ふつう子供は大人よりも嘘つきである。ただ、その嘘のつき方が正直なだけだ。

永井均
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スロット打ちの思想

6章 最終目的地へ

1 新型コロナウイルスという福音


COVID-19と名付けられたウイルスが引き起こしたショックを緩和すべく、いわばワクチンのように作用する考え方はないものか? と書き始めたのが、「スロット打ちの思想」でありました。

ここまで書いてきたことで、この【コロナ時間】のどこがショックなのかという、根本的な理由が判明してしまったので、そのことを書こうと思う。恥部をさらすようで嫌だが、しょうがない。

まず、一昨日触れたニーチェ先生の「力への意志」に似ているものがあったような気がしていて、文章を書き進めながらも、何かなー、何かなー、とノドに刺さった稲川淳二の怪談的にひっかかっていたのだが、ひょんなことから、ポンと抜けた。

「マズローの欲求五段階説」だったんです。


たしかマズローの欲求五段階説は、下が生きていくために必要な最低限の欲求で、上に行くにつれて高度なものになっていくというピラミッド構造だった。

5、自己実現欲求  
4、    承認欲求  
3、     社会的欲求  
2、       安全欲求   
1、        生理的欲求   

こちらの方が、ずっとスッキリしてる。でも、思想的には見どころがないというか、武器、飛び道具感がないというか。ということは、思想はやはり、ややこしい方がいいということか? うーむ。この、他人には簡単には理解されたくないゾという中二病的な欲求は、頭脳14歳にして、上から二番目、承認欲求ないし一番上、自己実現欲求を望んでるのか。ハードルが高い。

……ん? 今、何か、見えなかったか?

……

……


ああ、やべえ、やべえ、完全に見えた。見えちまったよ。

「どうして今という時間がつらいのか?」

ぼくという人間は、ワリに、いや、明らかに、特異的な生活を送っている。現代人のワリには、39歳のワリには、という注釈つきかもしれないが、好きなことしかしていない。嫌なことはほとんどしない。その分、お金をほとんど使わない。実際にどのくらいというと、この十年ちょっとで、生活水準(一年にかかるお金)を1/4に落とすことに成功した。そのほとんどは家賃、生活費で、自分のためだけにお金を使うというのは本当に減った。

これこそが、ぼくの人生で、初めて手に入れた、「好きなこと」をするための、「嫌なこと」をしないための、「思想≒期待値」を軸にした生活で、えばることではないし、ちっともないし、しかし、体のどこか、頭の片隅あたりに、やったった、とほくそ笑むドヤ顔野郎が鎮座しておられる。

が、新型コロナウイルスの登場で、やったった野郎の「やったった感」が、敗れ去った。敗れ去ったどころの話じゃない。漠然と感じていた、この世界には、特別な人間がいるのだという「神話」が存在しないことが、証明されてしまったのだ。

何を大げさなことを? いや。

たとえばこれが、天変地異であれば、その大地から離れれば、変異から逃れることができる。たとえば政治的な迫害であれば、迫害されない国に亡命する。そのようなオルタナティブ、代案、別の可能性が、感染症の場合、存在しない。

失ったものその1、「ここではないどこか」

失ったものその2、「自分しかない強み」

ぼくたちは、【自分】という、強固に凝縮した一個の特別な生命体という認識を持って、生活を送っている。直接的な痛みを感じる唯一の存在として、喜びをゲットする唯一の存在として。世界で一人だけの自分。その証拠に、自分たちのことを、特別な呼び方で呼ぶ。ぼく/わたし/それがし/I(アーイ)。

自分のことをぼくと呼称しながら、相手のことをぼくとは言わない(小さい子供には言う可能性あり)ように、どれだけ近しい他者であっても、自分と同じ一人称は、他人には適用しないルールで活動している。

しかし、この新型コロナ世界では、自分だけのオリジナルな生活を送ることは、もうできない。誰も彼も彼女も関係なく、全世界で、全人種が、同じ旗の下で、同じ行動に励んでいる。すなわち、「自分が感染したつもりで生活せよ」と。

それが嫌だというのではない。嫌だと言ったところで何も変わらないし、反抗したところで、コロナが消えてなくなるわけではない。どころか、ますます勢力が増す確率が増す。

ぼくたちの住むこの世界、この、インターネットの登場で加速度的に破壊と再生をくりかえし、固定化に向かいつつある世界では、上位1%が、ほとんどの富を持っているというような言説を腐るほど耳にするが、その上位1%の人だとしても、この、新型コロナウイルスを考慮した生活をまぬがれることができないのだ。

