投資家と投機家と賭博者の違い⑧
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サステナビリティ(持続可能性)という言葉がここ十年ほどのトレンドであるが、こと賭け事においては、模倣可能性というのが最も大切な指標だと思う。これが企業であれば、模倣可能性を限りなく排除した商品(コアコンピタス)を目指すのだろうが、ぼくは違う。

味方が大勢いる人と、味方がいないか、あるいは極めて近い人だけという人の取るべき戦略は変わってくる。



ああ、松たか子の声のような素晴らしき武器がぼくにあれば、とも思うが、ないものをねだってもしょうがない。誰がやっても勝てることでなければ、ぼくにとって必勝法とは言えないのだ。

昨日書いたように、ギャンブルとは確率のゲームであり、ゲームを取り仕切っているのは、太陽が東から上って西に沈むようなルールである。今日東から上った太陽が明日南から上がって来る世界だとしたら、ギャンブルで勝ち越すのは文字通り無理ゲーになってしまうが、星々の運行は、毎日律儀に同じ動きを繰り返している。天候という差異はあれども、基本的なルールは共有できる。だからこそ、天候は予測ができる。

では、何をどう予測すればいいのか。

「人の行く裏に道あり花の山」

この格言は江戸時代のものだが、上の格言でいう「人」というのは、人間の基本的な行動パターンという意味であり(だと思う)、これはもう、スロットもFXもおそらく株も、仮想通貨も格闘技も戦争も、およそ人が戦う限り、基本原理は変わらない。

人の感情である。

人の感情には必ず偏りが出る。そして人の感情には限界がある。そこをつつけば崩れるというゾーンがある。パチ屋のシマを見渡してみると、そわそわしている人がいる。そわそわというよりも、明らかにイライラしている。姿勢は悪く、足が台ではなく、通路の方を向いている。なぜ彼がこのような姿勢で台を打っているかというと、台が当たらないからだ。この人は間もなく席を立つだろう。

以上のような予測の精度は割と高い。なぜなら、感情はそのような宙ぶらりんの状態に長く耐えられるものではないからだ。前だけを向いている人は強い。その台にまっすぐに向き合い、その姿勢が続く限りはその席をどかないだろう。

というような「読みのモード」こそが、パチ屋から持ち帰ることのできる最良の武器だと思う。そしてここが一番大きなポイントだが、この読みがたとえ外れてもぼくたちは別に痛手を負わないということだ。予測が外れたくらいでお金はなくならない。だから予測のみをたよってお金を賭けてはいけない。予測はあくまで補助的に使うべきで、スロッターが台を打つ根拠は常に第一に数字である。

つづく
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