書くこと、賭けること

どうもはじめまして。スロ小説家のブログです。

すべての書かれたもののうちで私が愛するのは、自分の血で書かれたものだけだ。
血で書け。そうすればきみは、血が精神であることを経験するだろう。

フリードリヒ・ニーチェ 永井均訳
「ツァラトゥストラはこう語った」
読むことと書くこと、より

敗走日記

午前11時の死


37歳で死ぬと思っていた。なぜその年齢かといえば、10代の頃、もっとも強くシンパシーを覚えた二人の作家が、その年齢でこの世を去ったからだ。宮沢賢治。フィンセント・ファン・ゴッホ。二人の経歴を、ためつすがめつ見つめているうちに、あることに気づいたのだった。え? この二人、同い年で亡くなってね? そのとき、胸に去来したのは、じゃあ、オレも、作家としてその歳で死ぬんじゃね? ということだ。

……馬鹿も休み休み言え。と37歳の私は思う。

また、27歳のとき、こう思った。オレが10年間毎日文章を書き続けたら、37歳には相当の腕前になっているはずだ。文学賞の一つや二つ、まあ、何とかなるべ、と。

……馬鹿も休み休み言え。と37歳の私は思う。

なぜ、過去の自分は、未来の自分に依存してしまったのだろうか? 

私が仕事を辞めたのは2008年のことで、2008年といえば、バラク・オバマが共和党のジョン・マケインに圧勝し、USA(ユナイテッドステイツオブアメーリカ)初の黒人大統領になった年であり、日本でいえば、エド・はるみがグーグー言っていた年である。

丸九年が経過して、アメリカでは、ドナルド・トランプが、大統領として世界の中のアメリカの立ち位置を改変しつつあり、日本ではにゃんこスターが、奇しくもエド・はるみと同じ指を軸としたダンスで一夜の栄華を極めた年として、2017年は記憶されるだろう(どうだろう?)。

37歳にして、書くことが出てこなくなった理由の一つには、当時の思いがあるのかもしれない。10代の思い、20代の思い。その思いが蓋となり、出口をふさいでいるのだ。

深呼吸~

10代の自分へ、37歳では死ぬ兆候はありません。

20代の自分へ、10年ではそこまで文章は上達しません。

現実を見つめよう。

寿
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ネットの牢獄から逃れるには




「弱いつながり 検索ワードを探す旅」東浩紀 幻冬舎を読む。



 ネットは階級を固定する道具です、と東は言う。
「階級」という言葉が強すぎるなら、あなたの「所属」と言ってもいい。
 ひとが所属するコミュニティのなかの人間関係をより深め、固定し、そこから逃げ出せなくするメディアがネットです。

その構造から逃れるにはどうすればいいのか? この本は、その問いに答える式の、自己啓発本のような形でつくられている。

 ネットの統制から逸脱する方法はただひとつ。
 グーグルが予測できない言葉で検索することです。
 ではそのためにはどうすればよいか。本書の答えはシンプルです。場所を変える。それだけです。

 自分を変えるためには、と東は続ける。環境を変えるしかない。人間は環境に抵抗することはできない。環境を改変することもできない。だとすれば環境を変える=移動するしかない。

ともすると、自分探し論に聞こえる主張ではあるが、東は次のような例を出して、自分探しと決別する。

 たとえば、あなたがいま中学生で、有名大学――まあどこでもいいですが、東京大学に行きたいと思ったとしましょう。そのためにもっとも重要なことはなにか。人気参考書を読むことでしょうか。有名予備校に通うことでしょうか。生活習慣を変えることでしょうか。
 端的に言うとすべて違います。もっとも効果が高いのは、東大合格者数の多い高校に通うことです。つまり、東大に行く確率がもっとも高い環境に身を置くことです。


なぜか? 東は言う。

 有名高校に身を置くと、どの予備校に行けばいいか、どの参考書を使えばいいか、迷う必要がない。まわりがやっていることをやればいいだけです。これだけで相当に負荷は軽くなります。「どのように勉強したらよいのか」がわかれば、あとはルーチンをこなせばいい。

 同じことは、受験以外にも言えます。批評家としてさまざまなかたにお会いしました。~中略~つねに思うのは、人間は環境が作るということ。お金持ちと付き合っていれば、自然とどうやったら金が入るのかがわかり、自分もお金持ちになる。クリエイターと付き合っていれば、自然とどうやったらものを作れるかがわかり、自分もクリエイターになる。人間とは基本的にそういう生物です。例外は「天才」と呼ばれますが、多くのひとは天才ではありません。


人間存在における、外側、つまり単なる環境の産物の「人間」という存在と、内側、つまりかけがいのない「自分」という矛盾を乗り越えるための手段として、環境を意図的に変えることを提言しているのだ。

 環境を変え、考えること、思いつくこと、欲望することそのものが変わる可能性に賭けること。自分が置かれた環境を、自分の意志で壊し、変えていくこと。自分と環境の一致を自ら壊していくこと。グーグルが与えた検索を意図的に裏切ること。
 環境が求める自分のすがたに、定期的にノイズを忍び込ませること。


