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旅行する代わりに、本を読もうと思うんだ。

「時間は存在しない」カルロ・ロヴェッリ 冨永星訳

この本は、あとがきまで、ざっと214ページあるので、一日55枚ほど読み進めていけば、4日で読み終わる算段である。3泊4日の読書ツアー。

時間は存在しない。え? 時間、あるでしょう。仕事は9時17時だし、寝るのは1時、起きるのは7時だし、時間はあるでしょう、と普通は思う。普通なんてものは、しょせん先入観であり、人間の勝手な妄想やろ、ということなのかな? という先入観がしゃしゃってくるが、先入観があると、旅行はいまいち楽しめない。ここはまっさらな気持ちで。とりま出発。

1日目

時間について不思議に思うことの一つに、前と後ろがあることだ。それと、常に流れているらしいこと。ぼくの感覚は違う。ぼくにはもう、高校一年生の自分と、高校二年生の自分の違いがはっきりとはわからない。もちろん、1996年と1997年は違う。1996年の個人的な通信手段はポケベルだったし、1997年はPHSだった。これはもう明確に違う。mixiとFacebookくらいに違う。しかし、出来事としての記憶を抜き出して、それが前なのか、後なのか、はっきり峻別することは難しい。

本の著者は言う。
「熱が存在するときに限って、過去と未来を区別することができる」と。

この、一方通行で、後ろには決して戻らない熱の過程を測る量を考え出したのが、ルドルフ・クラウジウス。ルドルフさんはこれを「エントロピー」と名付けたのでした。

ΔS≧0

これが、熱力学の第二法則の式らしいが、この式は、「デルタSはゼロより大きいかゼロに等しい」と読むらしい。

らしい、らしいと続けたのは、ぼくのような脳足りんは、公式/数式のようなものを見ると、他人事にしか思えないからである。なるほど。デルタSは、ゼロより大きいか、ゼロに等しいのであるな、とはとても思えないのだ。なんやねん、デルタって? Sって?

筆者は、この式の核心を、こう文章化する。
「熱は熱い物体から冷たい物体にしか移らず、決して逆は生じない」と。

なるほど。アイスを冷凍庫から出して、テーブルに置いておくと、溶ける。しかし、溶けた汁が勝手にアイスになることはない。そういうことか。たぶん、そういうことなんだろう。物理学の中でも、過去と未来を認識する式はこれしかないのだそう。

エントロピーは、必ず増えていく。部屋は汚くなるし、ポケットの中のイヤホンはもつれていく。逆はない。

しかし、ルードヴィヒ・ボルツマンという人が気づいたのは、運動の基本法則のなかに、過去と未来の違いなどないということだった。自然の深遠な原理のなかに、過去も未来もない。

この著者は、この洞察を正しいと言う。

 「科学のもっとも深い根っこの一つに、反逆する心、すなわちすでに存在する事物の秩序を受け入れることを拒む心がある」

すごい。科学はヤンキー気質だったのだ。

原因は結果に先んじるといわれるが、事物の基本的な原理では、「原因」と「結果」の区別はつかないらしい。ミクロな記述では、いかなる意味でも過去と未来は違わないらしい。

らしいらしいを繰り返し、繰り返したところで意味がはっきりしないのは、ぼくの目が節穴だからだろう。ぼくだけではない。人間の目は、ミクロの動きを観察することができないのだ。

ともあれ、時間なんてない。と言われると、何だかイラっとするのはどうしてだろうか。それもそのはず、新しい科学的知見は、常に人類を怒らせていた。だって普通に考えてさ、太陽は上ったり、落ちたりするじゃん。おれたち止まってるじゃん。だったらさ、地球が太陽の周りをぐるぐる回っているはずないじゃん。ふざけんなよ?

が、真実の前では、ヤンキーも一般人もないのである。

コペルニクスの地動説もそう、ダーウィンの進化論もそう、アインシュタインの相対性理論もそう、そう、アインシュタインが発見したのは、時間が、ゴムゴム人間のように伸び縮みするということ。

「二人の友を、片方にはじっとしているように、もう片方には歩き回るように頼む。すると動き続けている人間にとっては、時間がゆっくり進む」

そんな、にわかには信じられないことを、人類が初めて確認したのは、1970年代のことだった。飛行機に正確な時計を載せたところ、時計は地上に置かれた時計より遅れた。そうなのだ。速度が速くなればなるほど、時間はゆっくりと進む。今ではなかば常識になったこの法則も、20世紀前半までは、考えられないことだった。

この考えをさらに推し進めて、著者は言う。「今」には何の意味もない、と。

ニューヨークにいるお姉さんに、東京から電話をかけたとすると、お姉さんの声が届くまでに数ミリ秒かかる。人間の知覚では、数ミリ秒はないも同然なので、同じ「今」を過ごしていると錯覚しているが、距離が離れれば離れるほど、「今」の差は広がっていく。

お姉さんがプロキシマ・ケンタウリbという、地球から4光年離れた太陽系外惑星にいたとしたら、今を伝えようとすると、「4年」かかってしまう。

つまり、宇宙においては、「今」という時間はあまりにも幅の広い言葉であって、ぼくたちが今、まさに今使っている「今」は、何の意味も持たなくなってしまうということなのだ。

ぼくたちが感じている「今」というのは、共有できる範囲が限られるということだ。地球上であれば、どこであっても1/10秒以内に収まるが、火星であれば15分、プロキシマ・ケンタウリbなら8年、アンドロメダ銀河なら数百万年の合間に拡張されてしまう。

おもろ。てか、こわっ。さすがヤンキーやなあ、と思っているうちに、55ページまで読んでしまった。続きが気になるが、今日はこの辺でやめておきませう。

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