書くこと、賭けること

書くことを賭ける。賭けることを書く。とどのつまりは遊び。Life is the gambling you know?

「寿という言葉は経験による人の円熟という意味に使われていた」
「成功は、遂行された計画ではない。何かが熟して実を結ぶ事だ。其処には、どうしても円熟という言葉で現さねばならぬものがある。何かが熟して生れて来なければ、人間は何も生むことは出来ない」

小林秀雄「考えるヒント」より

スロプロ卒業後のセカンドライフについて

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不幸な人間だけが夢を持つ。

川上量生
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♯1「スロブログの未来」

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思慮が浅い人は何でもかんでもすぐに飛びつく傾向にあるが、すぐに飛びついた人間が美味しい思いをすることは多々ある事実である(もちろん、罠でもある)。

ひとつ、夢のある話をしようと思う。昨冬から「書くこと、賭けること」ではnendというスマホ用の広告を導入しているのだけど、ここから一体どれくらいの報酬が支払われるかというと、8月は983円。31日間でアップした記事数は62だから、一記事に対して15.8円。スロット稼動(移動時間も含める)と記事作成におよそ10時間。となると、時給にして3.1円。明治時代なら富裕層である。これ、8月が特別というわけではなく、7月は1025円、6月は908円。ここから手数料をさっぴかれて、残るのは幾ら? ようわからん。

ただし、30倍の規模のブログに成長したらこれくらいの率でも食ってけますよね。ということで(前提の無茶はさておき)、スロプロ卒業後のセカンドライフ第一弾は「スロブログの未来」と題し、ブログ、ブロガーに求められるものについて考えてみよう。

とりあえず、足がかりとして、スロットを打つ人に需要のありそうな要素を並べてみる。

1、勝てる情報

2、読める情報

3、批評

4、エンターテイメント

5、エロス

※ただし、これはスロットを打つ人口がある程度いて、一般人ができるレベルの必勝法が存在している、という条件があってはじめて有効な前提であり、その前提が崩れた瞬間、たちまち廃れる不安定なものであることに留意したい。

1、優位性の言語化、または優位性の数値化は、価値のある情報、つまり期待値そのものであり、必要とされる代わりにブログの数も多い。でもって先行ブログのアクセス数がハンパない。この既得権益を崩すのは厳しいか。自ら稼動して稼動日記を証拠のように提示する兼業と、スロ雑誌(または大手データベース)から出てきた数値を考察して、パチ屋に行かずしてブログを作成する専業とに分かれているのが特徴。専業と兼業という言葉が通常とは真逆な点に注意。

2、打ち手の立場ではわからない情報。打ち明け話。裏話。いわゆる業界人。メーカー側なのか、ホール側なのか。またはゴト行為等、過去の犯罪披瀝なのか。いずれにしても、新規参入不可の聖域である。

3、業界というテーゼに対するアンチテーゼ。聖域の破壊者であり闖入者。必要とされる資質は、論理的であること。そしてある種の常識、正義感。スタイルウォーズ、その帰結として2と3の間に軋轢が生まれることも。

4、負け自慢。全ツッパ企画。スロ動画等。前提的に、人間は勝っているよりも負けている人によりシンパシーを覚えるものである。普通に打てば今のスロットはけっこうな額を使わざるを得ないため、文章力があるか、企画力、または記事構成力があるか、資金力があるか、2スロ/5スロ/ゲーセン等、低貸しで打った内容を記事にするか、過去の話をするか、あるいはウソをつくしかない。よって、参入は易しいものの、難易度は高い。

5、単純明快。性を匂わしてくすぐる。

ここでは目線を男性→女性という風に限定したい。あしからず。

ビデオデッキしかり、インターネットしかり、男性の手を動かす動機は女体への想い。ただし、アダルトカテゴリに分類される、いわれなきバッシングをされる可能性等、別のリスクが生じる可能性もある。ともなければ、土佐日記以来の伝統を踏襲してみるか。「男もすなる日記というものを、女もしてみんとてするなり」
参入自体はライバルが少ない分、易しいのかもしれない。が、継続性となると疑問が残る。

じゃあ、「書くこと、賭けること」はどれなんだ? というと、どれでもない。たとえばスロットブログ村の1~50位のサイトをざざっと見て思うのは、このブログだけ言ってることがおかしいw

別に勝てる情報もないし、ユーザーでは知りえない情報も載ってない。システムに乗っかってスロットを打つ身なので批評的な精神もない。大した額は勝ってないけど、負けてるわけでもない。要はバスケでいうシックスマンなんですね。だから需要がない。

