ある日、気づく。

人間って実は視野がすげえ狭いのかもしれない、と。

「哲也―雀聖と呼ばれた男」というマンガの中で、房州さんというキャラクターがツバメ返し(積み込み)をやっているのを見て、ふと思ったのだった。

基本的に雀荘にいるのは海千山千のツワモノのはずである。にもかかわらず、あんなイカサマが使えるなんて(それが史実にしろ、フィクションにしろ)なにがしかの真実を伝えているのではないか、と。


そう思ってからというもの、ぼくは目線に気を遣うようになった。


難しいことじゃない。単純に目線を上げるだけである。自分の配牌を凝視するのではなく、人の動きを見るのである。

もちろん、イカサマをするためにではない。麻雀とは四人でやるゲームであることを、再認識するために。


この行動(とりあえず、ルックアップと呼んでみよう)を実行するようになってから、こと麻雀に関しては格段に負けにくくなった。

なぜか。できる限りルックアップをしない人間と打つようになったからである。

自分のことしか考えていない打ち手と、他者の存在を意識している打ち手では、やはり技量が変わってくるものである。


時間が過ぎる。

場所が変わる。


パチンコ屋に入る。どこを見る? 

ホールに転がったパチンコ玉? 落ちているコイン? ゲームカウンター? 打っている人? 店員? コーヒーレディ?


模範解答を書いてみる。


「すべてである」


では、すべてを見ている人は、どうしてすべてを見られるのだろうか?


それは、分析できるものだけを選択して見ているからである。



ルックアップする(ここでのルックアップは、前後左右に目を配る、というような意)というのは簡単だ。



が、あらゆるものに目を配るというのと、その情報をどう生かすか、というのはまた別の話であり、別のスキルである。しかしそのふたつを統合しない限り、常勝は望むべくもない。


ギャンブルとは畢竟、生きるか死ぬかのサバイバルであり、油断した人間から脱落していくデスゲームである。だからこそ、その前の心構えとして、可能な限りルックアップ。


以前、スロハイのまちゃさんが、ご自身のブログのコメント欄で、こんなことを書いていた。


勝てる可能性が高いことをやっていれば最後に勝っている確率が高い。

負ける可能性が高いことをやっていれば最後に負けている確率が高い。

精度と試行回数が伴えば上でそれなりに安定できる。



これは、ギャンブラーがどこを見ているかについての話でもあるだろう。
パチンコやスロットが、とかくヒキに左右されやすいギャンブルであるからこその金言である。


勝ち負けに一喜一憂するのではなく、

ヒキによるぶれ幅を思い煩うのでもなく、

重要なのは目線である、と、ぼくは思っている。


上を向いて歩こう。

 

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