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1、人生のゴールって何だろう? ということを考えている。

2、最近、小型のワインセラーを買った。

3、静かだと聞いていたワインセラーが、思いのほかうるさくて、眠れない。

という題材で、今日は文章を書こうと思ったのだけど、1と2は、ほとんど正反対の現象である。人生のゴールとは何だろう? というのは、目的を見つけようとする模索であり、ワインセラーを買った、というのは、目的を遂げた、ということだ。ほとんど正反対の現象が、ひとところにあるということを矛盾と言い、それが人間存在の証拠でもあるのだろうけど、のっけからこれでは文章が進まない。

どうしよう。悩んでいてもしょうがないので、順番を変えてみる。

1、最近、小型のワインセラーを買った。

2、静かだと聞いていたワインセラーが、思いのほがうるさくて、眠れない。

3、人生のゴールって、何だろう?

うん。この順番ならいけるかもしれない。

今年に入ってから、ぼくはある実験をしている。それは、なるべく冷たい飲み物を飲まない、ということだ。ぼくはあまりお腹が強い方ではなく、そんな胃弱人間が、格好をつけて冷たい飲み物をぐびぐび飲む必要があるのだろうか? という疑問が、四十手前にして浮かんだのだった。胃弱人間が、アルコールを欲するというのも、ずいぶんな矛盾な気もするが、許容量と、嗜好性というのは、たぶん矛盾しない。大食漢も、小食も、ともに腹が減る。それは強弱の問題に過ぎないのだ。

ともあれ、ラガータイプのビールや、チューハイは、冷やすことを前提に作られており、これを控えたい(夏場はその限りではない)。冬は、焼酎のお湯割り。これがいい。だが、一杯目からお湯割りというのは、ノドが寂しい感じがする(人間がものを味わう部位は、舌からノド、食道にまで及んでいるのだ)。

常温か、常温に近い温度で呑むお酒の第一は、日本酒だろう。冷蔵技術のなかった時代から親しまれていた「ひや」という飲み方は、常温のことである。それと、赤ワイン。

ということで、それらを生活の柱にしようと思っていたのだが、5月の暑さにまいってしまい、この温暖化は、人類がまだ経験していない事態なのだからしょうがないとワインセラーを買った。というのが、ことの成り行きだった。

ワインセラーだって、温暖化に寄与しているという事実(熱を冷まそうとすればするほど、地球の温度が上がっていく矛盾)もあるが、ともかく、ワインセラーが到着し、自分の部屋の適当なところに設置してみる。うん。令和の生活、という感じである。で、夜になって、というか、寝る段になって、困ってしまった。

うるさい上に、温度表記のデジタル数字が消せないため、部屋を真っ暗にしても、青い光がうっすらと部屋を照らしている。

寝れないのだったら、何か、考え事でもしようか。と、言って、眠る前に難しいことを考えてもしょうがない。というか、先ほど飲んだワインの酔いもあり、難しいことなんて考えられるべくもなかった。

ぼくはサッカーをしている自分を思い浮かべていた。ぼくはフォワードで、ゴール前に張ってパスを待っている。ディフェンダーのマークを振り切るように、動き回る。手を上げる。ここだ、と叫ぶ。が、パスはなかなかやってこない。

ファーーーという音がうっすらと聞こえる。どことなく、波の音みたいだ。潮騒。そんな台もあった。そんな小説もあった。どちらも知っているが、思い入れはない。

思い入れ、か。たとえば、ぼくはバジ絆には思い入れがあるが、バジ3には思い入れが全然ない。たとえば、ぼくはバジ2には思い入れがあるが、初代バジには思い入れがない。

……思い入れって何だろう?

バジ絆に対する思い入れと、バジ2に対する思い入れは違う。バジ3に対する思い入れのなさと、初代バジに対する思い入れのなさも違う。

「バ絆」に対する思い入れの第一は、楽しさである。

「バ3」に対する思い入れのなさは、打ちにくいスペックもさることながら、印象の悪さに尽きる。

「バ2」に対する思い入れは、極めて打ちやすく(勝ちやすく)、かつ設定6を打つ機会にたびたび恵まれた点。

「バ初」に対する思い入れのなさは、単純に打つ機会のなさ(1~2度しか触れていない)。

というように、一口に「思い入れ」と言っても、経験のあり/なし。興味、好みのあり/なしに分かれるということだろう。to be or not to be,that is the questionというハムレットの台詞は、こんなところにも有効なのだ。偉大なり、シェイクスピア。

おそらく、バジ3の高設定がバンバンあるような環境だったり、初代バジを打つ機会があれば、「思い入れ」は生まれていたはず。

今ぼくは、とても大事なことを書いた(考えた)。ような気がする。

ファーーーという音がうっすらと聞こえる。歓声だろうか? ありがとう。

ぼくは、ボールを、ゴールに入れたいと願っている。なぜなら、それがサッカーというゲームの目的であり、フォワードというポジションの目的だからだ。

では、スロッターにとっての目的は何だろう? そもそも、目的というのは、必要なのだろうか? と、思わないでもないが、目的がない場合、行動の最適化が難しいという合理性の問題が生じ、何より、目的性のないゲームは楽しくない。

そう、スロッターがスロットで得られる一番のものは、「楽しさ」だ。その楽しさを、より実感に即した(生々しい)言葉に直せば、「快楽」だろう。ぼくたちは、快楽を求めて、スロットを打つ。

では、その「快楽」が目的なのだろうか? と考えると、うーん。違う気がする。快楽というのは、その特性として、持続性がない。快楽を求めてスロットを打つのに、快楽が目的ではないとは、矛盾ではないのか?

……ここで、ぼくたちはハタと気づくのだ。「ゴール」と「目的」の違いに。

サッカーは、「ゴール」にボールを入れることを「目的」にする競技ではあるものの、サッカーの本当の目的は、「勝利」である。何点入れたとしても、自チームよりも、相手チームが点を取ってしまえば、目的は遂げられない。そのため、点を取ることよりも、点を奪われないことを優先させる場面があり、時には、攻めずに、時間を先送りするという戦略が生まれる。

スロッターにとっての「ゴール」は快楽である。ここは変えられない。スロットが娯楽である以上、より多くの快楽をもぎ取ろうとすることが、プレイヤーとして目指すべき「ゴール」であることは間違いない。が、それを「目的」にしてしまうと、快楽を得られないという矛盾が生ずる。

快楽を求めて不快を得るという本末転倒に陥らないためにはどうすればいいか?

そこで、スロッターは、打つことに専念するプレイヤーと、勝つことに専念する監督とに分裂することを迫られる。監督はひたすら「期待値」を求め、プレイヤーはひたすら、レバーを叩く。その戦略が、それまでのマイナスをプラスに転じさせ、万枚に、あるいはマンションにつながっていく。

この、スロットを十二分に満喫する自分(というユニット)を作り上げていくという体験こそが、スロッターの「目的」ではないだろうか。そうすれば、すべてが、スロットである。もう、スロットだけを打つ必要はない。大好きな機種が消え去っても、悲しまなくていい。

ぼくは、いつの間にか眠っていたらしい。そして、目覚めて、人生のゴールって何だろう? ということを、考え始めたのだった。
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