ともあれ、上記の通り分類してみてわかったことは、結局似たようなブログばかりになってしまうんだな、という、考えてみれば当たり前の事実でした。さらに言うと、この1~5という分類は、コンビニの雑誌コーナーとほぼ同じ布陣w 需要を基にプロジェクトを立ち上げると、似たようなものができてしまう。これは何の世界でも同じ。ただ、文章を書く人間として思うのは、需要を考えるよりは、つくり手のモチベーションを考えた方が作業を進めやすい、ということ。

これから小説家を目指そうという人間に、スティーブン・キングがこんなことを言っている。

「ジャンルとしては、手はじめに、自分が読みたいものを書けば間違いない」

ということで、最後に、こんな記事があったら絶対に読みたいよ、という記事内容を考えてみよう。

・なぜパチンコ業界には、「勝てる台」が存在するのか? 世界のギャンブル史上例のない打ち手の優位性を保ち続けた賭博機の秘密。

・スロット開発者はどれくらい儲けることができるのか? 雑誌に出ない解析の本当のところ。

・設定をうちかえる権限を持つパチ屋幹部が借金を抱えてしまった。どうする?

・この国からグレーゾーンがなくなる日・・・


人間の興味は、知りたいことを知りたい。自分では入ることのできない(想像できない)世界を見たい。という二方向に向けて照射されるように思う。新たな何かが誕生することを願って今回はここまで。

次回はスロットで培った優位性をどう社会性に反映させるかについて考えてみたいと思います。

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記事作成時間

下書き2時間余り+清書2時間余り+(推敲20分ちょい×4日)=約6時間(処理能力の低さよw)


スロプロ卒業後のセカンドライフについて。
ご意見ご感想お待ちしております。

♯2「スロプロが目指すべき道のこと」

自分が何かを欲望するのは、他人がそれを欲望するからだ。

ルネ・ジラール
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まずは嫌なnewsから。どう贔屓目(ヒイキメ)に見ても、この業界は衰退の一途をたどっている。X-DAYがいつになるかはわからないけれど、今のシステムは遠からず崩壊する。問題は、それがいつか? ということ。

たとえば、地震がいつ、どこで、起きるか、ということは、確率論でしか語りえない(そもそもこの地球上に安全な場所などないのだ)。しかしながら、スロッターは先刻承知の通り、現象が起こる確率(≠ボーナス確率)というのは、その情報を見聞きする人間の(数字理解度の)差によって印象が変わってしまう。そのため、陰謀論に染まりやすい。人間は悪玉をつくるのが大好きなのだ。

火のないところに噂は立たないというのも一面の真実かもしれないが、陰謀論のウィークポイントは、「だから何?」so what?

世界のすべての情報をCIAが握っている。だから何?

パチンコ産業は某国が極秘裏に牛耳っている。だから何?

徳川埋蔵金は本当はすでに見つかっている。だから何?

whatever,何だっていい。whoever,誰だっていい。悪者(標的)をつくっておくと、安心するんよね。誰かのせいなのだから、自分は悪くない。however,しかしながら、どれだけ安心したとしても、それは所詮、仮初(カリソメ)のもの。サバイバルな世界に安心など存在しない。人間が考えるべきは、他人のあら探しでも、敵探しでもなく、生き残ること。違いますかね?

現実問題、パチ屋から流れる資金を武器に変換し、日本に攻め入ってくる国があるとすれば、憂うよりも、その未来をどう切り抜けるか? を考えるべきだ。大切なのは、顔もわからない、名前もわからない敵じゃなくて、自分のこと。ぼくはそう思う。

前置きが長くなってしまいましたが、今日のテーマを。

「スロットしか打っていない自分は、何ができるのだろう?」

はい。ここで良いnewsを。何とですね、今、スロットをやめれば、なな何と、勝ち抜けできちゃう。これ、夢の言葉ですよね。

勝ち抜け。



たとえば1980年代の不動産バブルを勝ち抜けたプレイヤーがいったい何人いたか。少なくとも大多数の夢は泡と消えた。もちろん、スロットで勝ち抜けできたからといって、スロプロ? 人生の落伍者でしょ、という一般論には言い返せません。ま、一般論はどうでもいいやね。どうでもよくなかったらそもそもパチ屋で稼ごうとなんて思わないのだから。

よし。本題に入ろう。

スロットに関していうと、大多数のプレイヤーが打ち散らかしてくれるから、わずかな隙間が生まれ、そこをつくことでプラスにできる。ただこれは、ものすごい数のプレイヤーがいて、かつ、設定なり天井なりモードなりゾーンなり、打ち手に有利なタイミングが機械(スロット)にプログラムされているという、奇跡のような条件が重なっているので、他のギャンブルでは、まずここまでの隙はない。

じゃあ、何をするか? というか、何をしてはいけないのか?