「弱い絆」というワードを、東は使う。

「弱い絆(ウィークタイ)」とは、1970年代のアメリカの社会学者が提唱した概念である。
 社会学者は、ボストン郊外に住む300人弱の男性ホワイトカラーを対象に、ある調査を行った。そこで判明したのは、多くのひとがひととひとの繋がりを用いて職を見つけている、しかも、高い満足度を得ているのは、職場の上司とか親戚とかではなく、「たまたまパーティで知り合った」といった「弱い絆」をきっかけに転職したひとのほうだということだった。

このことを踏まえて、東は言う。

 人生の充実のためには、強い絆と弱い絆の双方が必要なのです。
 いまのあなたを深めていくには、強い絆が必要です。
 けれどもそれだけでは、あなたは環境に取り込まれてしまいます。あなたに与えられた入力を、ただ出力するだけの機械になってしまいます。それを乗り越え、あなたの人生をかけがえのないものにするためには、弱い絆が不可欠です。

 ネットは、強い絆をどんどん強くするメディアです。ミクシィやフェイスブックを考えてみてください。

 ではぼくたちはどこで弱い絆を、偶然の出会いを見つけるべきなのか。
 それこそがリアルです。
 身体の移動であり、旅なのです。
 ネットにはノイズがない。だからリアルでノイズをいれる。弱いリアルがあって、はじめてネットの強さを活かせるのです。


東はそのための立ち居地として、「観光客」を提唱する。軽薄で無責任な「観光客としての生き方」を。軽薄だからできること。それは弱い絆、あるいはノイズと呼応している。

 日本人は「村人」が好きです。一箇所にとどまって、ずっとがんばっているひとが大好きです。
~中略~
 ずっと旅人でいるというのもたいへんです。それはそれで覚悟がいります。
~中略~
 だからぼくは、旅人と村人のあいだを行き来するのが、いちばん自然だと考えます。


すべては、自分の立ち居地を俯瞰的に見られる知性と、ホーム、自らの居場所を維持し、かつ、旅行、移動に捻出する金があるという前提の論ではある。

言葉というのは、現実を捉えるには貧しいメディアです、と東は言った。私はむしろ、その脆弱な言葉でもって、強大な現実と対峙することに、なかば失敗が義務付けられている点に、個性とかやりがいとか面白みみたいなものがあるように思うのだが、というか、そこにこそ、ドン・キホーテの子どもたちである小説の面目があるように思うが、今の私が言っても、負け犬の遠吠えか。

寿
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スロットで学ぶべきは、勝ち方よりも、正しい負け方

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パチスロ必勝ガイド、パチスロ必勝マガジン、パチスロ必勝本、という例を出すまでもなく、「勝ち方」は商品になる。需要があるのだ。無論、人間はみな、勝ちたい。が、勝ちたい人は、負けを受け入れる余裕がない。おそらくは、ここに人間の脳の欠点がある。

人間は、勝ったときよりも、負けたときの方がダメージが大きい。イライラするたびに台を殴ったり、誰かにあたったり、酒に逃避していては、身も心もしんどい。であるならば、「勝ち方」よりも、「負け方」を覚えることの方がずっと大切ではないだろうか? 

実も蓋もない話、勝ち方とは、この状況下でのみ有効、というものが多い。あるパチスロ台が、600ゲームから打って期待値2000円あったとして、300ゲーム、200ゲーム、100ゲームという台しかなければ使えない。そもそも、その「勝ち方」の大部分は、運に依存しているのだ。反して、「負け方」というものは、汎用性がある。運があっても、なくても、いつ、いかなるときも、使える。

この場合、600ゲームから打てと命ずるのが「勝ち方」だとすれば、600ゲームを下回れば打たないと選択するのが「負け方」である。600ゲームからの最大投資金額、勝率、マイナスに振れたときの心のダメージを正確に把握し、いざその事態が起きたとしても、すっと席を立つのが「負け方」である。「勝ち方」を指標にするのか、「負け方」を指標にするのか。まこと逆説的であるが、私は、後者こそ、生き残るために必要なことだと思っている。

イチローが、日米通算ヒット4000本という金字塔を打ち立てた際に、こう言った。
「4000のヒットを打つには、僕の数字で言うと8000回以上は悔しい思いをしてきている」
野球では、バッターは、3割を打てば成功者である。成功者ですら、7割は失敗するのだ。その高確率といえる7割をどう過ごしたか。どう失敗したか。ただバットを振り回すだけでは手に入らないこの姿勢をこそ、私は「正しい負け方」の指標としたい。
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はじめてのライトノベル


西尾維新「化物語」上下を読む。

実に、初めて読むライトノベルであった。

作者の西尾維新はあとがきの中で、次のように述べている。

 で、誤解を恐れずに言えば、この『化物語』は百パーセント趣味で書かれた小説です。仕事的要素は微塵《みじん》もありません。元々ぽっかり空いたスケジュールを埋めるために手遊びで書いた小説なので、こうして発表してしまっていいものなのか、正直迷いがあります。趣味で書かれているだけあって作者の好きなキャラランキングが明白な内容になっていて汗顔の至りですが、しかしどのキャラにしても、彼らが会話をしている様子は書いていて本当に楽しくて、小説を初めて書いたときのことを久しぶりに思い出し、懐かしかったです。

