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エッセイ
というと、気軽な読み物、というイメージがあるが、essaiというフランス語の原義は「試み」ということらしく、「試論」まだ完成していない叩き台のような文学ジャンルだったらしい。それをやりたい。

白状すると、ここ一ヶ月ほど、メイドインアビスの穴にもぐっておりましてん。

年末年始に放映された劇場版総集編メイドインアビス【前編】旅立ちの夜明け」、「劇場版総集編メイドインアビス【後編】放浪する黄昏」をそれぞれ3回見て、原作である「メイドインアビス」1~8巻を読んだのでした。

アビス、アビス、メイドインアビス、たしか、何年か前に、このアニメのことを書いた記事があったと思うんだけど、お、あったあった。


メイドインアビスと体に空いた穴のこと

一般的に、エンターテイメントというのは、7人のメインキャラクターで物語が進んでいくのが割と定番というか、お決まりというか、たとえば、「魔法少女まどか☆マギカ」では、

1、まどか(ピンク)

2、ほむら(黒)

3、さやか(青)

4、マミさん(黄色)

5、杏子(赤)

6、キュゥべえ

7、魔女

色のついたコスチュームを着たクインテット(5人組)と、インキュベーター、魔女、物語は、ほぼほぼこの組み合わせで進んでいきますね。

「ドラえもん」の劇場版でいえば、

1、のび太
2、ドラえもん
3、しずかちゃん
4、ジャイアン
5、スネオくん
6、ゲスト(たとえばピー助、異星人、過去人だとか)
7、敵

ほとんどがこの構造だし、

「ルパン三世」も、

1、ルパン
2、次元
3、五右衛門
4、不二子ちゃん
5、銭形のとっつぁん
6、ヒロイン(クラリスだとか)
7、敵(カリオストロ伯爵だとか)

「エヴァ」でいえば、

1、シンジ
2、レイ(お母さん)
3、ミサトさん(&リツコさん&カジさん)
4、ゲンドウ(&冬月教授)
5、トウジ(&ケンスケ)
6、アスカ(&マリ)
7、カヲルくん(使徒&アダム&リリス&エヴァ)

と、少し複雑だが、一話一話(あるいは局面、局面)で見れば、メインキャラが7人を超えることは早々なく、これ、どうして7人も必要なのかというと、少なすぎれば動きがなく、多すぎればややこしくて追えないという、ぼくたち人間のわがまま感覚、認識の限界にかかわってくる問題だと思われるのだけど、メイドインアビスは、これが極端に少ない。

ほぼ、2人。

それに加えて、タイトルの「メイドインアビス」というのが、少々難解で、これがアビスで生まれた人間の話であれば、「ボーン(born)」という動詞が適当なわけで、たとえばアビスの深層で生まれたというリコちゃんが物語の主格であれば、「I was born in Abyss」というのが、おそらく正しい文法のはずで、それでも、made(人工の)という言葉がタイトルになっている以上、そこには人為的な何かがあるはずだ。

というとっかかりから、物語を見進めていくことにする。

アビスというのは、「メイドインアビス」という物語世界の中心にある巨大な穴の名前であり、その巨大な穴を中心にしてできた街があり、そこにはアビス関連の職を持ったたくさんの人が住んでいる。
オースの街
こちらが、アビスです。

オースの街
このすり鉢状の街「オース」の下にある穴アビスは、深界一層「アビスの淵」、深界二層「誘いの森」、深界三層「大断層」、深界四層「巨人の盃」、深界五層「なきがらの海」、深層六層「還らずの都」と、下に、下に、続いている。

リコとレグ
この穴に挑む、レグ(ロボ)と、リコ(アビス生まれ)。

画像の引用はシネマトゥデイより

なるほど。このアビス自身に、七つの顔があるのですね。

登場人物が少なくても、問題? ないない、というのが、このメイドインアビスという物語の構造で、なるほどなー。去年からずっと考えている、物語の強度の高め方だけど、、、こんな方法もあるんですね。とんでもねえな。

すぐに連想するのは、多くの少年漫画に模倣された、ブルース・リーの「死亡遊戯」の、五重塔(にいる敵を倒して上がっていくという物語)システムで、それの地下版、と言えるかもしれない。あるいは、冥界下降譚という、古事記でいうところのイザナミ、イザナキの物語。ギリシャ神話でいうところのオルフェウスの竪琴。バビロニア=アッシリア文学におけるイシュメルの冥界下降、等々世界中にある物語原型を組み合わせたと言えるかもしれない。

