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祝! 書くこと、賭けること7周年。

スロットに触れるようになって以来、予想という行為をしなくなった。というか、できるだけ遠ざけよう、遠ざけようとすらしていた。それは、ぼくたちの前にある未来が、あまりに現実離れした――地球の裏側で起きた蝶のはばたきが竜巻を起こすような――巨大な確率、ファクターの化け物に思え、そんなギャンブル性の高い山を登ろうとするよりも、予想するまでもない低いヤマをコツコツ積み重ねた方が建設的ちゃうか、というスタンスでおったのですね。

ですが、ようよう考えてみると、オレ文系だから数学必要ねえ論と同じ類の思考停止かもな、と。スロットの期待値を追う(限定する)うえでは有益でしたけど。

予想という行為=ギャンブルは、たしかに当たる確率が低い=難しいという一面はあるものの、当たったときのリターンがデカい。これは、宝くじは買わないと当たらない式のおためごかし(人のためにすると見せかけて自分の利益を図ること)と違って、自分の予想図をもとに、自分で賭け金を決めて、自分で損益を確定できるというバカデカメリットもあるのですよね。では、どうして予想を避けていたかというと、予想が裏切られるのが怖いから。

ということで、予想をするにあたってのルールを作成していこう。

ルールNo.1、ゼンツの禁止。決めつけの刃は、他人はおろか、自分すらも傷つける凶器と化す。たとえば、新型コロナウイルスの進撃がどこまで続くかを考えると、ワクチンができて止まるかもしれないし、しばらくは止まらないかもしれない。なので、どちらかの見方にゼンツッパ。はやめておく。希望しかない希望は、絶望に変化する確率が極めて高いという逆説ですね。

ルールNo.2、予想が当たる方向。外れる方向。どっちが来ても耐えられる(または逃げられる)姿勢でいること。人間関係において、こういう態度は、コウモリ野郎と言われて嫌われがちですが、コウモリは別に悪いことは何もしていない。ではなぜ悪いイメージがあるかというと、コウモリを発見した当時の西洋文明に、コウモリという種を、鳥なのか哺乳類なのか判断する尺度がなかったから。その結果、コウモリは、獣グループがイケイケのときは、「わたしは獣です」とのたまい、鳥グループがイケイケのときは、「わたしは鳥です」というポジションを取った挙句に、獣、鳥グループ双方に、ハブられてしまったのでした。BY「イソップ童話」

しかしながら、「あいつはフラフラしていてけしからん」と断罪する人も、自分のポジションを墨守しているだけであって、既得権益に守られているからこそのポジショントークであって、コウモリはコウモリで、種としての生存戦略として、暗い場所で、目や声ではなく、超音波を駆使してフラフラと生き残ってきただけの話なわけです。そう、すべては生き残るために。

ちゅうわけで、今年からはコウモリさんを見習って、予想というギャンブルにもフラフラ近づいていこうと考えています。ちょろちょろ飛んでて目障りかもしれませんが、石は投げないでね。

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