どうも、寿です。日曜日のお目汚し。週間我評です。
第八話「我、スランプに陥る」
今は我慢。
今は我慢。
今は我慢(今月の稼働内容と結果が全然伴わない人の愚痴)。
風はどこかで吹いている。
第九話「また見つけた! 何を。自分を。」
たしかに、自分探しという言葉には、黄金郷や失われた大陸と同じくらいの魔力があります。
が、黄金郷や失われた大陸が見つからなくてもしょうがないで済みますが(出資者以外は)、自分が見つからないとなると、これは問題です。
メガネを頭の上に乗せながらメガネを探す人のような問題です。
自分が見つからないと言ってその自分がイライラするのって、ぜったいおかしいですよね。
自分らしい、または、自分探しという言葉がおかしいのかもしれない。自分にとって快い状態、またはその状態を探る、と言うべきではないか、と。
ギャンブルをすると自分の嫌な面がたくさん見えてきます。
自分自身と向き合って、これで負けたらしょうがない、と腹をくくれない限り、ギャンブルに手を出してはいけないと思います。
台をぶん殴ってお金が返ってきたという話は聞いたことがありません。
かく言うぼくは、負けるたびにくよくよします。明日が見えねえ、とかひとりごちてしまいます。ダメですね。本当にダメな子ね(と誰かに言ってほしい)。
第十話「言いたいことを言えるこんな世の中は」
それにしても、どうして携帯ショップっていつもいつも混んでいるんでしょうか? 大人になってもよくわからないことのひとつです。
けれどもやはり、こんなろくでもない大人の頭で考えても、平和が一番です。こういうブログのひとつひとつに検閲が入ったらどんな気分でしょうか。
誰かを恨んだり、イライラして生きていくのは嫌だな、と思います。
勝つも負けるも、生きるも死ぬも。
第十一話「嘘」
あまりに盛り上がってしまって、バイトか何かの時間に遅れてしまったんですかね。
うらやましいですね。
ラブホテルの看板に書かれた「休憩」「宿泊」という二種類の料金システムに、小さい頃すごい疑問がありました。大人に質問したことはありませんでしたが。
もっと小さい頃、ラブホテルの駐車場で遊んでいて、大人にえらい剣幕で怒られた記憶がそうさせたのでしょう。まあ、おかげさまで、子どもに対して怒ってしまう気持ちも何となくわかるようになりました(おめでとう)。
第十二話「メロンソーダは何の味?」
何の教訓も隠喩もないエピソード。
でもさすがにこれだけ年月が経つと(あれはシドニーオリンピックの年でした)、忌々しい思い出も、清々しいものに、そう、今となってはメロンソーダのような青春の味に、なっていません。
でも、あの後の展開が逆で、連チャンが止まらないよお状態だったら、あの女性のことを女神と思っていたに違いない。それだけはたしかです。
人間って何と経済に依存した浅ましい生き物なんだろう、という実例ですね。
どうでもいい話ですが、「きれいそのままそっくりすべて」っていうフレーズが書いていて気持ちよかった。変な日本語だけど、短篇小説のタイトルにできそうだな、と。実際問題、べとべとから開放された瞬間でもあるわけだし。金銭的には負けているわけだけど。
そういや紙コップの自動販売機のある店って減りました。正直ドリンクホルダーもけっこう危険ですよね。トラブルにならないよう、ジュースの扱いにはくれぐれも気をつけましょう(あ、教訓だ)。
第十三話「スランプの続き」
書くこと、賭けること、というこのブログのタイトルですが、
ぼくはすでに自分の命をベットしてるつもりです。
他の可能性はもういらない。
にもかかわらず、些事でくよくよしたり落ち込んだりする。何でだ!
とはいえ、結果が出ないと落ち込んでいるうちは、まだまだスランプのスの字にもたどりついていないのかもしれません。
逆風くらいでめげてはいけない。
本当のスランプは無風の穴の中の孤独でしょう。
ポール・シュレーダーという脚本家はこんな言葉を残しています。
「(映画の)ストーリーの種類は二つしかない。
ひとつは、人間が穴に落ちて、そこで死ぬ話。もうひとつは、人間が穴に落ちて、そこから這い上がる話」と。
死のうが這い上がろうが、どっちだっていい。
しかし穴に入らなければ物語に至れないのなら、喜んで穴に飛び込もうと思っています。
さて、先週で自己紹介週間は終わったということで、タイトルから我をとっぱらってしまいました。
ごくごく飲めるような文体を心がけたつもりですが、べとべとした文章になってしまった感は否めません。
ただ、今何飲んだっけ? と忘れられないよう、後味にとっかかりやひっかかりを残したいとは思っております。せめて胃もたれしないものを書きたいのですが。
今週もがんばりまどかマギカ(のキュウべぇの論理感が嫌いじゃない)。
寿theすらんぱー
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