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パチ屋へ

エヴァAT777(D-3、シーン7)
10周期目のゼーレミッションをマックスでクリア!
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投資5k、憧れのATをゲットするも、150枚フィニート-3k

いつだったか、目に悪いからボーダーを上げようとか言っていた猛獣王を400手前からw
550あたりのゾーン?解除 ゴリサバ単発168枚-1k

押サ番長マップ4狙い
夕方背景+ラクダレーススルー-3k

バジ絆

2連262枚(絆高確「縁」スルー、巻物スルー)

4連513枚

7連826枚(最終天井、BT絆高確「恋」巻物2回スルー)

単発150枚(巻物スルー)

2連283枚(絆高確「恋」スルー)

超高確巻物2連続スルー
モードCチャンス目2連続スルー
同色BC6連続ストックなし

流血、止まらずw

とはいえ、甲賀弦之介が、薬師寺天膳に負けてばかりのバトルを見る生活も、後2ヶ月足らずで終わってしまう。

ぼくは今、限定された時間を生きている。学生のように、あるいは刑務所の中のように。

区切り。時間や事物を切り取るのは、表現の始まりでもある。文字で、絵で、映像で、しかし何で切り取るにしても、切ったら血が出るのだ。だから、すべての表現は、血にまみれている。

では、その表現で紡ぎたい物語とは、何だろう?

コトバンクによると、平安時代に発生した文学の様式。内容,性格によって,作り物語歌物語歴史物語説話文学軍記物語擬古物語などに分類されるが,単に物語というときは『源氏物語』に代表される作り物語をさす。

とあるが、たとえば、次のような文章は、物語だろうか?

今日は、朝起きて、ご飯を食べて、パチンコ屋に行きました。勝ちました。

否。これはただの日記だ。あるいは、(書き手にとっての)事実の羅列であって、述語の一つ一つが、「起きる」「食べる」「行く」「勝つ」と、等価値である点で物語ではない。

物語とは、たぶん、起伏のことだ。日本最古の物語が、竹取物語である(と源氏物語にそう書いてある)ように、月の満ち欠けのような「起伏」。

つまり「欠損」と「回復」である。

村上春樹のデビュー作、「風の歌を聴け」には、鼠という登場人物が出てくるが、この鼠が書いたという小説を、語り手である「僕」は、次のような言葉で読者に伝えようとする。

 鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。

これは、裏返しのメタファーなのか、皮肉なのか。ともあれ、誰も死なず、誰もハメを外さない物語は、物語として成立しにくい。というか、そういうものを読みたいという人がまずいない。

スロットを打っていて、隣で出している人を見て、嬉しい人はほとんどいないはずだ。それでいて、ATやARTがすぐ終わる人がいるとホッとしてしまう。自分以外の打ち手が勝とうが負けようが、財布の中身は変わらないのに。

自分、が勝つから嬉しい。自分、が負けるから悲しい。自分、の血が流れるから痛い。物語はそういうものなのだと思う。

バジ絆30万チャレンジ

86台 40時間13分 -70k

PBC1 真瞳術0

目標まで後370k

撤去まで後56日

つづく

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