「太宰治展」に行ってきた。
率直に言って、愉しい時間だった。
中学生の頃のノートや教科書に書かれた落書きなど、まさに厨二病最前線の遺物。さすがにこんなのまで公開するなよな、と本人は思ってるだろう(太宰さん笑ってしまってすいません)。
顎に手を添えた芥川龍之介の有名な写真(超かっこいい)を真似た高校生の頃の太宰の写真(超かっこわるい)など、「うっわ、おれ調子乗りすぎじゃね?」と草葉の陰で後悔必至なものまで展示されている。
そうこうしているうちに、がっつりと太宰治の世界に取り込まれていることに気づく。
一言で言えば、人間太宰を「好きになって」しまうのである。津島修治(太宰の本名)、その人を、である。
太宰を読んで鼻につく「露悪趣味」的な部分(嫌な人は大変嫌がる)が、実は彼の目指すエンターテイメントであるように、ひとりの作家を包括的に示す展示を見て、我々観衆は、太宰治という人生にエンターテイメントを見るのである。
太宰治は、人生最後になるエッセイの構想メモで、したり顔で自分の作品を批評する老大家たちを断罪するために、こんな言葉を書き記している。
「君たちには、わからない事が、ないからダメだ」と。
こんな(言い方は失礼かもしれないが)カワイイ反論があるだろうか? さすがに本稿では言葉を変えていたけれど。
そう、おそらく芸術家は、わかることではなく、わからないことをこそ、書くべきなのだ。わからないもののみを見つめるべきなのだ。となると、太宰は、自分という存在が、もっとも不可解で、奇妙で、たぶん愛すべきものだったのだ。自分で自分を壊してしまいたくなるくらいに。
展示室を出て、十数年ぶりにガチャガチャをやったら、こんな缶バッチが出てきた。
”誰か僕の墓碑に、次のような一句をきざんでくれる人はないか。
「かれは、人を喜ばせるのが、何よりも好きであった!」”
太宰治「正義と微笑」という作品の一節である。
5月25日まで横浜で開催しているようなので、興味のある人はぜひ。
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