で、今回この穴にもぐってみて思うのは、物語の構造もさることながら、音楽の力。これがえげつないのですね。何というか、ジブリ、FF、ドラクエ、ゼルダというような、我々の魂のふるさとのような、心のど真ん中をスコンと打ち抜くミュージックが要所要所で流れる。流れる。しかも、割と革新的に思えるのは、ヴォイスつきの音楽が多いということ。これ、小説だと難しいのだけど、何とかならないかな。文字から音が流れるシステム。

 バタンとドアを開けると、ダダダダーンとベートーヴェン交響曲第五番「運命」が流れてきた。

そんな文章を書いたとして、ほんのひと時、文章を読んでくれた人の頭の中で、メロディが鳴り響いたとしても、楽譜でいう一小節か、せいぜい二小節くらいのもので、数分間、音楽が頭の中で鳴りっ放しなんてことは、よほど訓練を積んだ音楽家でもない限り、難しい。

さらに、読者の頭の中で音楽を鳴らしたまま、文章を読み進めてもらうなんて、そんなことができるとはとても思えない。

が、たとえば、インターネットであれば、

この通り、あっという間にyoutubeに飛べる。

この面だけを見ても、すでにインターネットは、小説の器として、紙を超えているのかもしれない。しかしまあ、文章→音楽置換デバイスについては、いったん保留して、先に進もう。

メイドインアビスは、原初的な「糞尿譚」にも触れていて、糞尿譚は、スカトロジー文学とも言われる、要するにおしっこうんちの世界であり、どういうわけか、これは文学では古来より珍重されていて、古くは16世紀、フランソワ・ラブレーの「ガルガンチュアとパンタグリュエル」、18世紀マルキ・ド・サドの作品群、日本の小説化ももちろん影響を受けていて、谷崎、芥川、火野葦平にいたっては、そのままずばり「糞尿譚」という作品があるが、一般的な傾向として、うんこちんちん大好きな幼少期から、成熟するにしたがって、シークレット扱いになっていく。これは割と世界中で似たような現象らしく、したがって、文学の素養、要素になると、どうやらそういうことらしい。

ほかならぬ小生も、パチ屋のトイレはきれいだ、素晴らしい、という点を踏まえ、御手洗優という女性を主人公にしたスロ小説を何年か前に書いたが、これは糞尿譚ではぜんぜんない。もう少しトイレに寄せていけばいいんじゃろか、とも思うが、なかなかその勇気は持てず。というか、つれづれにメイドインアビスの穴にもぐって感じたことを書き連ねてみたが、ぜんぜんまったくさっぱりまとまらず。なるほど、この試論、エッセイというのは、基本、結論は保留になってしまうという弱点があり、さて、どうまとめようか。

そうだ。白木屋火災事件というのがあった。

日本では、その昔、というか、割と最近まで、パンツ、パンティを穿くという習慣がなかったそうなんですね。昭和初期に、日本橋に白木屋というデパートがあって、1932年(昭和7年)にここで火災が発生し、ビルヂングが焼け崩れてしまうのだけど、その際に、うら若き和装の女性店員が逃げ遅れて焼死してしまったらしく、その理由が、当時はみなパンティを穿いていなくて、下からのぞかれるのが恥ずかしくて救助を求められなかったというもので、以来、日本ではパンツの着用が一般的になっていった、という都市伝説があるのだけど、これは、事実ではないらしい。


白木屋火災で逃げられなかったのはノーパンだったから……ではない!


8月2日“パンツの日”に井上章一先生から学ぶ「白木屋伝説」の真相と超マジメなパンチラ考


どうしてこの種の都市伝説がまことしやかに囁かれ、広まるかというと、うら若き女子は、それくらい清純であって欲しい、という願望があるからではないか。

最近だと、長友佑都の移籍話や、エガちゃんの数々の都市伝説など。願望が形になって、情報になり、拡散してしまうことは間々あることで。

願望。それに関連して、今考えているのは、どうしてパチ屋では、ほとんどの御仁が、トイレの後に手を洗わないのかということを(女性トイレはどうなんだろう?)、けっこうマジで、割と真剣に考えているのだけど、まず思いつくのは、男子にとって、その男性的シンボルは、汚くないぞ、という開き直り仮説。

あるいは、犬でいうマーキングのようなものなのか。単純に面倒くさいのか。小便くらいで手を洗ってたまるか、という怒りにも似た激情なのか。ともあれ、印象的にも、ウイルスの蔓延という意味でも、あんまり好ましい事態ではない。いつかこの仮説を消化し、小説として昇華させ、もやもやを消火したいなあ。というところで、本日は失礼いたします。

メイドイントイレ。そこは御手洗なのだから手を洗おうの回でした。
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