書くこと、賭けること

どうもはじめまして。スロ小説家のブログです。

すべての書かれたもののうちで私が愛するのは、自分の血で書かれたものだけだ。
血で書け。そうすればきみは、血が精神であることを経験するだろう。

フリードリヒ・ニーチェ 永井均訳
「ツァラトゥストラはこう語った」
読むことと書くこと、より

2017年09月

推定モードDからチャンス目3発。BT(ほぼ)確定状態からオールベルストック、継続率66%BT開始!

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昨日は大岡昇平の漱石ディスを紹介したが、今日は、戦争文学のスペシャリストにリスペクトを表したい。ということで、大岡昇平の代表作、「野火」の書き出しを、見てみよう。



 私は頬を打たれた。分隊長は早口に、ほぼ次のようにいった。
「馬鹿やろ。帰れっていわれて、黙って帰って来るやつがあるか。帰るところがありませんって、がんばるんだよ。そうすりゃ病院でもなんとかしてくれるんだ。中隊にゃお前みてえな肺病やみを、飼っとく余裕はねえ。見ろ、兵隊はあらかた、食糧収集に出動している。味方は苦戦だ。役に立たねえ兵隊を、飼っとく余裕はねえ。病院へ帰れ。入れてくれなかったら、幾日でも坐り込むんだよ。まさかほっときもしねえだろう。どうでも入れてくんなかったら――死ぬんだよ。手榴弾は無駄に受領してるんじゃねえぞ。それが今じゃお前のたった一つの御奉公だ」
 私は喋るにつれて濡れて来る相手の唇を見続けた。致命的な宣告を受けるのは私であるのに、何故彼がこれほど激昂しなければならないかは不明であるが、多分声を高めると共に、感情をつのらせる軍人の習性によるものであろう。情況が悪化して以来、彼等が軍人のマスクの下に隠さねばならなかった不安は、我々兵士に向って爆発するのが常であった。この時わが分隊長が専ら食糧を語ったのは、無論これが彼の最大の不安だったからであろう。


なぜ、この主人公は、戦場にいながらにして、こんな視点を持てるのだろうか? 読者は、胸のうちで突っ込まざるをえない。「おまえも兵隊だろうが」と。
そう、当時はまだ、標準語(日常会話)として定着はしていなかったが、これはボケである。お笑いの、あるいはボケとツッコミの構造について、明石家さんまは「緊張と緩和」というような言葉で説明しているが、ボケとは、ある種の緊張状態を引き起こす言葉である。先日触れたように、「誰やねんおまえ」というのが、読者の基本姿勢であるとして、ボケはその有効な回答である。プレゼンテーションとしても。

ただし、当の主人公は、命賭けである。この主人公は血を吐いてしまうくらいのフィジカルコンディションであり、戦闘は難しい。がゆえに、(野戦)病院に向かう。しかして入院し、3日後、治ったから隊に戻りなさい、と言われるも、隊に戻ると、治ってないじゃないか、5日分の食糧をもらったのだから、後2日は戻ってくるな、と言われる。くりかえすが、これは、戦争のさなかのできごとである。まこと、末期的状況なのだ。

末期的状況といえば、パチ屋である。お笑いにおけるツカミと小説の書き出しの符号について、語り足りない気持ちもあるが、(強引に)稼動に行かう。どこへ? 戦場へ。

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蒼穹のファフナー、出撃クライマックス3連チャン、そして超絶上乗せゾーン『倍倍ゲーム』突入



小説における書き出しとして、または最先端のトレンドである(ここでだけ)「人称問題」を考えるにおいて、夏目漱石の「我輩は猫である」を取り上げたい。

 我輩は猫である。名前はまだない。


この書き出しのインパクトは尋常ではない。「我輩」というのは、小さな子どもが使うような一人称ではない。むしろ尊大の色が強い。その尊大な人物が、自らを猫と言う。しかも、名前がない、とこう来るのである。人間なの? 猫なの? 猫だとすれば、どんな猫なの? 一行読んだだけで、先が読みたくなってしまう。

夏目漱石「我輩は猫である」(青空文庫)

