書くこと、賭けること

どうもはじめまして。スロ小説家のブログです。

すべての書かれたもののうちで私が愛するのは、自分の血で書かれたものだけだ。
血で書け。そうすればきみは、血が精神であることを経験するだろう。

フリードリヒ・ニーチェ 永井均訳
「ツァラトゥストラはこう語った」
読むことと書くこと、より

敗走日記

つまらない映画の恩恵

 

つまらない映画を見るとついつい頭に血が上る。なぜ腹が立つか? たぶん、「物語」というものが、ある種の公共物だからだと思う。物語である時点で、まったくの他人のものではない。それを見ている自分も、加担してしまっているのだ。だからこそ、つまらない映画は、自分を、人類を冒涜しているように感じてしまう。つまらないを通りこすと、どうでもいいので感想が出ない。早く忘れたいとすら思わない。すでにどこか、過去の領域に消えている。つまらなすぎる映画は、物語ではなく、赤の他人、どうでもいいのだ。実際。

ことほどさように、つまらない映画から受ける反発は、有益なものでもある。なりたくない手本として、美に届かなかった夢の跡として。私だったらこうやるな、というインスピレーションの泉として。

あざっす。

寿

タイムマシーン睡眠号に乗って


8時間後の世界にやってきた。
「ハロー。少し未来の自分」
……なぜだろう。体がダルいのは。機械の調子が悪いのかもしれない。

寿
 

負けて、なお生きるということ。



「日本のいちばん長い日」を読む。

今をさかのぼること72年、日本はポツダム宣言を受け入れ、敗戦国となった。これは小学校で習う知識である。しかしながら、その日がやってくるまでの大日本帝国は、陸軍であれ、海軍であれ、空軍であれ、その創立以来、個別の戦闘で敗れたことこそあれ、戦争自体に負けたことがなかった。戦況が不利なことは百も承知で、それでも神州は不滅だと信じていた。陸海空軍430万人が、特攻機1万が、海上特攻兵器3300が、日本国内いたるところで最後の一大決戦にそなえ待機しているのだった。その軍人たちが、「これ以上は戦争をやっても疲弊するだけだ。もう、やめよう。敵軍に全権を委譲して、武装を解こう」そう言って、わかった、と言うだろうか? 否。言うはずがなかった。一部の将兵たちは、戦争を続けようと、天皇の住まう宮城を占拠し、玉音放送を阻止しようとする。いかにして、日本の無条件降伏はなったのか?



負けるにも、負け方があるのだな、とつくづく思う。進むも地獄、退くも地獄、という状況下では、人間は、進む方を選びがちである。ゼンツ(思考停止)が楽なのは、麻雀でもパチンコでもスロットでも、一緒だ。ただ、どうあっても、そこでマイナスを食い止めなければいけないという状況もある。そこを逃すと破滅するしかないポイントが。

寿
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私がアホなのは、誰のせいなんでしょうか?

思慮の浅さ。ずばり、これが私の欠点である。思慮? いや、これは幾分回りくどい表現であり、端的に言えば阿呆ということだ。ここで試みに、私の頭の悪さは誰のせいだろうか? ということを考えてみたい。

両親? 環境? 運? 自分? これはただの犯人探しではない。誰のせいにすれば楽になれるかという思考実験である。たとえば親のせいだとする。親が悪いのだから、親が責任を持って、頭を良くする努力をしなければいけない。頼むよ、オトン、オカン。ただ、その場合、たとえ頭が良くなったとしても、自分の功績とは認められない。親にその気がない場合も、あるいは努力の方向性を間違えても、そこで試合終了である。次に、環境が悪いパターン。治安が悪く、近隣住民は軒並みガラが悪く、あるいは阿呆、悪漢、痴れ者しかおらず、何をしようとしても、邪魔が入る。頭の悪さがそのことに起因するとすれば、引っ越すしかないだろう。運はどうだろう? 私の見る限り、運気を上げる式の行動やパワーストーンやお守りは、効く人を選ぶらしい。不公平だ! しかし、それが運なのだ。

