KIMG3655




お前は変わらんなあ、と言われることがある。この場合、ぼくは、貶されているのだろうか。それとも、褒められているのだろうか。

逆に、お前も変わったなあ、と言われることもある。

変わらんのか、変わったのか。ぼく自身、めちゃくちゃ変わった自信がある。が、まったく変わっていない部分もあるっちゃある。というか、変わらん部分が大部分を占めているまである。

確かなことは、人を構成する細胞は基本的に変化し続け、しかし認識を司る感覚は変化しにくい傾向があるということだろう。

学生時代の友人で、一人称が変わったという人はいない。
「おれがさあ」と言っていたやつが、急に「ソレガシが」「小生が」「拙者が」と言い出した例は見たことがない。

だけど、もれなくみんなおっさんになっているのだ。ひどく当たり前のことで、書くまでもないことかもしれないが。

変わったといえば、仕事の合間にスロットをしている友人から、「マジ熱し。この台、ぜってー高設定」というようなラインが送られてくることがあるが、学生の頃のぼくなら、「どこぞ? それはどこの店ぞ?」と、熱のこもったスロットーーークに発展するところだが、今のぼくは、へえ、すごいな、と褒め称えるだけになってしまった。

この部分は確実に変わった。だけど、変わったというよりも、ぼくはこれを洗練と呼びたいw ソフィスティケイトである。

sophisticate,洗練される。

大昔、村上龍の書くものを読んでいて、ソフィスティケイト、ソフィスティケイト、もういいよ、と思っていたが、まさかパチスロにおける認識が、ソフィスティケイトされるとは。今で言えば、ヴァージョンアップか。

いずれにしても、他人を啓発したがる人間はうさんくさい。大きなお世話だ。自分の畑を耕した後で、目を細め、畑を眺める際にのみ、初めてそのような言葉は有効性を持つのではないか。

だから、ぼくは大きな声で言える。ぼくのパチスロは、ソフィスティケイティッド、洗練されたのだ、と。だせえw

たしかに、だせえ&惰性でパチスロを打っているというのは否めない。この人間の感覚は、慣性の法則、すなわち「運動の第1法則(fromウィキ)」に似た部分がある。

「すべての物体は、外部から力を加えられない限り、静止している物体は静止状態を続け、運動している物体は等速直線運動
を続ける」

外圧がなければ変わろうとしない。日本の歴史は、そのままぼくらの個人史に直結しているのだろう。

ぼくはパチスロのモード狙いが好きだ。モードというのは、「一過性」のもので、すぐに失われてしまうものだからだ。風(リセット)が吹けば飛ばされる。玉石が混ざっている。それを丁寧に選別する。雨の日も、風の日も、雪の日も。何とも生きている感じがする。

Re:ゼロ(コンビニ非経由)モード狙い
B天井にて解除。一体撃破を持って、白鯨攻略戦に臨む(継続率表示は61%)
1戦目は継続確定
2戦目は、辛くも復活演出で継続
3戦目は、敗れるものの、終了画面がレム。これは、50%で復活という演出である
→ピンポーン(コンビニのチャイムが鳴る)
-13.5k

続いて、沖ドキのモード(スルー回数兼天井)狙い
投資14k通常点滅BIG
ここがモードBであれば、50%で天国にGOなのだが。
32やめ
-9.5k

今日は負けてしまったが、ミドルリスク、ハイリターンというバランスも好き。
にほんブログ村 スロットブログへ