IMG_0197


体調がすぐれないので、すべての面倒な活動を停止して、ひたすら時間が過ぎるのを祈っている。

定期的に体調が悪くなるのは、どうしてだろう。ぼくにとって生きることが無理をしているからなんだろうか(いや、酒のせいやろ)、いやいや、年齢のせいやろ(そんなんゆうたらもともと体が弱いんやろ)。いや、議論してくれるのはありがたいが、体調の悪化は、それ以上体調を悪くさせないためのアラームのようなもの。

ものすごく健康な人で、ある日ぽっくり逝ってしまうという人もいれば、しんどいしんどいと言いつつ大往生を迎える人もいる。誰であれ、おおむね人生の1/3は眠る。

ざっくり、二つの問題で悩むことをジレンマ、三つの問題で悩むことをトリレンマというが、一日は、朝、昼、夜とあって、そのどれかで睡眠を取らなければいけないわけで、ここで無理して睡眠を犠牲にして、他者と差をつけるんだぜ、という人もいるのだろうが、時間効率という意味ではいいのかもしれないが、心身の健康を差し出すようなものであり、すこぶるギャンブル性が高い。

KIMG2961

そういえば、バジリスクⅡのcz「開眼チャレンジ」は、自分でゲーム性を選択できるというもので、①安定、2、波乱、3、勝負という三択が用意されていた。

①安定は、czが常に15ゲーム間固定という、ノーマルという意味での安定。

②波乱は、1ゲーム1ゲーム継続と転落抽選を行う(すぐに終わるかもしれないし、続くかもしれない)という波乱。

③勝負は、レバーオンの抽選、1/3でARTがゲットできるという勝負。

それぞれ一長一短があり、どれを選んでも大当たり確率は大して変わらないが、極々微差で安定の期待値が高かった(ですよね?)。

さて、人生という問題を、トリレンマに収れんさせることも可能であり、その場合の人生というと、職業の選択にまつわる悩み事というのが定番だろう。もちろん、恋愛の悩みだって、健康の悩みだっていいわけだが、人生というとき、一番に仕事が浮かんできてしまうのは、どうしてだろう。

ともあれ、そんな職業の選択にまつわる三つの選択肢として、とりあえず浮かぶのは、お金、やりがい、労働環境といったところだろうか。いや、案外大きいのは、性差だったり、性格だったり、生活環境かもしれない。トリプルS?

と、まあ、手なり(惰性)でここまで書いてきたが、ぼくが今思うことはこんなことではなくて、お金、やりがい、労働環境、こんなことが言いたいわけでは全然なくて、体調がすぐれないときは、精神もバッチリすぐれないということなんであります。

もし、ぼくが今日、仕事に行かなければいけないとしたら、ものすごくしんどいと思う。あるいは、仕事をしていたら、こんな体調にならないかもしれないが、いずれにしても、今、していない以上、比較にならない。無意味だ。無意味なことしか、頭に浮かばない。なぜなら、体調が悪いからだ。

ひとつ、懸念がある。おれいつも、夏になると体調悪くなってね?

うん。これは建設的な、いわばポジティブな懸念、というか、因果関係の発見かもしれん。

冬の試練。冬に体調が悪いのはわかりやすい。寒さは生体活動を活発にはしない。ぼくの体内に常駐してくれている凄腕ガードマン、免疫系、ナチュラルキラー細胞たちの活動もしかり。ということで、時に、体の節々が痛む、ノドが痛む、鼻水が出る、熱が出る、いわゆるひとつの風邪は、体外に存在するウイルスを体内に取り込んでしまって巻き起こるコンフリクトであり、転校生がやってきて、クラスがめちゃくちゃになってしまうという感じなのだが、夏の体調の悪さは、仲が良かったクラスメイトが突然、革命を起こそうとナタを持って暴走するという感じなのだ。去年は、帯状疱疹がやってきた、というかよみがえってきたし、血液検査、MRI、胃カメラまで飲んだのに病名がわからなかったのも夏だった。

寿、夏、体調崩しがち。せっかくの夏に、飲み放題のビアガーデンで、湿度の高い、エアコンの室外機だらけのビルの屋上でぐいぐいビールを飲んでいたはいいが、急にどしゃぶりの雨が降ってきたみたいだ。

まあ、現実がそういう形をしているのならば、生活もそれに合わせないといけないんだろう。

理想と現実と生活というのもたぶんトリレンマであって、すべてを取るのは難しい。できれば一生ビールを飲んでいたい。だけど一生摂取し続けて、健康をキープできる向精神薬はたぶんない。

リアリストと呼ばれたり自称する人は、とかくモチベーションだったり、理想、目標なんて不必要だ、捨ててしまえとアッピールするが、確かに、理想と現実と生活のギャップに悩んでいる場合、理想は無視。現実と生活の水準を、デジタル的、期待値的に上げることに専心すべし、というのは合理的なソリューションなのかもしれない。

遥か彼方にある理想も欲しい。現実的な成功も欲しい。豊かな生活も実現したい。というのは、どこかおかしい。何かが矛盾している。崇高な理想というのは、誰に何を言われても、馬鹿にされても、自分の生活を犠牲にしてでも、たとえ味方がひとりもいなくても、揺らがない指標のはずである。

文章を書いていると、時々、精神と時の部屋のような空間に入れてもらえることがある。その世界では、すべてが等価値で、卑下もなく、尊大もなく、ただそこに、あるがままに存在している。それはちょうど、夢を見ているのに似ている。あるいは、酔ってる、ラリッてる、ブリッてる、イッチャッてるという状態、合法的なドラッグでもある。しかし、入室を許されるためには、コツコツとひとつのことを続けなければいけない。それでも入れるかどうかはわからない。気づくと時間がビュンと過ぎている。もちろんそんなことに期待値などなく、ただ、自分がここにいる、生きているという実感だけは得られる。体調が悪くても、精神が不調でも。

うーん、今日の日記はよく書けた気がする。狂ってる、イカレてるという意味で。
にほんブログ村 スロットブログへ