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どういう人と一緒にいたいかを考えてみると、「肯定」してくれる人に尽きるのではないか。

「否定」ばかりしてくる人と一緒にいて楽しい確率は低い。これまたお得意の確率論である。

ただ、ギャンブラーとしては、問題は常に他者ではなく自分にあって、すなわち、自分が「否定」する/される可能性について考えないと、人付き合いがままならない。

そもそも生き物は、「老い」を否定し、「若さ」を肯定する傾向がある。

フレッシュジュースと、腐りかけのジュースでは価値が違う。腐敗も化学変化の一種であって、同じような化学変化に「発酵」や「熟成」がある。

大豆と納豆の違い。牛乳とチーズの違い。牛乳とヨーグルトの違い。10年もののウイスキーと30年もののウイスキー。

ほとんどの場合、後者の方が価値が高い。

しかしそれは、発酵、熟成という化学変化に加え、「手間」「商品化」という付加価値が加わっていることが大きい。選ばれた原酒(原材料)、厳選された樽(器)、温度湿度を一定の範囲に限定した貯蔵庫(工場)という環境があって初めて可能な価値を、自分に置き換えるのは無理がある。

おおよそあらゆる分野において、「若さ」に軍配が上がる確率が高い。まずはここを確認しなければ、何事もままならない。

20歳、高身長、高学歴、イケメン、資産家の息子。

嫉妬以外で彼を否定するのは難しい。しかし、この中で変化しないものはひとつもない。年齢(特に見た目年齢)は変化するし、身長は縮むというよりも、二足歩行できなくなる可能性があり、アップデートのない知識は知ってるつもり、とどのつまりは老害、イケメンの定義は時代によって変わる。資産は当然変化する。

変化するもの、しないもの。ぼくは変化するものを追いたい。でなければ、生きていて面白くない。じゃない?

人間は不思議なもので、自分と違う思想を持っている人を見ると、自分が否定されているように感じるものらしい。

たとえば、変化を避ける人が、変化し続ける人を見ると、自分のことを否定されていると考えてしまうというような。では、その人に嫌われないために、変化を恐れる人になるべきなのか。

たしかに、嫌われるのは嫌だし、辛い。

だが断る。そこだけは否定しなければならない。どうあってもこの勝負、腐って敗れるわけにはいかないのだ。

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「寿という言葉は経験による人の円熟という意味に使われていた」
「成功は、遂行された計画ではない。何かが熟して実を結ぶ事だ。其処には、どうしても円熟という言葉で現さねばならぬものがある。何かが熟して生れて来なければ、人間は何も生むことは出来ない」

小林秀雄「考えるヒント」より