DSCN1170

我々はとかくものを所有したいという欲求にとらわれる。あまつさえ、人と人との関係性さえも。


その欲求から逃れるのは並大抵のことではない。

たとえばルパン三世(fromカリオストロの城)であるとか、阿久津丈二(from代紋take2)であるとか、ダイ(fromダイの大冒険)というような超人だけが、そのくびきから逃れられるのである。


ギャンブルにあてはめると、この心情はわからないでもない。

「使った金返せよお」という叫びである。


が、ぼくはぼくの中にもあるこの心情が許せない人間である。それはぼくの仇敵、「嫉妬」と「後悔」をたやすく呼び寄せるからだ。


所有とは幻想である。
ぼくはそう思っている。いや、思おうとしている。お金も、車も、人間関係も、地位も、名誉も、何もかも、いつかは消えゆく運命にある。

祇園精舎の鐘の声も、沙羅双樹の花の色も、一生一緒にいようと誓い合った彼女も、おれたちは兄弟だ、と杯を交わした親友も。


ストーカーやリベンジポルノといった社会的な問題も、この所有欲に端を発していることは想像に難くない。


我々は何かを持って生まれてきたわけではない。

そりゃ授乳者の乳房を握るくらいのことはするだろう。生きるために必要なものは掴めばいい。が、それは自分だけのものじゃない。

他の誰かもそれを求めている。そしてやっかいなことに、その相手は往々にして、既得権益の保持者としての父である。

それがエディプスコンプレックスのはじまりであり、社会的な生き物である人間は、思春期にそこを悩みに悩んで相克し、大人になるはずである。


ギャンブルに挑むにはまず、大人にならなければいけない。自戒の念をこめて、そう思うのである。 


にほんブログ村 スロットブログへ
 banner
人気ブログランキングへ