どうして真理の独裁と全権が望ましいことなのか、私にはわからない。真理は大きな力を持つというだけで、私には十分だ。

フリードリヒ・ニーチェ

KIMG2694

スロット打ちの思想

4章 持続可能性

2 ぬるい話にも効用あり

ぼくと犬は、ほとんど言葉が通じない。

なあ、と言うと、ん? という顔をする。だけど、最近どう? 体調は? と、聞いても、まったく言葉は返ってこない。いつまで自粛が続くんだろうね。早くどこかに出かけたいね。どれだけ声をかけても、返ってこない。
 
しかし、通じる言葉もある。ごはん。おやつ。おさんぽ。あるいは、禁止。それをすると、ごはんもおやつもあげないよという掛け声。

Coexistence共生

これは、共生していると言えるのだろうか? たしかに、飼い主は、彼/彼女の人生を保証しなければいけない存在で、寝床、ご飯、トイレ、生活の、文字通り、生きている限り続く生活の保護者である。ただ、そこに、ペットの意志は存在しない。意志はあっても、選択の余地がない。

犬を見ていると、楽しいことしかない。嫌なことは何もしない。ひとところにじっとしていられない。誰かの手伝いもしなければ、掃除もしない。何かをかじっているか、壊しているか、あるいはその願望を体現しているか(ねえ、かまってよ、かまってくれなきゃいたずらしちゃうぞ、おしっこをもらしちゃうぞ)。さもなければ、寝ている。犬に比べると、ぼくはずいぶん働き者だなあと思う。

この文章中に、たびたび登場するエントロピーという言葉だが、これも、その実例かもしれない。エントロピーの増大。秩序あるものは、無秩序の方向に流れていく。だから人間は、掃除をし、風呂に入り、伸びてきた体毛を整え、リセットをはかる。嫌でもしなくてはいけないこととして、処理をする。

猿が適当にキーボードを叩いてシェイクスピアになることも確率的にゼロじゃないという言説があるが、可能性はあるかもしれないが、エントロピー増大則から、否定される。ものごとは乱雑さに向かって進み、その逆はない。ポケットに入れておいたイヤホンは絡まるばっかりで、絡まったイヤホンをポケットに入れておいて、元に戻るということはない。

ただ、そうは言っても、人間の目で見て、こんなことはありえない。という現象が、まれに起こる。


バニラのアイスを買ったときだけ車のエンジンがかからなくなる不思議な現象、その原因は?


車で、アイスを買いにいくと、バニラアイスを買ったときに限り、エンジンが動かない。他の味のアイスを買ったときは問題なくエンジンが動くのに。困ったユーザーが、メーカーに問い合わせをした、という記事だった。

現象だけを見ると、車にアイスの好みがあるみたいだが、車の機嫌が悪くなった原因は、アイスの種類ではなく、アイスを売る店の、バニラアイスの(他の味よりも短い)提供時間にあった、という本当の話らしい。

バタフライエフェクトにしろ、風が吹けば桶屋が儲かるにしろ、原因があって結果がある。このエンジニアは、結果から原因を探ろうとしたわけだが、そんなのありえねー、と思考を遮断/停止すると、原因には決してたどり着けないのだろう。

ご飯を食べているときの犬は、本当に幸せそうだ。そのご飯がどこからやってきているか、どうやってそのご飯がつくられているか、そういうことは、頭の片隅にもないだろう。生まれて以来、ずっと誰かがご飯をくれた。だから、きっと、明日もそうだろう。明後日もその先も、ずっと、そうだろう。

自粛生活を始めて以来、家族以外と会う機会がなくなった。家族で話をしていると、ぼくたちが小さい頃の話になりがちだ。小さい頃の話になると、あれが嫌だった、これが嫌だった、ということを思い出す。

「何が嫌だったの?」と聞かれて、わからないことをする意味がわからなかった、と答える。どうして、お経を黙って聞いていなければいけないのか。どうして誰も喋らないのか。窮屈な姿勢で縮こまっていなければいけないのか。なぜ暗いのか。この時間はいつまで続くのか。ひょっとしたら、永遠にこのままなのか。

妹は、すごいね、そんなこと考えたこともなかった、と言う。父親は、決まりだからしょうがないだろと言う。母親は自分の意見を言わない。もう一人の妹は、理由なんて、やっていくうちにわかることでしょ、と言う。やはりここでもぼくは、1/5→2割のアリなんだろう。

ワン。ぼくはたぶん、犬と同じなのだ。楽しいことだけをしたい。嫌なことはしたくない。だけど、楽しさは、エントロピー増大に押しつぶされる。しょうがないので、嫌なことはしないという優先順位の2番目をカスタマイズして発動し、エントロピーと対峙する。掃除をしたり、皿を洗ったりする。行為自体は楽しくなくても、楽しさが汚れるのを防ぐための行為(村上春樹はこれを”文化的雪かき”と呼んだ)。そうすると、時々、家族が褒めてくれる。

明日も、明後日も、その先も、同じ毎日を生きる。続くのではなく、続かせる。という前提がないと、積み上げる系の楽しみ/快楽は成立しない。ペットは、飼い主に不測の事態が起きたとき、共倒れする確率が高い。しかし、確率論でリスクをヘッジすることも、飼われている身では難しい。

未来は明るいという信頼は、未来は暗いかもしれないと逆算して考える回路があって、初めて可能になる。たぶん、このことを、持続可能性と呼ぶのだと思う。

にほんブログ村 スロットブログへ