こう考えてみると、私の頭が悪いのは、自分のせいだ。そう仮定するのが、最も自然かつ建設的な気がする。仕事もせず、9年も文章を書き続けて、何の進展もないなんて、正気の沙汰ではない。そもそも、社会を飛び出した契機、小説を書いて生きていこうなどという(狂気の)動機、が、そのアホさ加減はすべて、自分の責任である。阿呆を治療することは多分できない。ただ、自分が阿呆なのは、ただ、自分が阿呆だっただけだという結論は、何かを恨まずに済むだけ、気が楽である。

人のせいには幾らでもできる。政府が悪い。アメリカが悪い。中国が悪い。韓国が悪い。北朝鮮が悪い。東京が悪い。大阪が悪い。男が悪い。女が悪い。犬が悪い。猫が悪い。麺が悪い。米が悪い。パンが悪い。テレビが悪い。インターネットが悪い。パチンコが悪い。酒が悪い。大人が悪い。子供が悪い。伝統が悪い。革新が悪い。が、悪いものを特定することと、自分が善きものになることの間には何光年もの隔たりがあるように思う。

寿
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今、できることを。


かつて村上龍は、キューバのミュージシャンを引き合いに出して、「一日八時間の練習を何年も続けることができる。それが才能で、それ以外、才能というものは存在しない」ということを書いていたが、何かモチベーションがあって、それを燃料に走り続けることは、その人間にとって別に苦ではない。ごく自然な行為である。が、モチベーションがなくなってから、ガス欠状態で、その作業を続けることは、可能なのか? むしろ、それこそが、努力ではないか? 最近そんなことを考える。

というのも、夏に小説を書き上げたあと、どうにも文章が出てこなくなってしまった。というよりも、何を書けばいいかわからないという状態が、続いている。

敗色濃厚か……。

負けを認めるのはつらい。たぶん、誰だってつらい。が、負けを認めずに、なかったことにする。または、別の何かに切り替える。そこは無限ループ、無間地獄の入り口である。何かが起きるたびに、そんなことはなかったと否認する。そして、同じことをくりかえす。負けを認めるのはつらい。でも、負けを認めずに、前に進むことはできない。どうすればいい?

思い出すのは、香川真司が、不遇を過ごしていたときの発言である。

 「プラス思考に考えるしかなかった。」

追い詰められて、初めて発動するポジティブがある。逆に言えば、楽な環境で利権を貪っているがゆえに、マイナス思考になっている可能性がある。

ともあれ、きちんと試合を成立させなければいけない。負け試合であっても、勝ち試合であっても。

「勝利からではなく、敗北からしか学べない」そう言ったのは、球聖ボビー・ジョーンズだった。もし、このゲームが敗色濃厚だとしても、最後まで走り続けたい。

寿
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作者 寿
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ふと思う。スロ歴ってどれくらいなんだろう? 今年で19年? そんな経つ? ピーいれたいね。スロットばっか打ってるわけじゃなくて、普段は小説書いてんすよ。ちっとも売れないけどね。つうか売ってないしね。けどこのブログだと読めんすよ。フォウ!

ブログポリシー「my rights sometimes samurai!」
当ブログは、寿という人でなしが小説を書くなかで、
また、スロットを打つなかで、
はみ出たものを一所懸命につづったものです。
基本的に毎日更新してはいますが、
毎朝グビグビ飲めるというほどあっさりした、
また、健康的な文章ではありません。
油ギトギトのラーメンというほどではないと思いますが、
胸焼け、食あたりを起こす可能性がある由、ご留意くださいますよう。

また、コメントは大歓迎です。
引用ももちろん大歓迎ですが、引用元の記事を明記していただけると幸いです。
それでは今日もはりきって行きましょう! どこへ? パチンコ屋へ。
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