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夢を見ることの利点は明白だ。物語になりやすい。物語になりやすいということは、人に紹介しやすいということだ。ぶれない視点は他者の共感を呼びやすい。

「禁煙するわ」と言った数秒後にタバコを吸っている人だったり、「決めた。ダイエットをする」と言ったそばからドーナツをあさる人は、物語の主人公になりにくい。おそらく、この類のだらしなさは人間のデフォルトであり、自分を見ているような心持ちになってしまうのだろう。だから物語では、夢に向かって一直線☝という人だったり、あるいは、尖っていたり、いきっている人物が実は犬に優しいというような描写をする。あるいは、禁煙できない、ダイエットできない、という登場人物が、最後に何か奇跡を起こす。ツンデレという印象の操作は、そう思いたい感情を利用した詐術に近い。ただしこの場合の詐術は、新自由主義的な考え方で言うところのウィン/ウィンの関係である。そのような物語を見たい。見せたいという思惑の一致がある。

夢は叶う、と夢が叶った人が断言するのは、夢を見ることによって、その人に何かいいことがあったからだろう。なぜオレが夢は叶うと言うか、オレがそうだからだ、と。しかしながら、あなたも王になれる、という王様がいるだろうか? まず、いない。王がいるということは、その国に他に王はいないという意味でもあるからだ。

多くの勝負事では、ゼロサムゲームという構造を採用しているが、たとえば球技では、相手の得点は、すなわち自分の失点であり、自分の得点は、相手の失点である。自分と相手が同時に得点する方法は、基本的に存在しない(リーグ戦の終盤における、勝ち点および得失点差の調整のためのどちらも攻めないという例はあるが、ゼロサムゲームを放棄する意志であり、お金を払って試合を見ている観客からはブーイングを受けたりする)。

同じように、参加者が全員勝てるギャンブルというのは存在しない。なになにキャンペーンという全員に特典のつく機会もあるが、あれはまき餌だ。まき餌だけ取ろうぜという考えもあるかもしれないが、他のエサには見向きもせずに、まき餌だけをもらうというのは、学校生活を終えた後でそのままホームレスを目指すくらいの意志の固さがないと務まらない。絶対に働きたくない鋼鉄の意志。まき餌以上は求めない欲のなさ。施しと知ってそれをもらう面の皮の厚さ。そんな人はまずいない。まずいないという人は、たくさんいる人に比べて生き残りやすい。逆説的ではあるが、そう思う。夢のない話だが。

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