すべての書かれたもののうちで私が愛するのは、自分の血で書かれたものだけだ。血で書け。そうすればきみは、血が精神であることを経験するだろう。

フリードリヒ・ニーチェ

KIMG4351

スロット打ちの思想

6章 最終目的地へ

4 聖なる肯定


神はいるだろうか?

ぼくは神という文字から始まる県で生を受けた。これは、神に祝福された証拠だろうか?

前に書いたように、占いのタグイは信じない。しかし出生地に神という字が入っていることで神を信じるのだとしたら、大馬鹿野郎である。自分の都合のいいことは信じる。自分の都合の悪いものは切り捨てる。というのは、スロット打ちの態度ではない。

自分の目で見たものだけを信じるというのも、自分の目に、自分の感覚に対する依存度が高すぎる。その場合、自分のミスを認めることが難しくなる。他人の意見を盲目的に信じるのは、その誰かが間違っていたときに問題が生じてしまう。

手に入れたいのは、”迷わないための道しるべ”なのだ。たとえば、右利きか左利きかというのは、二択問題ではない。信じるも信じないもない。そのおかげで、いざというときに迷わないで済む。

必要なことは、理由がある。必要でないことは理由がない。必要はそのような意味のはずだ。では、ぼくたちのこの人生は、どんな必要があるのだろうか? この問いに、すべての悩み、すべての迷いが潜んでいる。おそらくは、偶然の産物なんだろう。しかしこの偶然を、偶然とは言いたくない。誰か教えてくれ。どうして自分がここにいるかを。ここに、神の必要が誕生する。

「これがニーチェだ」の中で、永井均は、〈神〉の死というニーチェの思想を総括する形で、こんなことを言っている。

そこには、いかなる救済もなく、いかなる意味もない。剥き出しの事実があるだけである。その儚く空しい現実に打ち倒されてしまう者たちは、絶滅すべきである。だからもし、人類がこの事実を直視することに耐えられないならば、人類は滅亡すべきなのだ。そのほうがよいのだ。――そうニーチェは言っているのだと私は思う

ぼくの人生に意味がないのだとしたら、ぼくはここで何をすればいいのですか? とぼくは思う。

ニーチェは、人生に意味がないことに耐えて生きて行かなくてはならない、などという辛気臭いことを言っているのではない。むしろ、意味のなさこそがわれわれの悦びの根源だと言っているのである。

無意味のどこに悦びを見出せばいいのですか?

永遠回帰は、目的なき目的の無意味な繰り返しのうちで、世界と一体になって無邪気に遊ぶ子供の、現在の肯定感そのもののうちに自ずと示されるほかはない。そこには、他である可能性との対比という様相の厚みがない。こうであったなら、とか、こうでありえたかも、という可能性の視点そのものがそもそもない。ただこうである、それだけ、それがすべてなのである

こんなこといいな、もない。できたらいいな、もない。あんな夢もこんな夢もない。だからぼくたちは、物語を必要とするのですか?

これが私の人生だったのだ。そこには、何の意味も必然性もない。何の理由も根拠もない。その事実そのものが、そのまま意義であり、価値なのである。偶然であると同時に必然でもあるこの剥き出しの事実性のうちにこそ、神性が顕現している。そこにこそ〈神〉が存在する。その奇跡に感嘆し、その〈神〉を讃えて、ニーチェがなした祝福の祈りこそ「永遠回帰」の祈りなのである。

       §


「祈り」という言葉で思い出すのは、2006年、真夏の新潟だ。

ぼくは元彼女から、誕生日プレゼントといって、宇多田ヒカルのコンサートのチケットをもらったのだった。代わりに運転たのむよ。よしきた。商談成立とばかりに、ぼくたちは、地道に下道で新潟を目指した。

コンサートの最中に、宇多田ヒカルが、スタッフか誰かの誕生日ということで、ハッピーバースデーを歌った。誕生日は過ぎていたが、完全に自分に向けられたバースデーソングだと思いこんだ。このコンサートの間中、ぼくは祈りという言葉について、考え続けていたのだった。

当時のぼくは、人前に立つ必要のある仕事をしていて、精神的なものなのか、体調か(お酒を全く飲まない祖父がそうだったので、遺伝的なものなのかもしれない)、緊張したときなんかは特に、手が震えることがあって、それをコントロールできないことが、嫌でしょうがなかった。

宇多田ヒカルの歌声を聞いたとき、その震えは、止まった。今までも、これからも、震えるなんて事実は存在しなかったのだ、と思うくらいスパッと。そのときに思い浮かんだのが、「祈り」という言葉だった。もちろん、コンサート後も、今も、寝起きや風呂上りなんかは景気よく震えるし、おそらくこれは、一生付き合っていかなきゃいけない持病なのだが、このときばかりは兆候も含めて症状が消えていた。

時間は流れて一昨年、NHKで放送されたSONGSという番組で、「宇多田ヒカル」の特集があった。そこでたしか、祈りという言葉が出てきた。どういう文脈で宇多田ヒカルは祈りという言葉を使ったのだったか、と思いつつ、ハードディスクに入っていたSONGSを見返してみた。

番組の中で、宇多田ヒカルは、又吉直樹と対談していた。やはりそうだった。「願い、祈り」という言葉を又吉が発した後、宇多田が強い反応を示したのが、「祈り」という言葉だった。

