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いやまあ何ですな、四月が終わりますな。四月が終わるってえことは、五月病の季節ですなあ。おそらく五月病の集団発症はもう少し先だと思うのだけど、先出しでマイナスの可能性を吐き出しておこう。

吉宗3でプレミアを引いた。
「十五代の夜」
上乗せ特化ゾーンである。良いか悪いかわからんが、687枚乗せ。何のかんのあって1465枚ゲット。今年度のMVP候補はこの吉宗と南国育ちの一騎打ちという感じ。打つ回数でいえば南国なんだけど、ATの楽しさは吉宗よね。

ところで、令和3年の男の子たちはどうやってあの恐ろしい十代の欲望を吐き出しているのだろうか。あんまり人に会えない。煙草、酒、薬物に対する締め付けきつい。その前に反抗カッコ悪い。喧嘩痛い。肉体の接触怖い。パチンコ麻雀やらない。てか飲酒も喫煙も賭博も犯罪でしょ? うーん。ネットの中で荒ぶるしかないのですかね。

普通に生活をしているだけで普通にイライラするというのが十代というもので、共通の話題(または傷)を持つ仲間がいたり、何か打ち込むものがあったり、追いかける対象があって初めて普通に(オレ今生きていると)感じるお年頃だと思うのだが、まあ、十代だろうが四十代だろうが普通に生活をしているだけで普通にイライラする構造は変わらない。おそらくそのようなやり場のない精神のはけ口として「祭り」というのがあったのだろうが、今はお祭りどころの騒ぎではない。

ということで、一人でできる祭りを考えようと思う。

「金枝篇」しかり、「無礼講」という風習しかり、祭りのポイントは、価値観の逆転だろう。

金枝篇は、王殺しを紹介した民俗学の本だが、ある村には聖なる木があって、そこに住む人間は、その枝を折ってはいけないことになっていた。が、奴隷的な身分の人間だけは折ってもよかった。その森には「森の王」という存在がいた。王になる条件は二つ。ある枝(金枝=ヤドリギ)を折ること。そして、今現在の森の王を殺すこと。

火祭りにしろ、御柱祭りにしろ、山車にしろ、だんじりにしろ、祭りには「破壊と再生」という構造があるが、普段してはいけないことをあえてする。タブーをおかす。というのが一種のルールであって、ただし、秩序を破ることで秩序の構築をうながす暴走モードは、祭りという限定された時間と空間でのみゆるされる。

何の祭りがいいかなあ。

ええと、ちょっといいですか? そのようなカオス、無秩序な状況では勝てないから、秩序をつくってそれをひたすら守るのがスロッターなんじゃないですか?

なるほど。何という正論を吐くようになったのか。まあたしかにそうか。人が発散したいときに我慢をし、人が撤退を考えるときに攻めあがるのがスロッター。

結論。スロッターは祭りこそ日常。五月病はむしろ稼ぎ時。

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