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アリの研究者が書いたものに、「働き者ばかりのアリの巣よりも、働かないアリがいる巣の方が、短期的な効率では劣っても、長期的な巣の持続性は保たれる」というような言及があった。

「働き者ばかりのアリの集団では、疲れが一斉に訪れるため、働かないアリの力を温存しておく方が、長期的な効率、かつ全体的な持続可能性が保たれる」と、そういう理屈があるらしい。所謂2:8(パレート)の法則でありますね。

「無理に働く必要はない」というひろゆきにツッコんだら、「肉屋を応援する豚みたい」と論破された

働かないアリになれ、と提唱するのは、世界一有名な”ひろゆき”ことひろゆきさんである。日本という国は、「”お金を稼ぐよりも、モノを得ることのほうが圧倒的に楽”な社会」であると、ひろゆき氏は言うのである。

そもそも、働こうが働くまいが、お金というものの価値は変わらないのだから、「働かないでもらったほうがお得じゃん」と。

が、このような提言を真に受けて、本当に働かないとどういうことになるか。まず、間違いなく嫌われる。「嫌われる勇気」という心理学者アドラー由来の言葉が何年か前に流行したが、「働かざる者食うべからず」という言葉が象徴するように、清貧、勤勉、人と同じことをする、無難を志向するというような、嫌われることを嫌う文化がこの国にはあって、嫌われることが気になる人と、気にならない人では、その選択肢を取ることの精神的な負担がぜんぜん違う。

つまり、図々しい人のほうが、図々しくない人よりも、利得を得る確率が高いということを言っているだけで、嫌われることが気にならない人はお得だよね、という話に過ぎない。

フリーライドという言葉があるが、電車にお金を払って乗る人と、お金を払わずに乗る人では、お金を使わないという意味では、後者のほうがもちろん得だが、それは得という言葉を使って済むような行為ではなく、端的に犯罪である。

アリの社会では、モノホンのフリーライダー(仲間を装って外部から入り込み、自分の卵を産んで、自分は働かず、他のアリに育てさせるアリ)は、そのたくらみがバレた瞬間に、殺されるらしい。普段はうろちょろしていても、いざというときには、集団のために力を発揮するという制約があるからこそ、働かないアリはそのポジションで生活ができる。おそらくこれが、アリの世界の倫理観だろう。

そもそも、ひろゆき氏は、働いていないヒトではない。言葉というのは、発信者が動かずとも、言葉自体に、はたらきかける性質がある。インターネットのWebは、蜘蛛の巣という意味だが、言語によって、何かを、たとえば居場所を構築することも可能だろう。

というわけで、インスタ、Facebookをしたり、Twitterで呟いたり、ブログを書いたり、ネットに常駐することすらも、怠惰ではなくて、勤労のひとつの形なのだろうと個人的には考えているが、どうか。その言でいけば、パチ屋に行くことも。

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