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バジ絆とは何か? パチスロである。

では、パチスロとは何か? 遊技、すなわち遊びである。

ならば、遊びとは何か? と問われれば、「楽しいこと全般だよー(ピース)」というカジュアルな返信をしたくなるが、もう少しオフィシャルに説明してくれと言われると、考え込むことになる。

サボりとの違い。

チルとの違い。

リラックスとの違い。

微妙なラインが引けてしまうのは、定義として、どうなんだろう。

馬鹿になるのパターンと、真剣になるパターン。惰性のパターン。遊びと言っても色々ありそうである。

そんな「遊び」を、ヨハン・ホイジンガさんという方は、こんな風に定義する。

遊びは自由な行為であり、「ほんとのことではない」としてありきたりの生活の埒外にあると考えられる。にもかかわらず、それは遊ぶ人を完全にとりこにするが、だからといって何か物質的利益と結びつくわけでは全くなく、また他面、何かの効用を織り込まれているものでもない。それは自ら進んで限定した時間と空間の中で遂行され、一定の法則に従って秩序正しく進行し、しかも共同体的規範を作り出す。それは自らを好んで秘密で取り囲み、あるいは仮装をもってありきたりの世界とは別のものであることを強調する。

う、うん。

遊びってのは、自由なんだなあ(というところまでは理解した)。

期待値追いというスロッターの変種(奇行種)は、この「遊び」なるものに、「期待値」という、現実的、または物質的な利益をちょい足ししようとする、大欲張り人間のことである。この理解はたぶん合っていると思う。

また、ホイジンガさんは、次のようなことも言っている。

遊びは何ものかを求めての闘争であるか、あるいは何かをあらわす表現であるかのどちらかである。

これは、とても腑に落ちる言葉である。その意味において、「書くこと、賭けること」の作者である寿は、一挙両得をもくろんでいるのだろう。不埒なことである。ということは、ぼくは、遊び人を目指しているということになってしまうんだろうか?

ただ、遊ぶといっても、気の向くままに遊んでいると、あっという間に時間が過ぎてしまう。

時間をどう使うかの選択権を奪われた人のことを奴隷と言うが、どんな人間も、時間から逃れることはできない。つまり人は、時間の奴隷にあるか。何か、または誰かの奴隷であるか。行くも地獄、退くも地獄の我らが人生。

昨日は、たまっていた文章読みに終日没頭し、スロットはお休み。

目標まで後212500

撤去まで後69日

つづく
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