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気持ちを切り替えるということが、スロットを始めた頃からのテーマだった。


けど、何年経ってもなかなかうまくできなかった。

で、考えてみた。切り替えよう、切り替えよう、とはやる気持ちそのものが、硬直につながってしまっているのではないか、と。


次に考えたのは、過去など存在しない、ということだ。失ったものや過ぎ去った時間を戻すことはどうやってもできないのだから、後悔は無意味だと、そう思うようにした。

しかし敵はなかなかあきらめなかった。


で、こっちがあきらめることにした。

土台、喪失から逃れる術はないのだ。熱は冷め、輝きは褪せ、形あるものはみな滅ぶ。エントロピー増大の法則である。


が、諦観のみで人生をやり過ごすのは難しい。どうすればいいのか。


悲しみは、沈む、あるいは落ちる、と表現される。

喜びは、上がる、あるいは(天にも)昇る、と表現される。

地球上において、我々は重力に支配されている。

ジェットコースターに乗ればすぐわかるが、上がるのは大変だが、落ちるのは一瞬なのだ。

悲しみが深いからといって喜びが増大することはないけれど、喜びが大きければ、その分、確実に悲しみは深まる。


だったらしょうがない。地にへばりつくしかない。
ぼくは勝利を尊ばないことにした。
ここで人生が終わるのならば、たしかに今日の勝利は喜ぶべきなのかもしれない。が、勝負が続いていく以上、喜んでばかりもいられない。勝ってかぶとの緒を締めよ、である。
そうだ。
これこそまさにコペルニクス的転回ではないか。

勝利の喜びを最小限度にとどめ、敗北の悲しみを緩和させようとしたのだ。
 

……冷静に考えてみると、哀しい試みだな、と思う。  

嗚呼、何て哀しい試みなのだろう。すべてはぼくの負けず嫌いのせいだ。嗚呼。
 


しかしそもそも人生は哀しい。

それは人間が死をあらかじめインプットされた存在だからだ。

ただ、こういう風に考えることだって可能だ。

この世界において、生きたいとか生きたくないという意志で、人生を送る権利が得られるわけではない。
 

だったら、生きているだけで儲けものなのである。
 

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