KIMG4778

そういえば、Twitterのアカウントがあることを忘れていたので、久しぶりに覗いてみると、ひたすらひたすら「書くこと、賭けること」の記事がアップされたことを知らせるbotになっていて、リツイートもなければ、誰の閲覧もない。人が死に絶えた街で機械だけが奇怪な動きをしている終末の景色のようで、不思議に素敵な気分になった。どうも。デジタル廃墟の住人寿です。今日は土曜日。いかがお過ごしでしょうか。

説教をしたい人、あるいは結果で人を判断してくる人は、やたらと「それ、本気でやってるの?(本気でやってるはずがない)」という質問と答えがワンセットになった尖った言葉を使いたがるものですが、自分が本気であるかどうかを判別する簡単な方法がある。
「just do it」まずはやってみる。やってみないことには、本気であるかどうかはわからないし、「やっているという状態」にない状態でいくら想像しても、わからないことがある。

ただ、命綱というか、最終防衛ラインは引いておかないといけない。たとえば上を目指すという行為は、下に落ちる可能性そのものであって、落ちた後でまだ息があるならいいが、そこが底とも限らず、まさに板子一枚下は地獄であり、二度と浮かび上がってくることができなくなるかもしれない。

その板、あるいは命綱というのは、自分ではなく、他者だと思う。自分がどれだけ素晴らしいと思っても、自分以外の人が嫌がる可能性のあることは、do itしにくい。嫌われる勇気という言葉はあっても、他人を傷つける勇気を持っていいものかどうか。それから、発信という行為を行うと、なぜか自分が強くなったかもしれないという謎の自信が出てくるものなので、これにも注意をしなければいけない。

というのが、マイナス面であって、プラス面の一番は、当事者になれるということだ。人間には、当事者でないと気づけない何か(たぶん、脳のなかで何かが燃えないのだと思う)が多分にあって、そこで得られる最良のものは、自らの至らなさ、間違いや勘違いであり、インプットの消化不良に気づくことができれば、そのアウトプットは大成功である。なので、もしぼくが、ただただオレすげえだろ式のアウトプットを垂れ流していたら、教えてくださいね。
にほんブログ村 スロットブログへ
にほんブログ村