しかし、この大発明のごとき書き出しに、戦争文学のスペシャリスト、大岡昇平は、

 小説にはまた一人称の小説(日本のいわゆる「私小説」はその一種です)というものがありますが、人物が幕の前に出て来て、前口上を述べるような調子ではじめることがあります。 

 我輩は猫である。名前はまだない。漱石「我輩は猫である」
 親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりして居る。漱石「坊ちゃん」

 のようなふざけた口調は比較的簡単ですが、

 今日、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。養老院から電報をもらった。「ハハウヘノシヲイタム、マイソウアス」これでは何もわからない。恐らく昨日だったらう。カミュ「異邦人」(窪田啓作訳)

 のようなモノローグは、声も低いような感じで、少し複雑になります。

大岡昇平「現代小説作法」より


と、刺身のツマ(カミュを上げるためのフリ)的な評価しか与えない。

昭和の誇る文才、大岡昇平については、また明日触れるとして、私、寿が漱石の「自らを我輩と呼称する猫」に感服する理由の一つに、「プレゼンテーション」という、極めて現代的な視点がある。糸井重里が、「紅の豚」のコピーの仕事を受けた際、「紅の豚というタイトルが最高のキャッチコピーですね」というようなことを語っていたが、小説の書き出しも、コピー、ないしプレゼンテーションのひとつなのだ。蛇足ではあるが、漱石ファンの宮崎駿のこと、紅の豚というタイトルは、おそらく「我輩は猫である」の血脈(またはエッセンス)を幾ばくかは引いているだろう。意識するにしろ、しないにしろ。

物まね、剽窃をせずに表現はできない。言葉、絵、音楽、どんなジャンルであれ、先駆者がいて、先行作品の影響をまったく受けずに作品をつくることは難しい。とはいえ、パクリは問題である。しかし取り込み要素(キャッチ)は必要である。というわけで、本筋ではない部分で、ほんの少し借りるという技術が発達する。それも、同ジャンル以外から、少なくとも別の文化圏から借りてきた方が、好ましい効果が得られるように思う。たとえば、エヴァの主人公のクラスメイト、鈴原トウジと相田ケンスケは村上龍の「愛と幻想のファシズム」のメインキャストから名前を借りていているが、ポストエヴァ世代のロボットアニメであるエウレカのアネモネも、同じく村上龍の「コインロッカーベイビーズ」から名前を借りている。これは真似の真似、また借りが成功したパターンである。ナウシカという名前の主人公のアニメがポピュラリティを得るのは難しそうだが、20世紀最高の小説家の一人、フランツ・カフカの名を借りた村上春樹の「海辺のカフカ」は最高の長篇小説である。愛のあるサンプリングは、足し算を掛け算にしちゃえという錬金術なのだ。

「書くこと、賭けること」は、小説(文学)とスロット(ギャンブル)を足しちゃえというコンセプトのブログである。どうぞお見知りおきを(自己紹介)。

稼動へ。

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蒼天2とかいう足りない台

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どういうわけか、毎年、体のあちこちが変調を訴えるようになった。何でだろう? 年齢か、生活習慣か、去年は原因不明の背中の痛みに悩まされ、病院で検査を重ね、実験動物のごとく内臓に効く(であろう)様々な薬を飲み、胃カメラまで呑んだが原因はわからず、どういうわけか、数ヵ月後、ウソのように治った。今年はというと、胸の異変があった。ドキドキ、心臓の比喩としての胸ではなく、燃えるような食道の痛み。つまり、胃酸が逆流し、食道を侵食しやがるのだ。

とはいえ、去年と違い、原因がわかっているのが救い。食道を荒らしまわるギャングの元締め、胃酸さん。彼らが出張ってくるのは、ひとえに、日々のカフェイン、アルコール、強炭酸水のせいである。チンピラめ。だけれども、これらは人生の、あるいは文章を書く際のショバ代である。儲けるためにパチスロを設置したはいいが、ハイエナに困るパチ屋経営者の憂鬱みたいなもの。何事も、プラスの側面があれば、マイナスの側面がある。差し引きプラスならよくね、というのが、期待値という考え方である。

