タホ
高校の同級生。
私たちが通っていたのは、きわめて平凡な公立男女共学校だった。ほとんどの生徒が大学か専門学校へ進む、ステップアップ継続演出、通過点のような普通高校だった。てか、大人になってから考えると、普通科の高校ってネーミングすごくない? 普通って何なんだろうね。
まあいいや。タホは、校庭の隅の用具入れのように地味な男で、三年間一緒のクラスだったにもかかわらず、まともに喋ったことはなかった。というよりも、私の視界に入っていたかどうかすら怪しい。
だったなかったと過去形を並べたのは、それが過去であるからだ。今は私の信頼できる仲間であり、タホを電話で起こすのは私の日課である(タホの唯一の欠点は、朝が苦手ということだ)。
田嶋歩。タホ。おそろしく地味な男。しかし彼の持つ特技の前では、私もコウタも両手を挙げて降参する他ない。
他の誰にもない彼だけの特性。それは忍耐力である。つまるところ、精神力。その昔、修験者たちが苦行の果てに辿り着いたその境地に、彼は生まれた時から立っていたに違いない。川をせき止める大岩のような安定感、動じないそのハート。
毎日スロットを打っているとはいえ、それでも精神力がブチンと切断してまうことはしょっちゅうである。もう、本当にしょっちゅうで、私は決定的にここが足らない。はい。自覚あり。台の設定はどうやら良いらしい。しかし、出ない。さっぱり出ない。そんな時、私はタホに変わってもらう。
タホはどんな状況だろうが、そこに勝ちの芽がある限り、黙々と、スロットのレバーを叩き続ける。それでも負けてしまうこともある。でも、私とコウタはこう思うのだ。タホが粘ってくれたのだから、しょうがない、と。私たちは最善のことをしたのだ、と。
表情の変化があまりない。パチンコ屋の中では特に。このあたりのパチンコ屋が営業する13時間近くもの間、彼はほとんど変化することなくスロットを打ち続ける。変化するのは彼の上に積み上げられたドル箱だけ。
「タホさんマジかっけー」は、私とコウタの口癖の一つだ。
ついでに言うと、彼はお金に頓着が全然ない。スロットという遊びが単純に楽しいのだ、とタホは言う。タホはパチンコ屋で稼いだお金のほぼ全てを貯金しているらしい。
「お金の使い方がわからない」これはタホの口癖の一つだ。
一体いくらあるんだろう? たぶん、コウタならわかると思う。コウタは今まで全ての勝敗と収益を詳細にメモしているから、私たちの懐事情はお見通しなのだ。
コウタ
そんなコウタは、私やタホよりも五つ年上だ。だから(あんまり言いたくはないけど)29歳。高校生の頃にサンダーVという台に出会い(超名機!)、スロットにのめり込む。
大学入学の後も、単位ギリギリを見極めつつ、朝から晩までスロット生活。大学に在学していた4年間で、500万円を貯めた猛者。
文系だけど、理論理屈派、とほざく男。だから基本的に話がうざい。
「やりたいことがあったんだ」とコウタは言う。
「何?」と聞いてあげる。時々、私は優しい。
「映画を撮りたくてさ」
「その500万円で?」
「うん。元手がなくても映画は撮れる。撮ろうと思えばね。それより、欲しいキャメラがあったんだ」
「……へえ、……キャメラねえ(笑いをこらえながら)。で、買ったの、キャメラ(ダメだ。耐えきれずに笑ってしまう)?」
キャメラキャメラ笑う私を無視して、コウタは喋る。
「いや、買わなかった。大学を卒業した後、小さな映画制作会社に頼みこんで無給で働かせてもらったんだ。で、そこで挫折」
この日のコウタは、珍しくアルコールが入っていて饒舌である。
「映画づくりってこんなもんなんだって。一ヶ月で辞めて、その後はフラフラと沖縄から北に向けて日本を縦断した。お金も少しはあったし」
「楽しかった?」
「楽しかった。一番驚いたのはさ、日本中ほぼほぼどこでもパチ屋があったことなんだよね。旅をしてるとさ、ジブンだけのモノサシを持つようになる。その土地を判断する回路ができちゃうんだよ。オレがその旅で手に入れたモノサシは、パチンコ屋に入ってみる、ってことだった」
「えっらそうに……」
「屋久島とか佐渡島っていうデカめの島はもちろん、伊豆のちっちゃな島とかにもあるんだぜ」
「映画の夢はどこに行ったの?」
「んーとね」
コウタの話は散り散りに、思いつくままに飛ぶ。行き当りばったりの性格が如実に現れている。理屈臭い思考と、快楽に弱い傾向。それでも本人は一貫性があると思っているのだろう。
「もうその話いいや」
「話は最後まで聞けって」コウタは言う。
「やだ。だって長いんでしょ?」話が長くなるところも君の短所だよ、というニュアンスをこめて。
「じゃあ短く言う。うん。旅の果ての北海道でさ、オレ、日本は駄目だ。ハリウッドだ、って思ったんだ。んで、お金を貯めるのに一番効率いい手段は、オレの場合スロットだろ。それでおまえらと一緒に打つようになって、で、夢はどっかに飛んでっちまった。『旅に病んで夢は枯野をかけめぐる』」
「何それ」
「芭蕉辞世の句」
「あんたと芭蕉と何が関係あるの?」
「いや、ただのトリビアっつうか」
そう、コウタは、こういう男だった。行動力はあるが、気取り屋でかっこつけで、しかも目先のにんじんからは決して離れることができない馬鹿なのだ。
つづく