「ニコニコ哲学」という本の中で、川上量生さんがこんなことを言っている。


――今、企業のコストがすごく下がっていて、始めやすくなったし、倒産もしにくくなった。企業の数が増えると、蛮勇をふるった人も含めて成功する人が多く生まれるんじゃないか、という意見もあるのですが。

川上
 そんなのまったく成立しないですね。世の中のどんなギャンブルよりも賭け金に対して戻ってくる率がわるいギャンブルって、宝くじなんですよ。起業しやすくなったというのは、宝くじが安くなって買いやすくなっただけのことです。そして、買う人が増えて、さらに率がわるくなってるっていう。

――競争相手が増えて。

川上 そう。期待値を計算したら、下がってるんですよ。起業というギャンブルに今まで参加できなかった人が、宝くじが買えるようになったからって、めっちゃわるい賭けに嬉々として飛び込んでるってだけですよ。

――昨今の、起業を推奨するムードとは真逆のご意見ですね(笑)

川上 企業で成功するためには、競争相手を減らすことが重要です。オープンなマーケットで、ライバルがたくさんいるようなところにいくのはほんとバカだと思います。起業がやりやすくなった時代こそ、起業なんかやっちゃダメに決まってます。

ニコニコ哲学 166ページ
「勝つために必要なのは勇気じゃなくて、計算です」より


継続的にギャンブルで勝つための唯一の選択肢はギャンブルをしないことであり、そのためには確固たる優位性がなければいけない。

数日前にスロブログの未来という記事を書いておきながら言うのもなんだけど、今スロブログで勝負するというのは、泥舟でどこまで行けるかを競うチキンレースのようなもの。

じゃあ優位性というのはどこに転がっているか? というところで、今日はお開き。また次回。
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記事作成時間

下書き1時間+清書1時間+(推敲20分×4日)=3時間ちょい ちょっと減ったw





 

♯3「じゃあスロプロって何が得意なの?」

21世紀の文盲とは、読み書きできない人ではなく、学んだことを忘れ、再学習できない人々を指すようになるだろう。

アルビン・トフラー

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これはもう断言できるけど、パチ屋に賢い人はいない。
じゃあ賢い人はどこにいるのか? ……パチ屋にいるぼくにわかるはずがない難問である。他の人に聞いてほしい。

ともあれ、頭の悪さは、基本的には弱点でしかないが、ある特定の条件下では武器になりうる(可能性がある)。マジ? ドコ? ココ。そう、フロンティアである。攻略本が出てない最前線においてはゼンツマンが勝ち抜ける可能性がある。

ドラクエでいう、「ガンガンいこうぜ」

「海賊王におれはなる!(ドン)」

無論、ルフィに知性を求めてはいけない。

なぜ、頭の悪さ(思慮の浅さ)が未知の世界を攻略してしまう(ことがときに起こる)かというと、考えなしの行動は直線的だからだ。単純に目的地までの距離が近いのである。が、当たればデカいが、外せば死亡。そんなギャンブルを打ってはいけない。今まで何のために期待値を追ってきたのか?

現実的な選択肢としては、まだ成功者のいないジャンルの中で優位性を探る、ということになるだろうか。歴史の最前線で起きていることを探るとき、やはり道しるべ(または叩き台)になるのは歴史である。

以下は、1980年にアルビン・トフラーという未来学者の出した「第三の波」という本で提示された人類(または西洋文明)の成果である。

1、農業革命

2、産業革命

3、情報革命

これらの革命のトリガーとなったのは、すべて道具である。農耕は土器、石器によって。産業革命は蒸気機関によって。そして情報革命はインターネット。我々が今立っている場所は、情報革命が成立しようとしている端境期(はざかいき)なのだ。

そこから一歩進んで、以下のような疑問を立ててみるのは未来を占う一助になるかもしれない。

農業の革命によって生まれた仕事は何か?(廃れた仕事は何か)

産業の革命によって生まれた仕事は何か?(廃れた仕事は何か)

情報の革命によって生まれた仕事は何か?(廃れた仕事は何か)