かくいうこの文章も、珈琲をおともに書いている。ああ、そうか、香りだけで満足できるようになればいいのか……、と言ってできるかー、と発狂しかけるのが中毒者。つかず、離れず、たゆたえど沈まず。ほどほどに付き合わねば、という、月並みな結論に落ち着く次第。

さて、稼動へ。

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北斗の拳! 新伝説創造 初打ちにて、バジリスクタイムのようなART連チャンを味わう

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who am I? しつこく私について。

なぜ、私が~という文章がしっくりこないかというと、根本原理として、他人の自己主張を快く思えない生き物なのだ。たぶん人間は。少なくとも私は。

「私は今日、スロットを打った」

だから何? と自分で書いて自分で思ってしまうのだ。誰やねんおまえは、と。

誰やねんおまえ? 男性における一人称の問題である。

日本の男性における、支配的な一人称は「オレ」だろう。ご多分に漏れず私もそう。

一人称「私」へのつまづきの一つには、口語ないし自己認識において、「オレ」と思っている人間(つまり私)が、あえて「私」という文章を書くことの、気取りに対する「イラ」がある。

「僕」という一人称は、その「イライラ」は痛いほどわかりますぜ、アニキィ(アネキィ)。貴兄(貴姉)のしもべである僕は、大それたことは申しませぬ。些細なことを語るだけでございます。どうか、どうか、聞いてやっておくんなまし。

……ふむ。読んでやるか。というのが、「僕」の効能なのだ。

このブログでは、「ぼく」という一人称で物事を語っていた。そのことにだって違和感を感じてしかるべきだった(だって自分のことを「ぼく」とは呼称していないのだから)。気取りなり、へりくだりなり、多少なりとも自分を飾っていることに、ええんかこれで? と思わなくてはいけなかった。それを思わずに文章を書き連ねてきたということは、この場所に、立ち居地に、慣れてしまったということだ。

慣れるのはいい。安住するのがまずい。というわけで、私は、へりくだるのをやめようと思う。気取るのもやめようと思う。ただ、それだけだと、偉そうなやつがここにいるぞー、逃げろー、もしくは攻撃しろー、という逆オレオレ詐欺の憂き目にあってしまう。が、「私」には、気取りも、へりくだりもない。ゆえに、逃げられても、攻撃されても、痛くない。……ちょっと悲しいくらいだw

さて、字数が尽きた。稼動にまいろう。
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バジリスク絆、絆高確無限モード突入?

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私……。まいったな、全然慣れない。

「日本とは何か?」を追い求めた民俗学的フィールドワークの祖、柳田國男は、そのうち、僕という人称はなくなるんじゃないか、というようなことをどこかで書いていたが、そもそもの話、「ぼく」の語源は僕(しもべ)であり、すなわち、ちっぽけな存在でござんすよ、というアッピールである。おもくそ、ヘリクダッテいるわけだ。わたすは謙虚でありんすよ、ということを満天下に知らしめているわけである。

どちらかといえば、俺という一人称の方が、等身大の表現に思うが、おれが、オレが、俺が、ががが、という文章を書く人の文章を読みたいかと言ったら、疑問符たちが小躍りする前に、shut the f●●● upという放送禁止用語が飛び出してくる。

私は、スロットを打っています。というところから始めるしかないのかな、と思う。続きを読む
作者 寿
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ふと思う。スロ歴ってどれくらいなんだろう? 今年で20年? そんな経つ? ピーいれたいね。スロットばっか打ってるわけじゃなくて、普段は小説書いてんすよ。ちっとも売れないけどね。つうか売ってないしね。けどこのブログだと読めんすよ。フォウ!

ブログポリシー「my rights sometimes samurai!」
当ブログは、寿という人でなしが小説を書くなかで、
また、スロットを打つなかで、
はみ出たものを一所懸命につづったものです。
基本的に毎日更新してはいますが、
毎朝グビグビ飲めるというほどあっさりした、
また、健康的な文章ではありません。
油ギトギトのラーメンというほどではないと思いますが、
胸焼け、食あたりを起こす可能性がある由、ご留意くださいますよう。

また、コメントは大歓迎です。
引用ももちろん大歓迎ですが、引用元の記事を明記していただけると幸いです。
それでは今日もはりきって行きましょう! どこへ? パチンコ屋へ。
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