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 タホと二人になって収支が安定し始めた。この一年は、月収で15万円から30万円の間を右往左往していた感じなのだけど、最初の一ヶ月で37万円、次の一ヶ月が34万円、次の一ヶ月で36万円。

 コウタ疫病神説ある?

 それは、ないか。考えてみると、スロットを三人で始めた最初の二年間はおそろしく調子が良かった。というよりも、スロットを巡る環境が良かった。

 最初の年は700万円以上勝ったらしいし(コウタ談)、次の年は1千万円を超えた(コウタ談)。でも、稼いだお金はほとんどすぐに使ってしまった。

 何に使ったかはおぼえていない(本当はおぼえている。その時好きだったブランド品を買い漁ったのだ)。

 だけど3年目からは、私の浪費は落ち着いた、はず。今の収入は、正確に把握しているわけではないが、年に300万円くらいだろうか。素晴らしい、とは言えない。ただ、誰かに指図されたりなんかはしない。行きたければ行けばいいし、行きたくなければ行かなければいい。ローンを組みたいときや、引越しや、病気のときは苦労するけれど、それでも生きてはいける。


 ともあれ、久しぶりに会うコウタはげっそりと痩せていた。コウタの発した「元気?」という言葉が空に浮かんで飛んでいくんじゃないかと思うくらい痩せ細っていた。いやいや、あんたこそ元気かね?

「てかあんた、どうしたの? 話題のシャブ中?」

「どこで話題なんだよ……」

「だってその顔、やばくない?」

「ちょっとね」コウタは下を向きながら言葉を続ける。「でも、二人が元気そうで良かったよ」

「何かあったの?」タホが言う。

「まあ……」

「何? コウタってそんなウジウジした奴だっけ?」

「まあ……」

 それから聞いた話は、にわかには信じ難かったけれど、それでもそういうこともあるんだろうな、という、まあ、ありがちと言えばありがちな話だった。
 

 こういう話。
 

 コウタの彼女は大学生らしく(どこで出会ったんだ?)、車で学校に迎えに行くことが日課になりつつあったコウタは、ある日の帰り道、彼女にせがまれてパチンコ屋に入ることになった。

「キミはまだ、パチンコ屋に……」という、例のきしょい手紙を書いたくらいだ。断れまい。コウタの指示する台に座り、連チャンをゲットした彼女。僅かな時間で得た数万円。

「すごーい。コウタくん天才」

 何かを勘違いしてるな、とは思うものの、惚れた弱み、コウタは何も言えない。それからというもの、ことあるごとにパチンコ屋に行こうとせがみ始めた彼女。コウタたちは偶然の力も手伝って連勝。彼女が打った台で出たのは本当にただの偶然だったのだけど、彼女はそんなことは知らない。味を占めてしまったのだ。

 勝つ、勝つ、勝つ、負ける、負ける、負ける。

 次第に目の色が変わっていく彼女。負けを知ることによって生まれるものがある。勝ちの喜びだ。

「ジャグラーあるだろ?」と、コウタは言う。
 
説明しよう。ジャグラーとは何か。 

GOGO!と書かれたランプが点灯したらボーナスという、単純明快、かつ、謎の荒波をあわせ持つ台で、入門者から老人まで、パチンコ屋のアイドル的存在である。これだけ言っても褒めすぎではあるまい。私は苦手だけど。
 

「ああいう台が好きな人ってさ、あのランプが点灯する瞬間のためだけにお金を使う。ペカ。でもガコッでもいいけど。あの瞬間、脳内の快楽中枢は、ピムサロでテインコを握られたおっさんみたいな状態になるんだよ。はじめは、その感動の意味がわからない。だけど、一度勝つ。勝つってことはつまり、ランプ点灯の興奮と、お金というご褒美が、脳内で直結するってこと。でもいつかは負ける。負けた途端に今までの意識がグリンと裏返る。ズルムケ現象。皮被りとズルムケはやっぱ違う。今までは、ご褒美程度に思っていたランプ点灯が、特別な、言わば非日常的祝祭だったことに気付いた人間の脳はどうするか? それを求めちゃうんだよ。だからパチンコ屋は儲かる。彼女に起きた変化もそういうことだと思うんだけど」
 コウタの説明は、下手なわけではないのだろうが、上手とはとても言えない。

「大変下品な解説どうもありがとうございました。つうか、そんなことは、火を見るよりも明らかだから、あんな手紙を書いたんでしょ?」

「あれ、渡せなかったんだ、結局。渡してもたぶん理解されなかっただろうし……」

 子どもから紙をもらえないヤギみたいに悲しそうな顔をして、コウタは話を続ける。

「で、ある日を境に彼女はパチンコ屋に行こうって言わなくなった……」

 というのも、今、私たちに言ったようなことを、コンドームを何個もはめるような言い方(わかりにくく言っているに違いない)で彼女に伝え、彼女は、渋々、それを了承した、らしい。


