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2013年。
当時62歳の高橋源一郎(高橋さんは1951年1月1日生まれ)が、こんなことを書いている。

 都築響一さんの『ヒップホップの詩人たち』を呼んでいて(読んでなくても、だけど)、こんなことを思った。
 ぼくがいま十八だとして、いや、十八じゃなくってもいい、十六でも十四でも、とにかく、それぐらいの年齢で、なにをやりたいだろうか、って考えると、ヒップホップじゃないかと思うんだ。正確にいうと、ヒップホップという文化の中の、言語表現としてのラップじゃないかな、って。
 とりあえず、現実のぼくは、十八の時(正確には十四ぐらいから)、「なにかを書く」人になりたい、って思ってた。「なにかを書く」って、なんか抽象的って、思えるかもしれないけど、十四とか十六とか十八じゃあ、そんなものだよ。

~中略~

 その頃、「詩を書く」ことは、すごくカッコいいことだった。

~中略~

 大切なのは、「詩を書くこと」じゃなくって、「そのグループに属すること」だった。そして、そのことによって、「向こう側」に行ってしまうことだった。
「向こう側」があるってことは、「こっち側」もあるってことだね。
「こっち側」っていうのは、「退屈な日常」とか、「学校」や「家」のことで、「こっち側」に満足してるやつは、どうしようもないアホウだって思ってた。とはいっても、そう簡単に「向こう側」に行けるわけじゃない。


14、5、6、7、8(じゅうしごろくしちはち)歳のぼくも、同じようなことを考えていた。どうにかして、「向こう側」に行けないものか、と画策していた。その考えを行動に移したのは、16歳の冬で、ぼくは、いや、ぼくたちは、バンドを結成したのだった。ギターのやつが作る曲に合わせて、詩を書いて歌った。ビジュアル系っぽい感じのバンドだったが、歌ってる本人としては、MURO(マイクロフォンペイジャーのムロです)とか聴いてるし、というスタンスでいた。グレイとか黒夢とかラルクだけを聴いてるわけじゃなくて、電気グルーヴも好きだし、何なら、ドヴォルザークもシベリウスも好きだよ、と。ジャンルというものを、そんなに重視してなかったんだと思う。今をときめくPUNPEEも、ビジュアル系のバンドでベースを弾いていた時代があったらしいし、それはそれとして、どうして、ぼくは、詩を書いたり、歌を歌う、みたいなことをしたかったんだろう? これはさっき書いたな。「向こう側」に行きたかったからだ。

たぶん、14、5、6、7、8歳のぼくは、「これじゃない感」に全身が押し潰されそうで、息苦しくて、どうにかして、「これ、これこそがおれ」と言えるものを見つけたかったんだと思う。高橋源一郎の言う「向こう側」に行くためには、どんな手を使ってでも、「これ」を見つけなければいけないのだ、と。でも、ぼくにとってバンドは、「向こう側」に行くためのチケットではなかった。高校三年生。バンドメンバーたちが受験モードに入る頃、ぼくはパチ屋に入り浸っていた。ぼくたちの音楽活動は、何も残すことができずに終焉を迎えたのだ。

が、ここではないどこかを探す衝動は、止められない。泳いでいないと窒息して死んでしまう魚類みたいに?

次なる「これ」が見つかったのは、その何年か後のことで、ぼくは、原宿にオフィスを構える芸能事務所っぽいところにいた。これは、割とすぐにカタチになった。5つの在京キー局、それからNHKでも(エキストラ、もしくは端役、あるいはヴァラエティ番組のやらせ要員というような、より厳密に言うと、テレビ局に委託された制作会社の)仕事をして、お金をもらった。映画にも出たし、Vシネマにも出た。どこかのクレジットカード会社の南太平洋地区だかのCMの撮影にも参加した。円谷プロの人と共にキャラクターショーにも出演した。劇団の一員となって、舞台に2本立った。2年ちょっとの間に、だ。

でも、役者も「これ」ではなかった。ついぞ、「向こう側」には行けなかった。

音楽に関しては、若かった分、未練のようなものがまだ体内のどこかに残っている感じがするが、役者に関しては、思い残すことは何もない。というのも、作家になって、自作の映画化権の交渉の際に、作者を使うこと、という条項をつけることができれば、演技のクオリティはともあれ、役者ごっこはできるだろう、という、ゲスいことを思いついたからだ。

本当に、ゲスい人間なんだろう。音楽にしても、映画にしても、小説にしても、人間の生活に必要不可欠のものではない。でも、その、必要不可欠のものではないものを媒介にして、「向こう側」に行きたいという気持ちが消えない。「こっち側」の生活がままならないのに、どうにかして、「向こう側」に行きたい。

そりゃ、できれば、人のためになることがしたい。それは心からそう思うし、そう願う。でも、それは目的じゃない。ぼくの目的は、「向こう側」に行くことなのだ。

どうして、「こっち側」じゃダメなんだろう? 

今になって思うのは、「こっち側」にとどまっている限り、モテないに違いないという、信仰心にも似た強迫観念である。卵が先か、鶏が先か。「向こう側」に行くことで、モテたいという向上心なのか、「こっち側」にとどまっている限り、モテない、に違いないという危機感なのか。ともあれ、ひとつのポイントは、性なのだろう。どうしても、イキたいのだから。

できっこないをやらなくちゃ



最近、知ったこのブログ。
この、早稲田大学に通う(大学公認)ブロガーも、どうにかして向こう側に行こうと画策している人のように見える。この人にとっての「これ」は、AV男優。

このブログは、しゃおじょんさんという人が、池袋の風俗で、12万ぼったくられたところから、始まっている。

風俗レポの中で、さらっと白楽天の「長恨歌(806年)」をそらんじたり、ブログが話題になったことで、早稲田大学文学部の教務主任に呼び出されて、応援はしないけど、認めるからさ、と公認をもらったりする。彼は、本名を名乗り、所属を名乗り、AV男優を目指すと、高らかに宣言する。その様は、HIPHOP的であり、文学的でもある。

しゃおじょんさんは、ぼくが高橋源一郎さんの文章を引いたように、ブログの中で、しみけんさんの文章を引く。

今、世に出ているAV作品は「フィクション」であり「想像力の具現化」であります。ですがそれを真に受けてしまい、「負の教科書」となってしまうのが本当に残念でなりません。

僕たちは”不真面目なことを真面目に”やっているのです。人に与えられた想像力を最大限に活用し、生きる活力を生み出そうとしているのです。そう、「心が生きる」と書いて「性」なのです。



心が生きる。
そうか、エロは、心が生きるための方法なのか。

14、5、6、7、8(じゅうしごろくしちはち)歳の頃、ぼくが一番熱心に読んでいたのは、ヤンキーマンガで、それは何故かというと、一番イキイキと動いているように見えたからだ。

その中でも一番好きだったヤンキーマンガには、「スピードの向こう側」というパワーワードがあった。

性欲の向こう側には、賢者タイムがあり、スピードの向こう側には、死が待っている。それでもぼくたちは、向こう側にイキたい。今年39歳だよ? 馬鹿ですねえ。それしか言いようがない。

生れて、すみません。太宰治はこのことを言っていたのか。

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