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時間が限られていることを教えてくれたのは祖母の死だった。それまでのぼくは、何かが終わったりなくなったりすることが想像もつかなかったのだ。今日は祖母の命日なので、来し方を振り返ってみようと思う。

「ギャンブルとは何だろう」ということについて、何年も何年も愚考と愚行を重ねてきたが、今の結論としては、「限られた時間をどう使うか」ということに尽きる。

ぼくの一日のギャンブルを書き出してみると、ざっと以下のようなものになる。

・文字を読んだり書いたり積んだり削ったりを『4時間』以上
・パチスロ兼有酸素運動に『3時間』
・瞑想、筋トレ、ストレッチ、トイレ、お風呂、掃除、家事などのメンテナンスに『1~2時間』
・小学六年生の算数、ニュースサイト、英語学習アプリ、将棋アプリ等といった趣味的インプットに『2~3時間』
・食事は3食『1時間』
・睡眠を『7~8時間』

これらの最大値を24時間から引くと3時間ほどが残る。この時間をどう使うか。正直、取っておきたい。しかし時間は取り置きが不可で、結局、惰性か刹那に散財してしまう。時間は限られていると言っているのに、ついつい時間を無尽蔵にあるものだと考えてしまうのは、「使う」という動詞を「消費する」ことに限定してしまっているからだと思う。

時間は、今、ここにしかない。だから今を目いっぱい楽しもう。そういう考え方もあるだろう。しかし使うという動詞は、もっと幅広い使用方法がある。たとえば、今を未来に「送る/贈る」おそらく、このことを勉強という。時間を使って今の自分に報酬(刺激とかお酒とか)を与えることもギャンブルであれば、未来の自分に報酬を送る/贈ることもギャンブルなんですね。練習でも、予習、復習でも、種まきでも、投資でも、言葉は何でもいいとは思うのだけど。

おそらく天才と呼ばれるような人は、ひとつのことに16時間なり18時間なり集中できるのだろう。そうすると、同じことを同じスタートラインから始めたとしても、その人は4時間しかしていないぼくの4倍以上のスピードで成長することになる。うらやましいとは思うが、ぼくはその他の時間で別のギャンブルをしているのだから言い訳はできない。悔しかったら、16時間なり18時間なりひとつのことをすればいいだけの話だ。

ともあれ、時間を使うことがギャンブルである以上、当然、負けることもある。2008年から1日4時間以上を12年。計算はしないが、無駄な努力お疲れ様、と言いたくなることもある。ある。だけどね、ええと、うーんと、17520時間という時間の名誉にかけて書いておくと、ギャンブルとはこういうことで、この時間でアルバイトをしていたら、時給1000円として1752万円。ワオ。とは思うが、ギャンブルである以上、負債が生じたからといって誰かのせいにはできない。この生活を59年ほど続けると、仮想アルバイト収支が1億円を突破する。あっぱれ。好きなことをやり続けた人生だった。



と、ラオウばりのエンディングを迎えるわけで、メメントモリ。自分がいついなくなるかはわからないけれど、そんな結末なら誇らしい。父方のおばあちゃんも母方のおばあちゃんも喜んで迎えてくれるはずだ。うん。
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