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お久でござんす。新型コロナウイルスがスポットライトを当てたものの一つに、「パチンコ屋」がありますね。白昼堂々、民法のテレビ番組に、ばばーんとパチ屋が映るだなんて、何か事件でもない限り、まずありえないことだったのだが。

イライラという感情は、その理由をどうにか探しだそうとするものなのだろう。理由が見つからない場合、生贄を探そうとする。そして、見つけた。パチ屋を。
「知ってた」
「やると思った」
「前から何か気に入らなかった」

理由はいつも後付けで、そして、どんな内容でもいい。気に入らない、気に食わない、このイライラをぶつけられさえすれば。ぶつけられて嬉しい人なんていないはずだが、自己責任だ、で一蹴されてしまう。

デイリー新潮「海外でも30名以上が自殺」


リアリティショーに出演する演者への誹謗中傷は、日本だけの現象ではないらしい。ここにもまた、人がパチ屋と聞いて連想するものと似たような暗渠、暗がりがあるのだろう。ついついオジサンは、ネットなんかSNSなんかやめちゃえよ、と言いそうになるが、それだって、ウイルスの蔓延をパチ屋に押し付ける思考と変わらない。

趣味嗜好にしろ、信教にしろ、選択の自由は、広がりがある方が望ましい。不健全な業界を容認するのは多様性であり、多様性が担保するのは、健全なサイクルだろう。めぐりめぐって、というやつだ。

学生の頃のクラスのように、同じ空間で同じことをし始めると、できるやつ、できないやつ、要領のいいやつ、悪いやつ、好かれるやつ、嫌われるやつの差が歴然としてしまう。このような閉じられた世界では、空気の入れ替えが難しい。

かつて人類の祖先が進出したのは、夜の世界だった。日中は、恐竜がのしのし闊歩していたからだ。そんなところで歩いていたら、すぐにぶっ殺されてしまう。いやだなあ、真っ暗で、怖いけど、仕方ないな。夜、コソコソ動きましょう。そうこうしているうちに、ユカタン半島に巨大な隕石が落ちてきて、環境が激変した。新しい環境は、超大型の動物にとって、都合の悪い世界だった。あれ? おれたちの時代、来た?

今、日の当たらない場所にいたとしても、あの頃の哺乳類のように、光が差すかもしれない。光が当たらなかったとしても、今を生き延びているうちに、何か変化が訪れるかもしれない。これが、多様性の中にある希望だろう。

どのような高精度レーダーを持っていたとしても、よその芝は青く見えるものだ。自分の庭をDIY(do it yourself)いたしませう。つうわけで、久方ぶりにパチ屋に視察に行ってまいりやす。

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