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 最後に、脳の話をしたい。


 脳は、新旧様々な部位があり、記憶を司り、感情を司り、全身にネットワークを張り巡らせ、意志を生み、日々の生活に携わるほとんどの実権を握っている。
その脳の中に、快楽に関わる中枢がある。報酬系と呼ばれたりする部分だ。


 これは有名な実験らしいんだけど、マウスや猿の脳の快楽中枢に電極を差し込んで、スイッチ1つでそこを刺激できる、ということを学ばせると、延々押してしまうんだそうだ。死ぬまでマスターベーションを止めない猿ってどこかで聞いたことあるだろ? 食事よりも、睡眠よりも、快楽を得ようとする部位が人間の脳の中にもある。


 だけど、報酬系よりも更に強い強制力を持って存在しているものもある。人間を社会に縛りつける、人間が社会的な動物であるための鍵。抑制系ってやつだ。


 ギャンブル中毒や薬物中毒に陥りやすい人は、大体が自分を抑制するのが苦手だ。
もちろん一般論。僕だけは違うなんてことを言うつもりはない。


 ただ、報酬系というのは、特定の刺激をもって活発化し、人間の行動を規定するのだけど、僕は報酬はお金でいい、と思っているんだ。気持ち良さではなくね。


 同じようだけど、違う。
わかってもらえると嬉しい。




  仮説② 

 「慌てるホームレスは貰いが少ない」



 私の人生にも当然悩みなり何なりがあって、といって、それで一々頭を抱えることはないのだけど、それは降って湧いたように、時折暴れ始める。 

 男という存在だ。飲む打つ買うの三要素を好む男は御しやすい。というよりも、ギャンブルを好んでパチンコ屋に通う(つまり私たちの稼ぎを捻出してくれる)男は、多かれ少なかれ皆そういう資質がある。

 簡単に言えばだらしないのだ。彼らに対しては、恋愛感情は起きようがない。自分の食い扶持そのもののような彼らに、恋慕の情など生まれるはずがない。

 私たちは、パチンコ屋からお金をもらっているのではなく、パチンコ屋を通して、彼らからお金をもらっているのだ。私には、ダメ人間のモトカレがいた。今思えば、それは小さい頃克服したアトピーのようなものに過ぎない。だけど克服したはずのそれは、時々、寝苦しい夜、膝の裏に溜まった汗と共に復活したりする。

 あれ? 痒い。とうぜん掻く。すると痕に残る。クソ忌々しい。男、という存在である。



キミはまだ、幸運にもパチンコ屋に足を踏み入れていないのだから、それでいいじゃないかとも思うけど、一応説明はしておきたい。

 キミは、数百枚のトランプのカードの中から一枚を引かなければいけない(いけない)。

” 

 

 こんなファッキンな手紙を見せられて、何を言えばよかったんだろう? 口から滑り出たのは、心から思ったこと。

「気持ち悪い」

 しかし、まあまあ顔が整っているというのは、コウタにとって弱点にしかなっていないのではないか。
 何不自由なく甘やかされて育った一人っ子。共働きの両親という寂しさと自由。論理系統に重きを置く脳みそ。俊敏な肉体。行動力。目鼻立ちの整った顔。全部弱点にしかなってないじゃないか。

「キミ? は? バカじゃないの?」

 私は胸のうちに燻りそうになったものを、再点火して言った。

「なあ、オレ、こんなの初めてなんだ。頼む。どうすりゃいい?」

「雰囲気を作って徐々に差をつめる。以上」私は少し、いやかなり、苛立っていた。

「何だよ? 雰囲気って」

「そんなのもわかんないでチャラオを気取ってたの?」

「何、怒ってんだよ。あのさ、毎日スロットしてる人間ってどう見えるのかな? 実際」

「気持ち悪いでしょ。実際」

「じゃあオレ、スロット止めようかな」

「は? 私やタホはどうすんの?」

「おまえらなら二人でも充分やっていけるだろ。タホなんか一人でも余裕だろうし。それにおまえもいつまでもスロットなんてやってたら婚期逃すぞ」

「は? 何、コンキって。クソみたいな差別用語じゃん」

「すぐ怒るなって。おまえの悪い癖だぞ」

「うるさい。そんな話聞きたくない。私、帰る。タホに明日は休むって言っといて」

 ……。
 

 と、いうわけ。

 というわけで、さっきから私は自己嫌悪と共に正座している。

「でもさ」と口に出して言う。「あんたが悪いんでしょ」

 コウタのことを性的に好きなわけではきっとない。だけど嫉妬心が疼いて仕方がない。もちろん、同じことがタホにあってもきっと同じような気持ちになる、と思う。  

 あー。

「どっか遠くに行きたいな」と呟いた後で、遠くなんて行きたくもないな、と思った。


 こういう時、タバコを吸う人だったら、スパスパ吸うのだろうけど、私にそんな魔法の葉っぱは存在しない。どうせ体に悪いだけなんだ、と悪態をついてみる。ああ、残暑だか何だか知らないけど暑い。パチンコ屋の中は寒くて仕方がないっていうのに。嫌いなはずのクーラーをつけてみる。くしゃみが出たので止めてみる。