 コウタは、平穏が戻ってきた、と思った。と同時にあることを始めた。就職活動である。
 彼女の大学卒業を機に、結婚を申し込もうと思案していたコウタだったから、見栄えの良い職業に就かなければいけないとでも思ったのだろう。

 着慣れないスーツを着て、企業説明会などを回った。幸い学歴だけはあったから、むげに扱われることもそう多くはなく、中にはコウタの話を興味深く聞いてくれる企業まであったそうだ。基本的に話の上手いコウタだ(だって私やタホをその気にさせたのだ)。自分をプレゼンすることは、割と上手いのではないか、と思う。


 が、その日がやって来る。

 就活が忙しかったせいでスキンシップを取れていないことを反省したコウタは、以前していたように、大学に彼女を迎えにいった。

 けれど、いつまで経っても彼女は出てこない。おかしいな、と思って電話しても携帯に出ず、マンションに戻っても彼女はいない。

 まさかと思って、近くのパチンコ屋を覗くと、見たこともない表情でスロットのレバーをガンガン殴っている彼女がいたのだそうだ。

 気づかれないようにマンションに戻り、タンス貯金を確認してみると、百万円ほどが消失していた。

 

 ……
 

「若き日のヘミングウェイの話みたいだね」沈黙を切り裂いたのはタホだった。「あのハードボイルド作家が、パリにいた頃に、馴染みのバーで、酒を飲んだことのない女性と隣り合わせになったんだって。それで、バーテンダーやら常連客なんかと相談してさ、何を出すべきかって議論して、ウイスキーサワーに決めたんだって。ウイスキーサワーっていうのは口当たりのいいカクテルらしいんだけど、その女性客はどうなったと思う?」

「わあ、お酒って苦いのね。マリー、こんなの飲めないー」私は空気を換えようと、キラキラお目々のマリーを演じてそう言った。コウタはうつむいたまま、沈黙している。

「その女性はね、美味しくウイスキーサワーを飲んだらしい。それでね、何年も何年も経って、アル中で死んじゃったんだって」

 こわっ。何その話。

 横のコウタは更にうつむき、もはやテーブルに使われている木材の鑑定をしている人みたいな体勢になっていた。

「脳は貪欲なんだよね」タホは続ける。
「ギャンブルとか酒とかタバコって、結局脳に刺激を与えるものでしょ。本来そんなものなくたって人間は生きていける。でも、太古の昔から人間、いや、猿とかネズミもそうだろうけど、そういう刺激を脳は求めている。もしくは求めるようにできている。さっき、コウタが言ったジャグラーの話みたいに。もちろんオレも、そういうものを必要としてる。だけど、オレは刺激のためだけにやってるわけじゃない。勝つためにやってる。オレは、オレたちは、実験室の中で快楽中枢をいじり続けるだけのネズミじゃない。オレは、コウタに感謝してるんだ。スロットというゲームを教えてくれたことに対して。スロットで勝つ理論、技術を教えてくれたことに対して。勝負する場所を与えてくれたことに対して。怒りっぽいけど、ちゃんと芯があって、たまに優しいユウを誘ってくれたことについても同様に」
 タホは、メロンソーダを一口飲んで、こう言った。
「ねえコウタ、また一緒にスロット打とうよ。スロットじゃなくてもいい。違うことでもいい。他のギャンブルだって同じような理があるだろうし、ビジネスだってたぶん同じような理があるはずだよ。まだコウタは負けてないじゃない。ただ転んだだけだよ。一回転んでも、そこから起き上がる手伝いくらいなら、オレできるよ」

「タホさん。マジかっけえ」

 私は、いつもコウタと言っていたこの台詞を、本心から使っていた。

 でも、同時に思ったのは、私の時は、ギャンブルがしたいみたいなことを力説してたくせに、コウタの時は違うことでもいい? ビジネス? 話違うじゃん、ずるいじゃん。

 でも、それはタホなりの方便だろう。気にしないことにしよう。今はコウタの話なのだ。コウタはうなだれている。あれ? これは、もしかして……

「もしかしてさ、あんた、まだその彼女と生活してるんでしょ。ってか、何も言い出せなかったんでしょ」

「……」

 沈黙があった。

 そしてコウタはこくりとうなずいた。

「バッカじゃない? そんな現場を見といて、百万も抜かれて、まだそんな関係を続けてるの?」

「……」

「最低」

「コウタはどうしたいの?」優しい声でタホがそう言った。

「わかんねえ」
 何が悲しいといって、コウタは、優先順位をつけることができなくなっていたのだ。私はそれが悲しかった。
「あの日さ、オレがパチ屋なんか連れて行かなきゃ良かったってマジで思う。あれさえなきゃ……」

「まだそんなこと言ってんの? あんたが前言った言葉で私すごく好きなのがあるんだけど」怒らない、怒らない、と念じながら、私はそう言った。

「優先すべきは何? それを決めよう。それに殉じよう。でも、その順番は絶対じゃない。状況なんてコロコロ変わるし、そしたらそれはそれ。その都度変えていこうじゃないか、って。
 何、ソレ? それじゃ何も決めてないのと一緒じゃない、って言った私にあんたは言った。