この物語では、お人よしと評判の主人公のアララギくんが、ツンデレクラスメイトだとかロリ(JS)だとか運動神経抜群バイセクシャル後輩だとか秀才メガネ巨乳学級委員長だとかに猛アッピールされる。殺されかかったりもする。同級生の男子はひとりも出てこない。霊能者のおっさんが出てくるが、この年長者に対し、主人公は、反抗期の少年が親にするような態度で接する。意中の女性の父親と接するシーンもあるが、ほとんど会話はできない。ふむ。お人よしでも何でもない。こじれにこじれた人間嫌いである。ここまでくると、すがすがしく思うか、気色が悪いと一刀両断されるか、好みが分かれることだろう。

私の趣味ではない、というのが、あとがきを読んで思った素直な感想だった。いや、私の趣味などはどうでもいい。この素晴らしいタイトルのつけかたは、どうしたことだろう。

ひたぎクラブ(蟹)

まよいマイマイ(蝸牛)

するがモンキー(猿)

なでこスネイク(蛇)

つばさキャット(猫)

それぞれ、作者の趣味をまといし属性の女性の名前に呼応し、かつ、ひらがな+カタカナ、かつ漢字にも対応し、響きもよい。素晴らしい。

しかし、趣味というのは、理性なんかよりも、よほど強い影響力がある。たとえば、異性(あるいは同姓)のある部分が好きで好きでしょうがないということを、フェティシズムと呼んだりするが、その傾向は、生まれる前からあったのか。それとも、その部分を見た(聞いた、嗅いだ、触れた、感じた)瞬間に、趣味に発展するのか。どっちだろう?

寿
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カズオイシグロとナメック星



遅ればせながら、カズオイシグロさんのノーベル賞受賞をお祝いしたい。おめでとうございます。

寡作な作家とはいえ、私の手元にある小説は「日の名残」と「わたしを離さないで」のみであり、熱心な読者とは言いがたいが、カズオイシグロという人物について思うとき、思い出すのは、ドラゴンボールというマンガに登場する、地球の神様である。

若き日の彼は(無性生殖で個体を保存しているため、男っぽく見えるものの、実際には性別はない)、異常気象が起きたナメック星から、宇宙船に乗って難民のように逃れてきた。
親から言われたのは、「後で迎えに来るから」というような言葉だった。若きナメック星人は、来る日も来る日も、その言葉を胸に、来るべき迎えを待った。若き日の神様が降り立った地は、ユンザビット高地。地の果てと言われ、食べるものもなく、とても人間が快適に生きていくにはふさわしくない土地だったにもかかわらず。はたして、迎えは来ず、若きナメック星人は地球を放浪し、紆余曲折を経て、ついには地球の神様になったのだった。

カズオイシグロは、5歳のとき、父親の仕事の都合で、長崎からイギリスに引っ越している。カズオ少年が言われたのは、「来年こそは日本に帰る」という言葉だった。はたして、カズオイシグロは、一度も日本の土を踏むことなく大人になり、紆余曲折を経て、小説を書き始めた。

若き日のカズオイシグロの引き裂かれた心について、正確に思いを馳せるのは無理があるが、幼年期、揺籃期の不安は、37歳になった今でも、私の中にありありと残っている。それまでの私の傍らには、常に母がいた。しかしその陽だまりのように心安らぐ環境は、幼稚園に通う段になって、劇的に変化した。知らない大人、知らない子供、その集団の一員として過ごさなければいけない。ほんのひと時、母親から引き離されるだけで、心はひび割れ、さざなみが生まれてしまう。いわんや、カズオ少年は、言葉も食べるものも天候も別の環境に適応しなければいけなかった。並大抵のことではない。しかし、人間は、そこがどこであれ、どんな場所にも、適応しなければいけない。するのではなく、しなければいけない。過去を振り切っても、現在を掴まなければいけないのだ。それでも、残るものがある。

カズオイシグロは言った。
「記憶は、死に対する部分的な勝利だ」と。
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作者 寿
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ふと思う。スロ歴ってどれくらいなんだろう? 今年で20年? そんな経つ? ピーいれたいね。スロットばっか打ってるわけじゃなくて、普段は小説書いてんすよ。ちっとも売れないけどね。つうか売ってないしね。けどこのブログだと読めんすよ。フォウ!

ブログポリシー「my rights sometimes samurai!」
当ブログは、寿という人でなしが小説を書くなかで、
また、スロットを打つなかで、
はみ出たものを一所懸命につづったものです。
基本的に毎日更新してはいますが、
毎朝グビグビ飲めるというほどあっさりした、
また、健康的な文章ではありません。
油ギトギトのラーメンというほどではないと思いますが、
胸焼け、食あたりを起こす可能性がある由、ご留意くださいますよう。

また、コメントは大歓迎です。
引用ももちろん大歓迎ですが、引用元の記事を明記していただけると幸いです。
それでは今日もはりきって行きましょう! どこへ? パチンコ屋へ。
1日1回のポチを。
血がたぎります。

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