人と違う可能性が存在しないのであれば、人と違う生き方は、事実上、不可能である。

……フフッフフフフハハハハハハハハハ。馬鹿馬鹿しい。まこと馬鹿馬鹿しいと言うほかないが、これ、本気で思ってるんすよ。

が、そんなこと、新コロさんは聞いてくれない。きみ? 誰? 関係なーい。人種? 宗教? 関係なーい。

性別による偏り、体型による偏り、喫煙の習慣の有無による偏り、または大陸間による偏り、宗教的、または文化的ふるまいによる偏り、東アジアでの特異的な致死率の低さ、因果関係があるのか、ないのか、BCG接種の有無、種類等も取りざたされているが、根本的な関係性、ウイルスと人間の関係性でいえば、大差ない。少なくとも、今、完全に自由な行動がゆるされる人物は、この世界のどこにもいない。勝手に自由にふるまったとしても、それに付き合ってくれる人間がいない。そのくせ、というか、そのせいで、孤独ですらない。つまり、ぼくたちは、【自分】という特権とともに、【孤独】すらも失ってしまったのである。

世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら歩め。

と、ニーチェは言うが、たとえ捏造されたものだとしても、その苦しみは、自分だけが味わえるものであると信じることができるから、耐えられるのだ。みなと同じ苦しみに耐えろ、というのは、中二病的な脳には無理難題なのだ。と、同時に、ニーチェの言った、力への意志の最終的な段階

最も強い、最も富める、最も独立的な、最も勇敢な者たちにおいては、「人類への愛」として。「民族」への、福音への、真理への、神への愛として。圧倒し、心を奪い、おのれに奉仕させる行為としての、同情、「自己犠牲」等々として。方向を与えることのできる大きな力を持つ者、すなわち英雄、預言者、帝王、救世主、牧人などの仲間に、おのれを本能的に数え入れることとして。

この、「自己犠牲」の精神の根底にあるものが、「中二病的」なものであることに、気づかないわけにはいかないのだった。邪王炎殺黒龍波。相手を攻撃するワザではなく、術師のエサ。勇敢な人間が、その勇敢性を発揮できるのは、我こそは特別である、という前提があるからだ。おれは怖くない。おれには当たらない。しかし、勇敢な人間が、他人とまったく同じ構造にあることを知って、他人とまったく同じ行動を取ることによって、その勇敢さを維持できるだろうか? おれはもっと耐えられる。もっともっと、苦痛をくれ、という風に思わずに? しかし、誰しもが等しく苦しんでいるこの世界にあっては、叫べば叫ぶほど馬鹿みたいだ。

絶望に打ちひしがれつつ、ぼくよりもはるかに深い絶望の淵にいたであろうニーチェの人生の最後の20年を、永井均「これがニーチェだ」をもとに、史実とされている年表を交え、振り返ってみる。

1881年 ニーチェは、スイスの山中で永遠回帰(永劫回帰と言われることもある)を体験する。永遠回帰とは、「一切が現在あるのと少しも違わない形と順序のまま、無限の時間の流れのうちで、無限回数繰り返されること」である。拷問かな? 怖い話か、SFかな? というような体験を、ニーチェは、文字通り、身をもって体験した。向精神薬的な症状なのだろうか、という懸念と同時に、たしかにこれは、オリジナルなしんどさだとも思う。誰にも責任を求められない。自分以外、誰もその人生を受け入れることはできないという特別なしんどさ。このしんどさと、ニーチェは終生戦うことになる。

1882年 38歳のニーチェは、ローマのサロンで出会ったルー・ザロメ(作家、のちにフロイトに師事し、精神分析家)に恋をする。友人と3人で旅をしたり、三角関係になったのち、妹の介入もあり、彼女は友人と同棲を始めてしまう。結果、ニーチェは、女性、友人、妹、母とも疎遠になる。この出来事が、兆候だったのか、最終的な通告となってしまったのか。

1883年 イタリア、ジェノヴァ郊外の岬を散歩中に、突然、ツァラトゥストラという典型に襲われ、10日間で、(後年、ツァラトゥストラはかく語りきとして知られる)「ツァラトゥストラはこう語った」の第一部を書いた。書きあがったその日に、かつての盟友ヴァーグナーが死んだ。

1984年 「ツァラトゥストラはこう語った」執筆、第三部までを刊行。

1885年 「ツァラトゥストラはこう語った」最終章を自費出版で40部印刷。そのうち7部が個人的な友人に献呈されただけで、まったく売れなかった。

1886年 「善悪の彼岸」を出版。このとき感じていたことを、ニーチェは後年こう書き記している。
「このとき以来、私のすべての著作は釣り針になった。たぶん、私は誰にも劣らぬ釣り上手だ。……何も釣れなかった。だが、それは私のせいではない。魚がいなかったのだ……」

1887~1888年 「道徳の系譜学」、「偶像の黄昏」、「ヴァーグナーの場合」、「反キリスト」、「この人を見よ」、「ニーチェ対ヴァーグナー」と、著作を矢継ぎ早に発表。

1889年 一頭の馬が激しく鞭打たれるのを見て、その馬をかばって抱きしめ、大声で泣いた。その年から、母のもとで、母の死後は妹のもとで、10年あまりを精神病者として過ごした。

1900年 脳梅毒と目される性感染症により、8月25日死去。

ニーチェの死から80年、極東の島国で、寿が誕生する。

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