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「三代目市川八百蔵の武部源蔵と岩井喜代太郎の戸波」歌川豊国

記憶の中の自分の立ち回りを思い出すと、正直、恥ずかしい。
が、そこから教訓を引き出すことも可能だと思う。


まだパチンコ屋に通い出して間もない頃、そこそこに回るCR機にありつきウキウキ打っていると、変なおっさんがにやにやしながら近づいてきて、確変中の台を指差して、これ、やるかい? と言った。
「私は用事があって、この後行かないといけないんだ」



???????
ぼくは何が何やらよくわからず、テンパってしまい、おっさんの口ぶりと、何かをたくらんでいるような顔つきもあいまって、「いや、いいです」と首を振ってしまった。
おっさんは、そうかい、と残念そうな顔をして、店員に言伝し、ドル箱を抱えて島から消えた。その台は当然のように店員が電源を消してしまった。


もしかして、おれはとんでもないことをしてしまったんじゃないか、と思った。あのおっさんは、おれに無償で確率変動の機会を譲ってくれようとしていたのではないか。

え、損したのか? おれ、損したのか? 損したのか? 


ぼくの中にあったのは、損した、という感情だけだった。そんな精神状態の人間のするギャンブルが勝てるはずもない。


案の定、回るCR機を手放し、スロ、パチ打ち散らかして、惨憺たる結果となった。

それ以降、何かがかみ合わず、何をやってもうまくいかず、連敗街道を突き進んだ。


結果、家賃が払えなくなり、実家に身を寄せるはめになった。人生初の破産だった。


こうやって書いてみると、日本昔話みたいだ。ぼくの行動は、見かけで人を判断して、大変な目に合うイジワルな爺によく似ている。

だけど、ぼくの不手際は、日本昔話の教訓とは少し違うように思う。


見かけで人を判断したことが悪かったのではない。あのおっさんが良い人か悪い人かなんて、結局わかったものではない。

右も左もわからない、いたいけな十代の少年を、あの手この手で料理するつもりだったのかもしれない(まあ怖い)。


しかしそんなこともどうでもいい。

ぼくは単純に、決断することができなかったのだ。

当時のぼくには、手を出すべき領域と、手を出してはいけない領域の区別がついていなかった。

回る台がいい、というのは知っていた。

高設定に座れば勝ちやすいというのも知っていた。

目押しもできた。何となくだけど、ヘソや寄り釘を比較することもできた。
 

が、優先順位が定まっていなかったのだ。落ち度はただ、それだけである。
一言聞いてみればよかったのだ。「本当に、いいんですか?」と。 


あの時のぼくは、目の前に突然現れた餌を食いつけずに後悔する魚だった。それが食料なのか、あるいは罠なのか、まったく区別がついていないのに。

体が硬直してしまい、結果的にそれが機会を損なっただけだ。別にそんなに騒ぐほどのことじゃない。

当時のCR機は、ほとんどすべてと言っていいほど大当たり確率が1/315.5、出玉がおよそ2000発、1/2で確変の台ばかりであり、交換率は2.5円の確変無制限(通常大当たりは一回交換)が主流だったから、おそらく確変が続いたとしても、せいぜい1~2万円くらいのものだろう。 


結局のところ、当時のぼくは、そのくらいの金額で我を忘れてしまったのだ。
だから、たとえ確変中の台をもらって1~2万を得たとしても、いずれそのお金はどこかに回収されていた。早いか遅いかの違いでしかなかったのだ。

もちろん、ぼくは金額の問題で我を忘れたわけではない。損をした、と思う心に囚われてしまったのだ。 でも、その損というのは、その程度の損なのである。

そもそも損ではなく、おっさんのただの都合である。 ぼくには全然関係のないことなのだ。その権利はぼくのものではなく、おっさんのものであり、ぼくが考えなければいけないのは、ぼくの権利であり、自分の都合である。


好意は受け取ればいい。悪意ははねつければいい。

だけど、それを決めるのは常に自分でなければいけない。


決断というのは、それほど難しいことじゃない。優先順位さえ定まっていれば、それだけで可能なことである。


ヨーイドンのかけっこで、今のぼくが十代の自分に勝つことは難しいかもしれない。いや、おそらくは不可能だろう。でも、過去の自分を超えることは、何歳でも可能なことだと思う。それが人間の可能性ではあるまいか。
老いることの数少ない喜びであり、希望ではないか。

 


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