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バジリスクの世界の主要登場人物は、戦っている。

たぶん、この時間も、誰かの打つ台の中で、戦っている。伊賀と、甲賀。罪と、罰と、カルマ。彼ら、彼女らは、戦う以外、何も考えられない境遇の中にいる。

が、それはいい。戦うのはいい。恨みを持つのもしょうがない。人間だもの。けれど、その世界から遠く隔たった場所にいるぼくが気になるのは、「伊賀虫」だとか、「伊賀猿」という悪口である。戦争をしている兵士の言葉なのだから、しょうがない、というか、だからこそリアルなのだろうが、その点において、バジリスク世界は、この世界とよく似ている。無論、自分の父親が敵方の忍者に殺されたという事実は、他者の想像を許さない程に辛いことだろう。慟哭、滂沱の念は、察するに余りある。

だけど、それとこれは別だ。

どんな意図があるにしろ、蔑称を使う人間は、他者を見下している。他者というのは、人間以外の動物も含めてのことだ。その証拠に、自分のことは、決して、「甲賀虫」であるとか、「甲賀猿」であるとは名乗らない。自分は言っていいが、相手には許さないというのは、典型的なハラスメントの形でもある。喩えというのは、文学の重要な要素の一つであるが、どれだけ巧みなたとえを思いついたとしても、他者を見下す人間が、聖人であったり、誠実な文学者であったためしはない。別に、文学者である必要なんて全然ないわけだけど(くりかえすが、彼らは兵士なのだ)。

ともあれ、甲賀のドン弦之介や、伊賀の首領である朧は、そのような言葉遣いを絶対にしない。そういう人物であり、そういう風に育てられているからだ。が、組織の長に付き従う人間には、品性までは伝播しないらしい。

というように、バジリスク世界にも、格差が存在している。この、格差に対する憤りを、ルサンチマンと、思想家であるキェルケゴールは呼んだ。

その言葉を再定義したニーチェの使う「ルサンチマン(強者に対し仕返しを求める弱者の心性)」とは、感情を反芻(はんすう)することを意味している。

「辛かったことにいつまでもこだわること」、「こんなに自分を苦しめた奴は誰だ」と、いつまでも恨みに思うことである。だからルサンチマン人間は、「あいつは力がある、したがってあいつは悪い」と考える。


「ニーチェ入門」竹田青嗣より

何かを見下すことは、最終的に、自分を見下すことになる。と、ぼくはそう考えている。

だから、どれだけBTがしょぼくれていても、悪態はつかないようにしないとあかん(吐血)。

3連360枚
2連225枚(強チェリー2回、巻物2回スルー)
3連392枚
単発146枚
3連504枚(追想+50)
5連640枚(BT中オールベルストック、オールベルストック単発)
2連266枚
4連512枚

大敗。
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