私は意志の力を、どれほどの抵抗・苦しみ・責め苦に耐えて、それらを自分に有利なものに転換することができるかによって評価する。

フリードリヒ・ニーチェ

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スロット打ちの思想

6章 最終目的地へ

2-1 それでも私は自由でありたい


新型コロナウイルスが暴いたのは、これまでついてきた、自分は特別な人間であるという嘘だった。
「おまえなんて、別に特別でも何でもないよ」と。サンキューコロナ!

ぼくたちの目は、前についている。だからすぐ、他人のアラが目に入ってしまう。

これはたしか村上龍が指摘していたことだが、「これからは、個人の時代であり、そんな時代に、日本人がどうあるべきかを考えたい」みたいな設問の中にある矛盾。「個人」を考えるといって、「集団」を啓蒙しようするのはおかしいだろ、と。そんな村上龍も、発言をさかのぼってみれば、矛盾が皆無とは言えないはずだ。

これはある意味では、当たり前のことだ。自分の行いは、直接自分の目で見ることができないうえに、過去の自分と、今の自分は違う。細胞的にも、気分によっても、気候によっても、条件によって感情が異なるのに、いつも同じことを言っていたら、それはそれで嘘つきである。

他人の粗が目に入ったとして、なぜそれを指摘したくなるのか? 第一に、嘘や矛盾を見逃せない誠実さだろう。他人の粗を探せたということは、自分の目が確かなことの証明になる、という利益があるのかもしれない。しかしながら、他人の粗探しをし続けた先に待つのは、「で、おまえはどうなの? 矛盾ないの?」というブーメランである。

「スロット打ちの思想」2章には、こんな文章がある。

楽しいは、それだけ神聖なものなのだ。楽しいに関しては、決して嘘をつけない。つまり、間違いようがない。

人間、物事を知れば知るほど、楽しいという本来の意味からどんどん離れ、先鋭化していく。物事を知らない人間を小ばかにするようになる。おれはその先を知っているのだ、と。しかし尖り続ける先端で待っているのは、当然、行き止まりである。


これは誰が書いたのだったか。未来予想図だったのか。それとも、ミイラ取りがミイラになる式の文章を書くための前振りだったのか。行き止まりのような場所で、ぼくは肩を落とす。そして、思い出す。昨日一昨日ではなく、これ以上さかのぼれない日のことを。すべてが始まった日のことを。

あれは1981年(というのはもちろん、後から意味付けした事実であり、当時のぼくは、年号なんて知らないし、そこがどこかも知らなかった)。その幼児の目は、目の前で回る何かをただ見つめている。おそらく母のものだろう腕に抱かれながら。おそらくは、空港のベルトコンベアだろう。いつもとは違う湿度。それから匂い。原風景。ぼくは、異国の地で目覚めたのだった。

ぼくが人生で初めて覚えた感情は、違和感だった。違和感の正体を言語化することに成功したのは、1984年のこと。幼稚園の入園面接で、ぼくはこんなことを言った(らしい)。

「ぼくは、ここで、何ができますか?」と。

これは、家族が集まる度に母が語る寿の奇行の一つだが、園長先生だか面接官が、何と返答したかは、母は記憶していないし、ぼくも記憶していない。答えは風の中に消えてしまった。わかったところで、不安を消してくれはしない。だから風の中に消えたのだ。

ともあれ、ぼくが初めて覚え、覚え続けていた違和感の正体は、不安だった。不安から離れるにはどうすればいいか? 爾来、そればかりを考え、生きてきた。そうか、楽しさか、と気づいたのは、いつだっただろう?

出来事は、引き起こされたものでもなければ、引き起こすものでもない。原因とは、作用する能力だが、出来事に付加されるべく捏造されたものなのである

と、ニーチェは言う。

今、ここに、友情が消えてしまったかのように思えたニーチェの言葉が、戻ってきた。いったんは別れようと思って、別れを切り出した元カノを忘れられない元カレのような未練だろうか。

どうして、以前付き合っていた相手のことは、元カノという認識なのに、自分のことは、元カレとも元オレとも思えないのだろうか。そりゃそうだ。自分は「元」も何もない。これ以上も以下もない、唯一無二の自分なのだ。一人称の弱点、ここに極まれり。

どうしたら、否定を肯定に変えられますか? ニーチェ先生。

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