 ブランデーの瓶に目が留まったが、この暑さだ。飲む気がしない。テレビをつけて、見るものがなくて消して。

 漫画をぱらぱらめくって、面白くなくて、閉じて。

 そうするうちに、虚しくなってきて泣いた。私の人生って何なのだろう。

 くそ、シャワーを浴びてやる。


          ☆


 一人でパチンコ屋に来るなんていつ以来だろう? 休校を知らずに教室に来てしまった小学生みたいな違和感があった。
 何、これ。何を打っていいのかさっぱりわからない。いや、厳密に言うと、わからないのではなく、打つ台が見当たらない。客層とデータを見比べるだけで、この店で打ってはいけない、というのがすぐにわかる。曇り空に星を探すように、私は存在しないものを探していた。見えないものを見ようとしていた。


 誰でもいいから抱いて欲しいみたいな心境で適当な台に座り、万券をコインサンドに投入した。お金が減っていく。減れども減れども、台は私の欲求を満たしてはくれなかった。 

 当然、負けた。

 完膚なきまでに。

 パチンコ屋の外に出て携帯をのぞくと、タホからメールが入っていた。

――何してる?

 私はすぐに電話をする。
「ねえ、タホ、聞いてよ」

「ん?」

 相変わらずぼおっとした声。何か、ほっとした。

「負けちゃったのー」

「ええ?」

「だからさ、今日、タホのおごりでお酒でも飲みにいかない? 残念会」

「今、どこにいるの?」

「――――」

 私のいるパチンコ屋の場所を告げると、タホは本当に来てくれた。普段は行かない(行けない)リストランテへ直行。

 スプマンテのボトルを頼み、瞬時に空けて、それからハウスワインの白をグラスでもらう。

 パルマ産の生ハムにパルミジャーノがたっぷりとかかったサラダ、ハウスワインの赤、ナスとトマトのアラビアータ、ピッツァマルゲリータ。

 タホはもうご飯を食べちゃったから、と言って何も手をつけようとしない。店を移動。カラオケ&生グレープフルーツサワー。ちっとも歌わないタホを尻目に「轟けドリーム」を大熱唱。

「トドロケエエエエエドリイイイイイイイ……」

 生グレ追加。フライドポテト追加。生グレ追加。大絶叫。

 タホは、顔色を変えずにセブンスターを深く吸い、時々、思い出したようにソフトドリンクをすする。

「今日はありがと。じゃ、また明日」私は深々と頭を下げた。

「うん。気をつけてね。また明日」いつも通り優しい口調で(けれど笑顔は見せずに)タホは言う。

「電話してあげるんだから二度寝すんなよ」

 私の恩着せがましい言葉にタホは「うん」と答える。

「じゃね」

「うん」

 帰り道、私はポロポロと涙を流した。

 どうして欲しいものはいつも二つなんだろう? 一つだったら、何の迷いもなく、それに飛びつくだけなのに。それを一生大切に守っていくだけなのに。

 刺激なんて痛いだけなのに、何でそんなものを欲しいと思っちゃうんだろう? 

  泣きながら歩き続けたが、答えは出なかった。変なロンゲに声をかけられそうになったので、走って逃げた。おかげで涙は止まった。


          ☆


 表面的に何の変わりもない生活は、どこか不思議とビクビク、刺激的だった。

 いつコウタがこの生活を止めようと言い出すのか、そればかりに怯える日々が心地良いだなんて、私はどこかおかしいのかもしれない。

 いつになく調子の良い一週間が過ぎた後、めぼしいイベントがなかったのもあって、買い物に出かけた。歩き回って秋冬もののブーツとワンピースを買い、買わなきゃ買わなきゃと思っていたBBクリームを手に入れ、ポール・ジローというブランデーの三十年ものを買い、余ったお金をタンス貯金に回した(十万円くらい)。

 何だか気分がいいので、二人を呼び出し、夜ご飯をおごってあげることにした。ファミレスだけどいいよね、と言いながら。

「めっずらしい」とコウタが言い、「ありがとう」とタホが言った。

「たまにはね。さ、どーんと食べなさい」

 何か勘のようなものが働いたのかもしれないな、と後になって私は思った。


つづく

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