そこで語られたのは、彼女の幼少期の環境だ。

何が起こるかまったくわからない。今、世界がこうだと思っても、次の0.5秒後にはそれがすべてひっくり返される可能性がある。学校から帰ってきたら、ニューヨークに行くよと言われたり、明日からお父さんとは会えないよと言われたり。安心したいけど、安心したら傷つくかもしれない、裏切られるかもしれない。それなら、何も信じないようにしようと。

そんなかつての自分への贈り物。自分はこうしたい。でも、現実はそうじゃない。だからこそ、歌には祈りがこめられている。宇多田ヒカルが言っているのは、そういうことだろう。

永井均がニーチェに触れて書いた「祈り」という言葉から思い出した「2006年のコンサート」から思い出した「SONGS」を見つめながら、ぼくは宇多田ヒカルが幼少期に感じていたであろう「思い」に、想いを馳せていた。

彼女のその、心もとない、現実がどこにあるかわからない感覚は、何日か前にぼくが書いた、違和感/不安と、同じものではないのか?

ぼくが人生で初めて記憶した違和感、宇多田ヒカルが語った幼少期の不安。

……何だろう、この偶然の一致は。しかしこれが、ぼくの捏造なのか、たまたまなのかがぼくには判断できない。興奮しているが、どこかで覚めてもいる。

歌は、祈り。それは、あのコンサートで、宇多田ヒカルの歌を聴きながら、ぼくが感じていたことだった。自分の中にしかないはずの記憶を、あるいは感覚を、テレビの中で、宇多田ヒカルの口から聞くなんてことがありえるのだろうか?

おそらくは錯覚なのだろう。あるいは、誰にでもある、ありふれたことを、ことさら大げさに感じてしまっているのだろう。石のようにそこらへんに転がっているもので、とるにたらないことで、どうでもいいことなのだろう。

ニーチェは言う。

私には、かつて何かを求めて努力したという記憶がない――私の生涯には奮闘努力の跡がまったくない。私は英雄的人物とは正反対の人間だ。何かを「欲する」、何かを求めて「励む」、ひとつの「目的」、ひとつの「願望」をたえず心に抱く――こうしたすべてのことを、私は自分の経験を通して知ってはいない。

かつて何かを求めて努力をする必要が、何かを欲する必要が、励む必要が、目的を、願望を持つ必要がニーチェにはなかった。では、ニーチェは楽しいという感情をひとかけらも持つことなく死んでいったのだろうか? 道を歩き、思索しているとき、想いを文章に重ねているとき、人生の喜びに触れてはいなかったのだろうか?

永井均の訳ではないこと、知人にあてて送った手紙ということもあって文体が違うが、ニーチェはこんな言葉も残している。

僕がなにものであるか、見破るのは困難です。何百年か待つことにしましょう。――ひょっとしたらそれまでには、誰かしら天才的な人間通暁者が出てきて、F・N氏を発掘してくれるでしょう。
岩波新書 三島憲一著「ニーチェ」より

新型コロナウイルスがもたらした一番のショックは、”ぼく”という人間の唯一無二性のまやかしが、名実ともに明らかになったということだった。

だけどそのしょうもない事実が暴かれたところで、ぼくに何か損害があったのだろうか? というか、これまでの人生で、唯一無二でよかったことが、一つでもあったのか?

いや……ない。ただ、唯一無二の存在として扱って欲しいだけの駄々、ワガママだったに過ぎない。

唯一無二、完全オリジナルな人が本当にいたとして、たとえば、身長が1ミリの人とか、身長が70メートルの人が仮にいた場合、その人の気持ちを察することはできても、コミュニケーションをはかることが難しい。というかたぶん、真の強者にコミュニケーションは必要ない。命令するだけで、あるいは力の一端を見せるだけで、ことが済むのだから。

共に、歩く。それは、共通する何かを持つ、必要と必要という弱みを抱え持つ、唯一無二ではない人間同士だからこそ、進むことができる道ではないか。

ニーチェは言う。

これが――私の趣味である。――よい趣味でも悪い趣味でもなく、私の趣味である。私は、私の趣味をもはや恥とせず、ましてや秘めることはない。私に「道」を尋ねた者に私はこう答えた。「これが――私の道だ、――きみたちの道はどこか?」と。万人向きの道など、存在しないからだ。

ぼくの人生は、唯一無二のものではなかった。それでも万人向けではない趣味があった。生まれてこの方、不安で、ずっと不安で、その不安に駆り立てられて、ぼくは音楽や文学、あるいはパチ屋の中で遊んだのだった。遊ぶ以外のことはできるだけしないようにしよう。そう決めたのは15歳のことで、それから幾度となく、価値観が根底から覆されるような出来事が起きたけれど、やはりどうしようもなくこの道が楽しい。ニーチェと宇多田がくっつくなんて、そんな意味のわからないことは、”今”の”今”まで、思いもしなかったし、それが自分の人生と関連付けて浮上するなんて、想いもしなかった。

宇多田ヒカルに、「道」という楽曲があり、そこには、こんな歌詞がある。

転んでも起き上がる
迷ったら立ち止まる
そして問う あなたなら
こんな時どうする

こんな時、ぼくは文章を書く。

そして今、ここに、新型コロナウイルスがくれた時間の中に、宇多田ヒカル(と又吉直樹)とフリードリヒ・ニーチェ(と永井均)の祈りが交差する地点〈祈りの場〉が出現したのである。

にほんブログ村 スロットブログへ