側」に満足してるやつは、どうしようもないアホウだって思ってた。とはいっても、そう簡単に「向こう側」に行けるわけじゃない。


14、5、6、7、8(じゅうしごろくしちはち)歳のぼくも、同じようなことを考えていた。どうにかして、「向こう側」に行けないものか、と画策していた。その考えを行動に移したのは、16歳の冬で、ぼくは、いや、ぼくたちは、バンドを結成したのだった。ギターのやつが作る曲に合わせて、詩を書いて歌った。ビジュアル系っぽい感じのバンドだったが、歌ってる本人としては、MURO(マイクロフォンペイジャーのムロです)とか聴いてるし、というスタンスでいた。グレイとか黒夢とかラルクだけを聴いてるわけじゃなくて、電気グルーヴも好きだし、何なら、ドヴォルザークもシベリウスも好きだよ、と。ジャンルというものを、そんなに重視してなかったんだと思う。今をときめくPUNPEEも、ビジュアル系のバンドでベースを弾いていた時代があったらしいし、それはそれとして、どうして、ぼくは、詩を書いたり、歌を歌う、みたいなことをしたかったんだろう? これはさっき書いたな。「向こう側」に行きたかったからだ。

たぶん、14、5、6、7、8歳のぼくは、「これじゃない感」に全身が押し潰されそうで、息苦しくて、どうにかして、「これ、これこそがおれ」と言えるものを見つけたかったんだと思う。高橋源一郎の言う「向こう側」に行くためには、どんな手を使ってでも、「これ」を見つけなければいけないのだ、と。でも、ぼくにとってバンドは、「向こう側」に行くためのチケットではなかった。高校三年生。バンドメンバーたちが受験モードに入る頃、ぼくはパチ屋に入り浸っていた。ぼくたちの音楽活動は、何も残すことができずに終焉を迎えたのだ。

が、ここではないどこかを探す衝動は、止められない。泳いでいないと窒息して死んでしまう魚類みたいに?

次なる「これ」が見つかったのは、その何年か後のことで、ぼくは、原宿にオフィスを構える芸能事務所っぽいところにいた。これは、割とすぐにカタチになった。5つの在京キー局、それからNHKでも(エキストラ、もしくは端役、あるいはヴァラエティ番組のやらせ要員というような、より厳密に言うと、テレビ局に委託された制作会社の)仕事をして、お金をもらった。映画にも出たし、Vシネマにも出た。どこかのクレジットカード会社の南太平洋地区だかのCMの撮影にも参加した。円谷プロの人と共にキャラクターショーにも出演した。劇団の一員となって、舞台に2本立った。2年ちょっとの間に、だ。

でも、役者も「これ」ではなかった。ついぞ、「向こう側」には行けなかった。

音楽に関しては、若かった分、未練のようなものがまだ体内のどこかに残っている感じがするが、役者に関しては、思い残すことは何もない。というのも、作家になって、自作の映画化権の交渉の際に、作者を使うこと、という条項をつけることができれば、演技のクオリティはともあれ、役者ごっこはできるだろう、という、ゲスいことを思いついたからだ。

本当に、ゲスい人間なんだろう。音楽にしても、映画にしても、小説にしても、人間の生活に必要不可欠のものではない。でも、その、必要不可欠のものではないものを媒介にして、「向こう側」に行きたいという気持ちが消えない。「こっち側」の生活がままならないのに、どうにかして、「向こう側」に行きたい。

そりゃ、できれば、人のためになることがしたい。それは心からそう思うし、そう願う。でも、それは目的じゃない。ぼくの目的は、「向こう側」に行くことなのだ。

どうして、「こっち側」じゃダメなんだろう? 

今になって思うのは、「こっち側」にとどまっている限り、モテないに違いないという、信仰心にも似た強迫観念である。卵が先か、鶏が先か。「向こう側」に行くことで、モテたいという向上心なのか、「こっち側」にとどまっている限り、モテない、に違いないという危機感なのか。ともあれ、ひとつのポイントは、性なのだろう。どうしても、イキたいのだから。

できっこないをやらなくちゃ



最近、知ったこのブログ。
この、早稲田大学に通う(大学公認)ブロガーも、どうにかして向こう側に行こうと画策している人のように見える。この人にとっての「これ」は、AV男優。

このブログは、しゃおじょんさんという人が、池袋の風俗で、12万ぼったくられたところから、始まっている。

風俗レポの中で、さらっと白楽天の「長恨歌(806年)」をそらんじたり、ブログが話題になったことで、早稲田大学文学部の教務主任に呼び出されて、応援はしないけど、認めるからさ、と公認をもらったりする。彼は、本名を名乗り、所属を名乗り、AV男優を目指すと、高らかに宣言する。その様は、HIPHOP的であり、文学的でもある。

しゃおじょんさんは、ぼくが高橋源一郎さんの文章を引いたように、ブログの中で、しみけんさんの文章を引く。

今、世に出ているAV作品は「フィクション」であり「想像力の具現化」であります。ですがそれを真に受けてしまい、「負の教科書」となってしまうのが本当に残念でなりません。

僕たちは”不真面目なことを真面目に”やっているのです。人に与えられた想像力を最大限に活用し、生きる活力を生み出そうとしているのです。そう、「心が生きる」と書いて「性」なのです。



心が生きる。
そうか、エロは、心が生きるための方法なのか。

14、5、6、7、8(じゅうしごろくしちはち)歳の頃、ぼくが一番熱心に読んでいたのは、ヤンキーマンガで、それは何故かというと、一番イキイキと動いているように見えたからだ。

その中でも一番好きだったヤンキーマンガには、「スピードの向こう側」というパワーワードがあった。

性欲の向こう側には、賢者タイムがあり、スピードの向こう側には、死が待っている。それでもぼくたちは、向こう側にイキたい。今年39歳だよ? 馬鹿ですねえ。それしか言いようがない。

生れて、すみません。太宰治はこのことを言っていたのか。

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作者 寿
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ふと思う。スロ歴ってどれくらいなんだろう? 今年で20年? そんな経つ? ピーいれたいね。スロットばっか打ってるわけじゃなくて、普段は小説書いてんすよ。ちっとも売れないけどね。つうか売ってないしね。けどこのブログだと読めんすよ。フォウ!

ブログポリシー「my rights sometimes samurai!」
当ブログは、寿という人でなしが小説を書くなかで、
また、スロットを打つなかで、トレードをするなかで、
はみ出たものを一所懸命につづったものです。
基本的に毎日更新してはいますが、
毎朝グビグビ飲めるというほどあっさりした、
また、健康的な文章ではありません。
油ギトギトのラーメンというほどではないと思いますが、
胸焼け、食あたりを起こす可能性がある由、ご留意くださいますよう。

また、コメントは大歓迎です。
引用ももちろん大歓迎ですが、引用元の記事を明記していただけると幸いです。
それでは今日もはりきってまいりましょう! どこへ? チャートの世界へ。
1日1回のポチを。
血がたぎります。

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