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率直に言って、ぼくは自分のことを秀でた人間だと思っていた。

が、たとえばヒップホップアーティストが、「オレサイコー」と言うのは、別に生身のオレが素晴らしい人間だ、という自慢をしているわけじゃなくて(もちろんそれも少しはあるだろうけど)、ビート(音)と、リリック(詩)と、オレ(神)の三位一体。ヒップホップという器の中のオレサイコーという、ある種の信仰告白をしているわけで。そもそも最高とは、これ以上ないということであり、そんな素晴らしい人間であるならば、言わなくても伝わるはずなのだから。ここで強調されるべきは、ヒップホップによる救済なのだ。

何の器もないのに、オレサイコーと思ってしまうのは、はっきり言うが(はっきり言っても、はっきり言わなくてもいいが)、勘違いである。またの名を裸の王様である。これはもちろん、ぼくのことだ。

ぼくは自分への、自分の未来への信頼から、小説を書き始めたのだった。そのこと自体は――うかつな人間を証明しているものの――、特に責められることではないように思う。すべてのワナビーはそこから始まるし、実際それで何かになれちゃう人もいるのだから。ただ、自分だけがそれを望んで、何かになれることはありえない。自分以外の誰かがそれを望まない限り、人間は何者にもなれないのだ。

ぼくの最大の勘違いは、いまだに自前の何かで勝負しようとしている節があるということだ。自分がサイコーの自分ではないことは、前半生が証明しているはずであり、だから小説で勝負しようとしたのではなかったのか?

では、何を借りればいいのだろう?(そもそもぼくに返すあてはあるのだろうか?)ただ借りるだけでは、同じことの繰り返しだ。あるいは、パクリと言われるだけだ。同じことを繰り返して、繰り返して、そうしてぼくは朽ちていくのだろうか? それもいいかもしれない。死ぬまでやりきれたなら、それはそれで人生を全うできたのだから。

が、ぼくは昨日、ストック切れをしたと書いたのだった。ストックが切れた台を打ち続けることはできない。それはさすがに、スロット打ちの端くれとしてできない。

ツムツム。どこからか、音が聞こえる。

ツムツム。どこからだろう?

図書館の中で、ぼくは打ちひしがれていた。文学、ルポタージュ、歴史、地理、エッセイ、マンガ、写真集、このスペースの中に、ぼくが入り込む隙間なんてどこにもないように思えた。そんなこと100も承知のはずだった。だからスロ小説などという造語を作ったのではなかったのか?

ツムツム。

ここが詰みか? 最終目的地か?

ぼくが手に取ったのは、古事記だった。現存する最古の日本文学(の現代語訳)である。

西暦713年に編まれたこの書物は、太安万侶(おほのやすまろ)という人が、四十三代元明天皇に話しかけるという形で始まる。この時代、日本にはまだ、「ひらがな」が存在せず、「カタカナ」も存在せず、カギカッコもなく、借り物の漢字だけで、自分たちの文化をどう表現するか? を表現しなければいけない立場の人がいたのだ。

安万侶(やすまろ)さんは言う。
「古い時代には言葉もその意味もみな素朴でしたので、それを文章にして漢字で記すのはまことに困難なことであります。漢字の訓だけで綴ると真意が伝わりません。音だけで綴るとただ長くなるばかり。そこで、この書では、ある場合は一句の中で音と訓を混ぜて用い、ある場合は訓だけで記すことに致しました」と。

ふむふむ。おそらくこの書物はぼくのために書かれたものだ。ぼくはそう感じ取り、古事記を手に席に座ることにした。

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