……というか、今日は文体が硬くて肩が凝りましたね。ティーブレイクを取りましょう。


閑話休題

(話の腰を折るようだけれども、そもそも論として、スロットをやめて何か新しいことをしよう! と新たなギャンブルを打つ前に、引き返せるなら引き返したほうがいい。家族、知人、コネは使ったほうがいい。路頭に迷うよりは数倍マシだ。退路を絶つ必要もない。そんなことをして得られるのはバカの称号だけである。



ふう。茶が美味い。先日も書いたけど、需要からプロジェクトを構築するよりも、自分のできることを改良、改善していくほうが、プレイヤーとしては楽なのよね。

スロブログの需要はこんなものがある、と言ってぼくが出したのが5カ条でした。

1、勝てる情報

2、読める情報

3、批評

4、今日も負けた

5、エロス

シックスマンである「書くこと、賭けること」を書くぼくは、ここに6番目の要素を加えたい。

6、楽しんでマス

楽しむというのは明らかに才能である。誰がなんと言おうとも、楽しむという精神性は挫(くじ)くことができない。

ぼくがブログをはじめたひとつのきっかけは、スロハイのまちゃさんが楽しそうだったからだ。スロットするのは楽しい。自分なりの打ち方、パチ屋との関わり方を模索するのは楽しい。世界は捨てたものじゃない。そのことをぼくなりにエミュレーション(あるシステムの動作を他のシステムで模擬的に動作させること)してできたのが、「書くこと、賭けること」でした。

ブログをつくったはいいが続かない、というのは、たぶん、この根幹をマインドセットできてないんじゃないかな。バオン(フリーズ)……マインドセットwww

強いものが勝つのではない、勝ったものが強いのだ。と言ったのはベッケンバウアーだった。ぼくはこの言葉を以下のように言い換えてみたい。

強いものが勝つのではない、生き残ったら、それで勝ち。

というところで、第三回を終わります。次回はもう少し優位性を掘り下げて考えてみましょう。
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記事作成時間

下書き1時間+清書1時間+(推敲20分×4日)=3時間ちょい やっぱ遅いな。

♯4「優位性について(またはネットビジネスでつまずく理由について)」

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ドラゴンボールの生みの親(のひとり)、伝説の編集者、元ジャンプ編集長のトリシマさんは、「友情・努力・勝利」というジャンプのスローガンに対し、こんなことを言っている。

ああ、全く無意味ですね。あんなのはバカが言うことですよ。


原文はこちらから→伝説の漫画編集者マシリトは言う 

鳥嶋氏:
 まず一つ言うと、僕は作家のエリアには入らないんです。よくストーリー作りに参加している編集がいるけど、あんなのは二流の編集のやることだね。そういう編集者が関わった作品はスマッシュヒットにはなっても、決してビッグヒットにはならない。じゃあ、ビッグヒットを生む最大のコツは何か分かる?

――いや、さすがにちょっと(笑)。

鳥嶋氏:
 簡単。「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」ですよ。
 いかに作家に無駄弾を撃たせて、いかに何度もダメ出しをして、最後には作家に「自分は他人よりなにが優れているか」を悟らせるか、これに尽きるんだね。

 編集の側から「こうすればいい」とサジェスチョンしても、結局は作家の身にならない。作家自身に自分で気づかせる以外にないんです。ということは、編集の仕事は短時間に的確にダメ出しを繰り返すことに尽きるんだよ。まあ、技術論のレベルでの指導もしていくわけだけどね。

――でも、作家自身で自分が本当に「描きたいもの」に気づくのって、ずいぶんと難しくないですか?

鳥嶋氏:
 そこでもう一つの話になるんだね。
 作家には「描きたいもの」と「描けるもの」があるんだよ。そして、作家が「描きたいもの」は大体コピーなの。既製品の何かで、その人がそれまでの人生で憧れてきたものでしかない。

 鳥山明さんであればアメコミっぽい作風だとか、そういうものが「描きたいもの」としてあったけど、そこからヒット作はやっぱり出てこないんです。実際、鳥山さん自身の「描きたいもの」は、申し訳ないけどつまらないんですよ(笑)。

佐藤氏:
 なるほどねえ。まあ、ストーリーテラーという人でも実はないからね。

鳥嶋氏:
  そこに彼のボツの歴史があったんです。色々と彼はカッコいい絵柄の作品だとかを描いてきたけど、最後には「則巻千兵衛」というオッサンと「アラレちゃん」というメガネを掛けた女の子に行き着いた。でも、それこそが彼にしか描けないキャラクターだったんだね。そこに辿り着いたときに初めて、彼はヒット作家になった。