 オレらの最優先事項は、後悔しないことだ、って。
 何があっても揺らがない決まりごとはひとつ。『後悔しない』これだけは守ろう。後悔なんて意味はおろか、得るものが一つもない。ああすれば良かったこうすれば良かったなんて、動き続ける人間には思い悩んでる時間なんてない。オレらが決めたことで、もし結果が出なかったとしても、明日があるし明後日がある。ダメだったらダメだったで、あきらめて、違うことをしよう。それまでオレたちは運命共同体だ。

 あんたは笑顔でそう言った。人間はいくら変わってもいい。だけど言葉は変わらないでしょ。私は今のコウタじゃなくて、そう言ったコウタを信じたいんだけど」


 この日の会合はこれでお開きになった。それ以上誰も話す人がいなかったし、何より全員疲れ果てていた。

 私にはコウタが可哀想だなんて思えないし、その女に必要以上の苛立ちも感じない。万有引力の法則と同じだ。バカとバカは引かれ合う。それだけのことだ。


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 あれから5年が経った。

 震災を経験し、イベント規制を経験し、今、私は、ひとりでスロットを打っている。稼働内容の大半は、あの頃嫌っていたハイエナだ。ピンでも、やりようによっては、月に40から50万の期待値は稼げてしまう。何という時代が来たんだろう。

 でも今日は、月イチイベントで、設定を追っている。うん。やっぱり、こっちのが断然楽しい。昔取った鼻でクンクン。3番台、13番台、23番台、33番台……どうやら、末尾3番に設定が入っているという予想。それから、機種単位で全台設定6というのもある。太っ腹ですなあ。


 ただ、空かない。空くとは思えない。年々、知識のある人は増え、何よりスマホの普及により、肝心要の知識介入という「優位性」に差がなくなってしまった。

 私はぶらぶらホールを歩いている。見慣れた後姿を見つけ、立ち止まる。右手でコインを入れる、右手でレバーを叩く、右手でストップボタンを押す。そのリズムはメトロノームのように正確である。左手は、全ての動作の補助の役目を担う。右手にコインを送る、下皿のコインを詰める、コインを上の箱に移す。箱にはコインを軽く詰める程度。出してるぜアピールは皆無。しなやかとは言えないが、無骨で、実直で、無駄がなく、老練。タホである。

 もう一人の見慣れた後姿を発見し、そこでも立ち止まる。私より肩幅がないんじゃないか、というなで肩。右手でコインを入れる。左手でレバーを叩く、左手で左のストップボタンを押す、右手で右のストップボタンを押す、そのまま右手で真ん中のストップボタンを押す。何十回転か毎に、レバーを叩く手を変える。

 筐体の前の細い指がしなやかに躍動する。箱の中に器用にコインを詰めていく。整然と、山のように、こんもりと。このサイズの箱に、このスピードで二千枚ほどのコインを詰めることができる人間を私は他に知らない。コウタ。スロットを打っている人間の後姿を美しく感じるなんて、私は少し変なのだろうか?


 この二人に、私が勝っている部分はあるだろうか? ちょっと思い当たらない。時折降りてくるヒキくらいだろうか。今、私たちは、イベントのときだけ、こうして一緒に設定を追っている。


 この時間は、二人に甘えることにして、念入りに手を洗い、外に出た。耳栓を外す。街の音が徐々に身体に入ってくる。風が頬を撫でていく。パチンコ屋の中とは違い、生暖かい風だ。さて、何を食べようか。

 食べたいものが思いつかない。ファミレスという気分ではないし、コンビニという気分でもない。でも、何か食べておかなければ。いや、違う。そういう考えはよくない。私が今、何が食べたいかが重要なのだ。

 おばちゃんの運転する自転車が、チリンチリンとベルを鳴らし、よろよろと追い抜かしていく。クラクションがどこからか聞こえ、キョロキョロと周りを見渡す。どこで鳴ったのかはわからない。

 再び何を食べたいのか、という疑問を身体に投げかける。何が食べたい? と、何かの匂いが風に乗って鼻をかすめた。どぎつい豚骨のスープににんにくが入り混じった、脳のある部分を鷲掴みにされるような匂いだった。

 通りの向こうに、ラーメン屋さんが見えた。私は、匂いから味を想像してみる。麺太目、脂ギトギト、濃厚スープ。店内には、ラーメンの汁が染み付いたスポーツ新聞や週刊誌が雑然と積んであって、カウンターの脇にセルフサービスの水がドンと置いてある。女一人では入りづらい雰囲気。よし、そこに行こう。


 青になったばかりの横断歩道を、駆け足で渡る。目線を上げると、風に吹かれて、格子模様のような雲が流れていった。



おしまい

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