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第三十一話「我、再びインタビューに応ず


久々登場、インタビュアーさん。誰なんでしょうか、この人は。


失礼な人ということは間違いないのですが。

ただ、こういう、身も蓋も中身もない会話って好きです。

どこにもつながらない通路を歩いているようで、非建設的で。余暇時間はこうあるべきとすら思います。

人と会話することが少ないからなんでしょうか?




第二十六話「博打の才能とは何か


才能と現実について、HUNTER×HUNTER に出てくるモラウさんがいいことを言っています。


「ボウズ。念同士の闘いに『勝ち目』なんて言ってる時点でおまえはずれてるんだよ。相手の能力がどんなものかわからないのが普通。ほんの一瞬の弛み・怯みが一発逆転の致命傷になる。一見したオーラの総量が多い少ないなんて気休めにもならねェ。勝敗なんてたゆたってて当たり前。それが念での戦闘…! だが…、それでも、100%勝つ気でやる!! それが念使いの気概ってもんさ」(19巻より。句読点は寿。揺蕩っててをひらがなに変換)



才能があっても、爆砕したら意味がありませんよね。ライフゴーズオンです。

第二十七話「後悔なんて意味ないのだ


風邪前兆モード突入記念作品。
どうしても、目覚ましをかける自分と目覚ましを止める自分では、 止める方の立場が強くなってしまいます。同じ自分なのに不思議ですよね。



第二十八話「ノドイタス現象の襲来


何なんだろうか、このわけのわからないタイトルは。


現象が、襲来?


わけわからん。


でもまあ、このふわふわした感じは素面ではぜったいに出てこないものですし、つまらないことを書いてはいるけれど、別に酔っているわけでもないので、インプロビゼーションということにしておきましょう(病人には甘め)。

ノドイタス現象ゴーンを祝して。




第二十九話「人の不幸について


ロシアの文豪、トルストイは「アンナ・カレーニナ」の冒頭でこんな文章を書いています。

「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はそれぞれに不幸なものである」と。

ということは、不幸とは、哀しみの形態というよりも、人間性、個性のひとつではないでしょうか。
逆に言えば、幸福はお金のように個性のない、面白みのないものと言えるかもしれない。
人間不思議なもので、決定的に不幸な人が幸福になると、こっちも幸せな気分になるのに対し、浮かれに浮かれた人が堕ちていくのは下卑た喜びを感じる。何ででしょうか。

仇討ちものや、股旅ものといった、日本人に好まれてきた物語形式はだいたいそうです。
類型的に不幸な人間を搾取する類型的な悪者を、社会の主流派ではない一種のアウトローが、天に代わってお仕置きをする。

このような物語は、時代の変わり目というか、分厚い中間層のない、価値観が画一的でない、共通の敵がいない現代という時代ではなかなか難しい。
その分、物語ではなく、ヴァーチャルの世界に憂さ晴らしが集中しているような気もします。敵がいなけりゃという曲がB’zにありましたが、まったく敵がいない世界では、生物は集団生活が難しいのかもしれないですね。


卑近な例で申し訳ないのですが、去年の7月~9月の間、北斗の拳転生の打ちごろの台(宵越し中心)をおよそ21000ゲームほど打ち、初当たり確率が1/240を切り、そして、八万ほど負けました。
これはざっくり言って、設定六を三日間打って負けるみたいな確率です(ざっくりですよ)。初当たりは上ぶれ、獲得枚数は下ぶれ、という状態でしょう。
これは不幸のひとつの形なのか、それとも、打つべき台を打てたというひとつの幸福を喜ぶべきか、迷うところです。
もちろん、確率を相手にする限り、こんなことは日常茶飯事なわけで、けれどそれを知覚する人間の感覚にとって二ヵ月ってけっこう長いわけで。
まあ、これはギャンブル全般そうなんですが、的中率がいいものは回収率が低く、回収率が高いものは的中率が低い、という、ごくごくあたりまえの現象なわけで、しょうがないのですが。


第三十話「死ぬべき場所


我ながら、しちめんどくさい文章を書いたなあと思う。

言い換えたり、噛み砕いたり、蛇足を付け足せば付け足すほど、迷宮にはまっていく。

でもギャンブルって、そういうことなんだと思います。

やらなければやらないにこしたことがないし、ギャンブルをやる以上、片足を棺おけに入れていることを常に意識しなければいけない。
それでも明日は迎えたい。 

ひとつだけ言えるのは、出遅れは恥じゃないということ。

得をしていないかもしれないけれど、損はしていない。周りが大騒ぎしていたとしても、自分まで騒ぐ必要はない。

それよりも、自分の声で周りの声が聞こえないほうがぜったいにまずい。

これに乗り遅れたらヤバイというあせりや不安を抱えていては、仮にその波に乗れたとしても、いつかやってくる大波に呑み込まれるような気がします。

死んでさえいなければ、また立ち上がれると信じています。
死に場所を見付けた人間の戯言かもしれませんが。
 


さて、先週は、雪の余波からウイルスの侵攻をゆるし、ひどい目に合いました。寒い夜にガバガバ酒を飲んで薄着で寝てしまう自分が悪いのですが。 

ともあれ、引き続きバジリスク絆を中心に打っていました。


設定狙いをしている人が、去年に比べて増えたような気がします(ハイエナオンリーがきついという証拠なんでしょうか)。ちょっと前だと小役カウンタの存在で一目瞭然でしたが、最近はよくよく観察してみないとわからないですよね。

4号機中盤の頃は、それこそぶん回し&目押しの正確性だけで102~105%程度の台が毎日打てたわけで、したがって、しぐさだけで、その道の人かどうかが一目瞭然でした。データ機がない店も普通でしたし、コインは自分で勝手に流す店も多かった。
スイカを一回取りこぼしたら電車に乗らずに歩いて帰るっていう気合の入ったスロッティアンもいました。15枚役が多かったですし。小役補正機能ってのもありましたが。


スロットの場合、技術介入と知識介入のどちらが難しいかと言うと、どっちもどっちですが、精神的にきついのは後者な気がします。
技術介入は入り口は狭いけれど(誤差のない目押しを覚えるまでの時間)、出口が広い(気の許す限りぶん回せばいい)。知識介入は入り口は広いけれど(とっつきやすさ、スマホさえあればいい)、出口が極めて狭い(ヤメ時がピンポイント)。もちろん、機種の性質にもよりますし、大量獲得機のビタ押しのプレッシャーはけっこうなものでしたけど。



最後に大好きなリーチ目をドン。

DVC10003
ミサプラハズレ ビーナスセブン

今週も頑張りまスーバニの単チェリーも捨てがたい(今のオリンピアはどうした!)。 

 

寿from 1990’sズレ目




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