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これは人間の傾向なのか、男の人によくある傾向なのか、自分だけの傾向なのかはわからないが、何かにつけて数字にこだわるという節がある。

1日3食きちんと食べるだとか、1日に原稿用紙10枚分の文章を書くだとか、1日に何台のスロットを打つだとか、何時間パチ屋にいるだとか、睡眠時間は7時間から8時間を確保したいだとか、ぼくの日常はともあれ、小学生が歌いがちな「友達百人できるかな」みたいな歌があり、性器の大きさのセンチ数をセンチメンタルなまでに気にする一方で、百人斬りみたいな女性にとっては非常に不愉快だろう言葉もあるわけで、あるいは、目の前の不確かな現実に適応するための術が、数値化であり、数値化することで、その対象を自分のものに(あるいは自分の一部に)したいみたいな薄暗い欲望の働きがあるのかもしれない。

十代後半から二十代にかけては、1年に本を100冊読む。映画を100作見る。というのがノルマになっていた。といっても、別に使命感みたいなものではなく、ごく自然に楽しんだ結果、その数字に落ち着いていたのだけれども、30代に入り、余暇時間の手のお供はスマホが支配的になり、さらにブログを書くようになって激減した。

去年の読書数は24冊、映画は32作だった。これは記録を始めて以来最小の数だ。たぶん。今年は本10冊、映画10作と、さして変わらないペースであり、作家にとっての読書数は、力士にとっての体重、という柴田元幸さんの金言があるが、こんな読書数でよく小説を書くなんて言ってられるな、という印象である。

たとえばスロットでは、別に何台も打たなくても、1日にGOD凱旋の1450ゲームを1台打つことができれば、それだけで家族を養えるまである。が、ここまでのクオリティがあれば、量よりも質だと言い切れるのだが、ぼくの去年の読書がGOD凱旋の1450ゲームクラスであるか、と言われたら口ごもってしまうわけで、となれば質よりも量という考え方には一定の説得力がある。

グラップラーバキの定義によれば、「握力×体重×スピード=破壊力」らしいが、男の子はとかくこの種の単純化が大好きである。

天才は多作だ、という言葉もある。くだらない作品の数が珠玉の傑作の担保である、という考え方もある。下手な鉄砲数打ちゃ当たるという言葉もある。

今日も今日とてパチ屋に向かう。
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夕方前のパチ屋は、閑散としていた。

朝一台の聖闘士星矢海皇覚醒スペシャルが2ゲームで空いている。ここは即前兆を見るのがマナーだよなと着席すると、いきなりの強チェリー。
GB? と思いきや、この強チェリーが何とATを引き寄せ、オスイチ聖闘士ラッシュゲット
3連303枚 星矢と沙織 火時計青
即前兆発生も、サンクチュアリ移行なし
31バトル発展VS山羊座(カプリコーン)のシュラ
35SR直撃!
3連317枚
設定良さそうだな、と思っていると、出ました【456濃厚図柄】火時計黄色

で、今からズラズラと、何を引いた、これを引いた、ということを書いていきたいのだが、
135GB アイザック70%スルー
アイキャッチカノン 火時計赤
72SR直撃!
3連312枚 終了画面氷河
アイキャッチ拳をかかげる 火時計白
83SR直撃!
という数字の羅列は、別段面白いものではなく、さしてためになる情報でもなく、ということは、ぼくはこの数年、ただただ惰性で、性癖を開陳してきたということになる。仮にも稼動日記と謳っているのに。

何のために稼動日記を書いているのだろうか? 勝ったことを自慢したい。あるいはこんなに頑張ったのに負けたのだ。だから認めてよ。どちらであれ、自分がしてきたことを認めて欲しい。そのためには、誰が見てもわかりやすい数字をふんだんに使うべきだ。そういう脳の働きだったのだろうか? これからもそれを続けるのだろうか?

この日、もうやめたい、もうやめたいと思いながらも、閉店2時間前まで打って(4790回転)、AT(聖闘士ラッシュ)10回。5時間半で600枚のプラス。

ぼくは今、岐路に立っている。
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