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写真引用 ナショナルジオグラフィックTVより


先日、バックトゥザフューチャーを見る機会があって、やっぱり何度見ても面白いですね。映画が公開されたのは1985年、そして映画の舞台も1985年でした。

その頃、日本は空前の繁栄を謳歌しており、中曽根総理がじきじきに、国民一人あたり、海外製品(特にアメリカ製品)を最低100ドル(1000ドル説もあり)買おうというキャンペーンをしていたらしい。
「輸入品を買って、文化的な生活を送ろう」

バックトゥザフューチャーの主人公が、日本製品はクールだ、と言っている中で、あえて何か輸入製品を買う必要を感じたかといえば、ほとんどの日本人は感じなかったんだろうと思うが、国際社会は、日本の独走を許さなかった。

結局、プラザ合意で、日本の通貨が(それまで一ドル二百数十円だったものが、百五十円ほどに)引き上げられ、円の価値は上がったものの、海外での日本製品の優位性は急落してしまう。

降ってわいたような円高に、日本政府が講じたのは、通貨量を増やす策だった。円安までは持っていけなかったものの、円の価値を安定させることはできた。しかし、当然の帰結として、日本国内にお金がだぶつき、これがバブル経済を生んだ。

「担保? 知らねえ、とにかく金を回すんだ」

お金を回す人は、ギャンブルをする人、したい人にまで、お金をじゃんじゃん貸した。おりしも、土地の値段は上がり続けていた。その価値が下がるなんてことは考えられないから、とにかく買え、とにかく借りろ、と現象は膨らんでいった。その担保は、絶対に下がらないという「土地神話」であった。

そんな1985年、文部省が初めて「いじめ白書」を作成した。逆に言えば、この年になるまで、”いじめ”というのは、社会的な問題ではなかったのだろう。

あの頃は良かった、という話はずいぶん聞いたが、バブルの頃に儲けることができたのは、土地を買い、転がせた一部の人だけだったのではないだろうか。

神話は、どこかの地点で、誰かの都合、願望、またはオカルトにすり替わり、終焉を迎える。

勝ち抜けたほんの一握りの人と、多くの負債者を残してバブルは弾けた。ギャンブラーに貸したお金は、当然回収不可能。その額数十兆とも目される不良債権は、その後、公的資金でまかなわれた。というか、国の、国民の借金になった。

対して、ぼくたちの2010年代パチスロ天井バブルは、数万円あれば始められた上に、何の資格も担保も必要なかった。それ以前に、ほとんど他者とのコミュニケーションなしに、台の上に設置されたデータ機を眺めるだけで、労せずして期待値を得ることができた。

何より違うのは、ぼくたちは、今、この瞬間がバブルと知りながら、その泡に身を投じたこと。

2014年9月7日「やがて来る規制に怯えて夜も眠れない人のために」

天井バブルのきっかけは、天井という救済措置に対する期待値の過度な偏重(および設定差のないAT/ARTのゲーム性)が原因で、スマホの普及がその情報を打ち手のポケットに固定し、瞬く間に共有された。

天井バブルが弾けた原因は、ハイエナという手法、天井という救済措置の価値の周知、パチスロ史上二度目となる”みなし機”の全撤去という強権の発動と、それに伴うレギュレーションの変更にありました。

2006年のみなし機大量絶滅は、台の代わりに設置された「ベニヤ板」という空白を生み、リーマンショックがそれに追い打ちをかけ、しかし2010年にデビューした新鬼武者以降のスペック強化が、離れていたパチスロユーザーを呼び戻し、かつ新規ユーザーを掘り起こし、しかし2014年に規制が通達され、それでも一点突破、2015年にミリオンゴッド凱旋が高らかにパチスロの復権を宣言したものの、法の強制はいかんともしがたく、ホールから5号機は徐々に姿を消し、そして2020年、室内喫煙の施行と、新型コロナウイルスに伴う自粛が重なってしまう。

夏草や、兵どもの夢の跡
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参考文献 橋本治「二十世紀」