――いかにも日本風のダサい、則巻千兵衛やアラレちゃんこそが鳥山明だけの「描けるもの」だった。

鳥嶋氏:
 結局、ヒット作はその人の「描けるもの」からしか出てこないんです。それは作家の中にある価値観であり、その人間そのものと言ってもいい。これをいかに探させるかが大事で、そのために編集者は禅問答やカウンセリングのように色々なことを対話しながら、本人に気づかせていくんです。

 すると、本人にしか出せないキャラクターが、まさに則巻千兵衛のようにポンと出てくる瞬間がある。ここにその作家の原点があるんだね。そして原点的なものは、まさに言葉本来の意味で「オリジン」(※)なんです。「オリジナル」であることの真の意味とは、そういうことなんですよ。


おそらくは、創作者にとっての優位性の話だ。

自分―他人の壁を超えるナニカ。これが表現における才能なのだ。個性やセンスや才能は誰にでも備わっている。が、他人に伝わるかどうか。作品を鑑賞する人間が我がことのように感じられるかどうか。ここに作家の成功を分ける鍵がある。

伝説の編集者は言う。
「漫画の技術というのは、基本的には全て分かりやすさから来てるんですよ」と。おそらくマンガの優位性もここにあるのだろう。

たとえばi-phoneの成功は、デザインの秀逸さもさることながら、ボタンがひとつしかない、というウリも大きかったように思う。

スロットもそう。ジャグラー、ハナハナの隆盛を見る限り、シンプルさは取っつきやすさである。バジ絆にしてもそう。システムそのものは複雑であるが、巻物を引いたら1/4でBC、BT(中の絆高確)は該当小役を引けば熱い。根本的なゲーム性はわかりやすい。

人間の精神は、土台、保守的であり排他的なものだ。だから新しいものを見ると、何だこのクソは、と思いがちである。ならば、目指すべきは、今までになく、かつわかりやすく、心地よいもの。商売をはじめるとしても、この公式は活かせるように思う。ただし、優位性だけがあっても、商売は成立しない。

難波商人の父を持つ作家、脚本家の藤本義一が、生前、こんなことを言っていた。

儲ける、という字は、信と、者、という字に分けられる。
お互いが信じ合ってる者同士しか儲からない。信用があって、はじめて儲かるのだ
、と。
もっと分けると、人、言、者という風に分けられる。
人(自分)と、者(他人)の間に必要なのは言葉だ
、と。

結局、ネットビジネスを志す大半の人がうまくいかないのは、自分のことしか考えていないからだ。パチ屋の中ではそれでよかった。が、職業は違う。自分の優位性のみならず、相手にとっての優位性を考える必要がある。何をするにせよ、サービスの基本は、一対一のコミュニケーションなのだ。

ということで、次回はぼくという人間の行動における優位性について書いてみようと思います。
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下書き30時間。清書30分。推敲20分×4=2時間半



 すべての書かれたもののうちで私が愛するのは、自分の血で書かれたものだけだ。
血で書け。そうすればきみは、血が精神であることを経験するだろう。

フリードリヒ・ニーチェ 永井均訳
「ツァラトゥストラはこう語った」
読むことと書くこと、より


追伸

先日、こち亀最終回ということで5年ぶりに週間少年ジャンプを購入した。新鮮な発見はひとつもなかった、ということだけが発見だった。今までになく、かつわかりやすく、心地よく。言葉にすると簡単だが、それを実行することの難しさを想う。

 
作者 寿
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ふと思う。スロ歴ってどれくらいなんだろう? 今年で20年? そんな経つ? ピーいれたいね。スロットばっか打ってるわけじゃなくて、普段は小説書いてんすよ。ちっとも売れないけどね。つうか売ってないしね。けどこのブログだと読めんすよ。フォウ!

ブログポリシー「my rights sometimes samurai!」
当ブログは、寿という人でなしが小説を書くなかで、
また、スロットを打つなかで、トレードをするなかで、
はみ出たものを一所懸命につづったものです。
基本的に毎日更新してはいますが、
毎朝グビグビ飲めるというほどあっさりした、
また、健康的な文章ではありません。
油ギトギトのラーメンというほどではないと思いますが、
胸焼け、食あたりを起こす可能性がある由、ご留意くださいますよう。

また、コメントは大歓迎です。
引用ももちろん大歓迎ですが、引用元の記事を明記していただけると幸いです。
それでは今日もはりきってまいりましょう! どこへ? チャートの世界へ。
1日1回のポチを。
血がたぎります。

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