人はみな、成功者に学べと云う。が、失敗をどう挽回すればいいのかということは教えてくれない。というのはたぶん、失敗というのは、個人差があるからだ。
幸福な家庭はすべてよく似たものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である、というのは、レフ・トルストイの小説に出てくる言葉だが、ぼくの場合、失敗の多くは、勘違いという形をとる。うかつな人間だからだろうか。ただ、失敗には、巻き込み型と、自爆型があり、勘違いという失敗のいいところは、ほとんどの場合、自己責任で済むことだ。
ということで、今日はイタリアの話をしたい。小さい頃から、イタリアの物語や、歌曲、料理に親しんできた。何といっても、極め付きはイタリア映画。ニューシネマパラダイスは人生ベスト5に入る映画だし、ライフイズビューティフルの初見は阿呆ほど泣いたし(2つの映画タイトルが英語というのが示唆的でもある)、フェデリコ・フェリーニの8 1/2はビデオテープを購入した。エンニオ・モリコーネの曲はどれを取っても魂を震わせるし、硬めラーメン好きはアルデンテのパスタと相性よし。ポルコ・ロッソ。ジョルノ・ジョバーナ。サイゼリヤ。美しきイタリアの語感(その実日本産)。いつしかぼくは、イタリアを理想の土地だと思い込んでしまった。今にして思えば、それは「ここではないどこか症候群」(a.k.a.自分探し)のひとつの青い照明に過ぎなかったのだが、ともあれ、念願叶ってイタリア半島の地(正確に言うと空港の敷地)を踏んだのは24歳だった。ミラノ・マルペンサ空港。そこで飛行機を乗り継ぎ、ローマに向かう予定だった。
とはいえ、そこは理想郷イターリアの一部。ワクワクしつつ、まずはエスプレッソでも飲もうとカフェ(BARと書いてバール)に入る。
天使が待っているんだろう、という予感はあった。しかし、レジの前に立つ中年女性は、何か文句あるんかゴルァという顔で立っていた。注文を聞くというよりも、何か変な動きを見せたら、カウンターの裏に隠してあるマシンガンで蜂の巣にしてやるというポーズにしか見えなかった。ファンタジーというよりは、マフィア映画の緊迫感である。ぼくは演技を学んでいたから、その人が表情で何を表現したいかは熟知しているつもりだった。怒。怒。怒。怒。どこをどう見ても、怒っている。彼女はいったい何に怒ってるんだ?
この瞬間、ぼくの中にあった熱は少し冷却された。飛行機を乗り継ぎ、ローマの玄関口たるレオナルド・ダヴィンチ空港に着いたのは夜だった。バスでホテルに向かい、移動疲れもあって早々に寝た。そして、翌日、ローマのローマにくりだした。ローマのローマによるローマのためのローマ。見覚えのある景色がどこまでもどこまでも広がっていた。ぼくたちが普段目にする西洋風の建築物、テーマパーク、ラブホやデパートやショッピングモール等々のオリジン(起源)。いや、実際そうなのだ。世界中にある、およそテーマパーク的要素のあるすべての建物は、この街の不出来な子分なのだ。おそらくは、テーマパークという概念自体、この街を模すことで生まれたのだろう。すべての道はローマに通ずる。ノラ猫にまで品を感じる。なるほど、ここが、ローマか。
サイトシーイングの後で、待望の買い物タイムに突入する。KTゲット。あるは、あるは、当時のぼくの感覚では、品物のクオリティに対する値段が、日本の1/2くらいに思え、期待値を前にしたハイエナのごとき目で、店から店へと徘徊した。そう、ここは職人の国でもあるのだ。再点火した熱量で、シャツ、革靴、ベルト、と購入。そのままの気分でスペイン階段を駆け上がると、ノリのいい男に、ヨー、と声をかけられる。昼食時に地元産の白ワインを飲んでいたことも(隣の席に座っていた老修道女が、真昼間からもりもり肉を食べ、びしばし赤ワインを飲んでいて、この国はいい国だと思ったところで)あり、イエーとハイタッチ。
男はへらへら笑いながら、「ナカータ、ナカムーラ」と続ける。
ヒデに、シュンスケ。うむ、彼らはぼくらの誇りである。ぼくはにこやかにうなずいた。今ここに、三国同盟以来の友好が築かれるのであろうか?
しかし、男はどういうわけか、ぼくの腕に布切れのようなものをはめようとしてくる。
「いらんいらん」ぼくは手を振った。
すると、仲間が寄ってくる。
「こいつ何だって?」みたいなことを言っている。頭をよぎったのは、昨日のマルペンサ空港のカフェだった。ぼくは、中年女性のしぐさを忠実に模倣しながら、ノーグラツィエ(何か文句あるんかゴルァ)、と言い、すたすたと去った。
ふむ。また1メモリ、熱が冷めていく。地下鉄に乗って、ホテルに戻る。地下鉄では、ぼくのケツをもぞもぞと触ってくる人間あり。痴漢、ではない。体をすりつけるようにして金品を盗むことから中国の元代に名づけられたと言われる「スリ」である。はたして、スリは、旅行の日程表のようなものを盗んでいったのだった。馬鹿め、ケツポケットに大切なものなど入れるものか、と思いながらやり過ごし、ホテルに戻ってきて、今買ってきたベルト、靴、シャツをベッドに並べようとした。
……?
ぼくは空気しか入っていないブランドバッグをふるふると振った。そこに入っているのは空気のみ、そこから漏れ出るのも空気のみ。キリスト教の天使よろしく、羽を生やしてどこかに飛び去ってしまったのだろうかか? わかっているのは、セールで13ユーロ程で購入したエンポリオ・アルマーニのシャツが手元にないということだった。
彼らの手段はこうだ。
ぼくのケツポケットをもぞもぞすることによって(これが一人目)、ぼくの注意はケツに行く。その隙に、ショップバッグの隙間から、するするとシャツを盗み出す(もう一人)。そう、馬鹿はぼくだった。相手はコンビだったのだ。
アリアリアリアリアリーヴェデルチ。さよならだ。
こうしてぼくの勘違いタイムは終わった。後に残ったのは、革靴とベルトと、新たな認識である。イタリアが悪いわけではない。ぼくが未熟だっただけだ。ブランドの名が刻まれたショップバッグなどを持って、混み合ったメトロに乗るというのは、ワニがうようよいる池に裸で飛び込むようなものだ。安全性を求めるなら、タクシーをつかまえればよかったのだし、あるいは、買ったものはすぐさまデイバッグのようなものに入れて、抱え込むように持つべきだったのだ。
13ユーロ。当時の値段で1800円ほどの買い物は、意識の変革をうながしてくれた。あるいは、ぼくはシャツを盗まれることによって、得をしたのかもしれないとすら思う。十数年前のセール品だったシャツは、たとえ盗まれていなかったとしても、すでに使えなくなって捨てているだろう。だけど、このティラミスのような甘苦い記憶は、これから先も、ぼくを暖め続けてくれるだろう。
ティラミスには、こんな意味があるという。
「私を引っ張り上げて」
あるいは、シャツ自身が盗まれることを欲したのかもしれない。ありがとうシャツ。ありがとうエンポーリオ。
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