ジャンバリ



 守銭奴みたいな機械から、コインがジャラジャラ落ちてくる。

 落ちたコインを投入口に入れる。レバーオン。トン、トン、トン、とボタンを押す。レバーを叩く。トン、トン、トン。レバーを叩く。トン、トン、トン。レバーを叩く。トン。リールが滑って手が止まる。残りのボタンをトン、トン、と押すとリーチ目。ボーナスが確定する。コインを入れる。トン、トン、トン(7が揃って)BONUS GAME START !

 振り返れば僕には選択肢が二つあった。生きるか。死ぬか。

「生きる」

 とりあえずの選択はした。でもその後に続く無数の選択肢を前にすると、頭痛、吐き気、その他うんざり要素でいっぱいで、リールにはできる直視(我々のほとんど唯一の特技)ができなかった。

 いいさ。とにかくパチンコ屋に行こう。コンビニでタバコを購入し、プハアとやった。ムがつくほどウマかった。喜ぶ脳に澱(よど)む肺。その頭で本当に僕に選択肢なんてあったのだろうか? と考える。パチンコ屋に入る頃には思考は消えていた。おまけに運だけで勝ってしまった。まずい、これはまずい兆候かもしれない。でも、そんなことはすぐに忘れる。寝る。起きる。またパチ屋が開店する。





リール一周のスピードで






 日常は繰り返す。くるくるくるくる繰り返す。朝、起きる。水を飲む。排泄の後で歯を磨く。店からのメールやブログをチェックする。その日の職場を決定し、向かう。コンビニでおにぎりかパンを買う。食べながらパチンコ屋に並ぶ。入場時間になる。
 勝負開始。コインサンドに紙幣を投入し、出てきたコインを台に投入する。スタートレバーをリズミカルに叩き、ストップボタンを押す。いつしか夜になる。その日得た景品を現金に交換する。負けることもある。勝つこともある。食事を取り、帰宅する。眠る。そしてまた朝が来る。

 果たして、これを日常と言っていいのだろうか?
 心苦しいが、言う。パチンコ屋にいる人間はろくでなしばかり。もちろん僕もそのひとり。
 僕は人種差別はしない。そんなのはただの地理、歴史、環境の差に過ぎない。黄人だろうと白人だろうと黒人だろうとナメック星人だろうとなるべくしてなっている。優劣ではない。男女の差異もしかり。が、賭場に好き好んで来る人間は、どこの誰であれ、性別がどうであれ、趣味嗜好がどうであれ、何らかの欠落を抱えていることを確信している。だから何だということはない。単なる事実だ。弱者は御しやすい。だからギャンブル産業はどこでも儲かる。アンダーグラウンドな組織、または国が独占することも多い。単なる事実だ。事実、僕たちは、確率の奴隷である。

 確率に支配された生活をしていると、選択肢に対して神経質になってしまう傾向がある。靴下をどっちからはくだとか、スロットを叩く手は利き手なのか、または逆か。トイレに立つタイミングまでも。もちろんオカルトだ。性別を問わずギャンブル中毒者はすべからくオカルト主義者なのだ。
 ギャンブル中毒者には休日という概念がない。事実、一年365日、身体が動く限り、どこかしらのパチンコ屋に僕はいる。
 知人はいるが、心を許す友人というのはいない。むしろ名前を知らないことの方が多い。お互いの利益になる情報だけをやり取りする。戦国時代の人間関係みたいなものだ、と言えば、聞こえはいいが、要は信用するに足る人間関係が作れないということだ。
 商売道具はお金(主に千円札、近年は一万円札)。それから会員カード、小役カウンター、スマホ。以上。財布は持たない。落とすリスクを考えたらないほうがマシだ。カードケースさえあれば事足りる。
 毎晩風呂に浸かる。夏でも浸かる。寝る前にストレッチをする。一時半に眠る。特別なイベントでもない限り、八時半に起きる。

 僕が規則正しい生活を送っているのは、ギャンブル中毒者が、周りの人間に迷惑をかけずに生きる方法がひとつしかないからだ。

ギャンブルで使う金<稼ぐ金

 という不等式である。ギャンブルをしたければ、ギャンブルをしてはいけないのだ。ギャンブルをするのも、ギャンブルで生活をするのも、世間から見れば一緒だろう。でも、僕は自分のしていることを明確に言葉にできる。それは、自分の考えよりも確率を信用するという態度だ。
 確率論。それはある意味では宗教に似ている。その宗教に人情はない。だから僕は何があっても自分を責めない。 確率という非人情的なものを信頼し、人情や捏造を疑う。こちらが人情を出す必要はない。確率をどこまで追っても、結果とイコールにはならない。確率は神かもしれないが、神に近づけるとは思っていない。バベルの塔を建設していた頃の人間ならいざ知らず、僕にできるのは試行回数を増やすことのみ。そう信じてレバーをたたき続けてきた。もう何年になるだろう?
            

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 そういえば、ネットで悪口が書かれてましたよ、とホールでたまに話す常連客のひとりが言ってきたのは夏の終わりだった。
「誰でしょうね。書いたの」
 そうなんだ、と言いながら、僕はホールのトイレに向かった。個室に入り、言われたサイトを開いてみる。

 ……

 何かが体にのしかかってきたようだった。その何かは、僕を取り巻く重力まで変化させてしまった。言葉たちがまがまがしく踊っていた。尖ったものが肉体をすり抜け心に刺さった。刺さったトゲを抜きたいのだけど、抜き方がわからない。
 

 僕のタバコの吸い方は猿に似ているらしい。僕は店とグルらしい(つまりサクラらしい)。報酬は一日一万二千円らしい。店からしたらマジで重宝しているらしい。僕のメガネの持ち上げ方を他人が見ると、それだけでイライラするらしい。スロットの打ち方も気持ち悪いらしい。細っこい腕と、それから首の骨を折りたくなるらしい。死んでほしいらしい。

 僕はトイレから出て、微妙だった台を切り上げ店の外に出た。

 そうだ、京都に行こう、と思ったのはCMのせいじゃない。CMのせいかもしれない。何しろ旅行なんて高校の修学旅行以来なかったものだから、京都しか思い浮かばなかったのだ。

 着の身着のままで東京駅まで向かって新幹線に乗った。カートを押す女性販売員からサッポロ黒ラベルとチータラを買った。それを食べつつ飲んで、目を閉じた。富士山が見えるかなと思ったのだけど、見逃してしまった。「まもなく京都です」という声で起きた。

 旅行といえばまずは宿を取るものなんだろうけど、どうやって取ればいいのか、また、どんな宿がいいのか、そういうことがさっぱりわからなかったので、とりあえずタクシーに乗って繁華街まで連れて行ってもらった。河原町というところで降ろされた。そのあたりをプラプラ歩いていると、マンガ喫茶が見えたので、これで宿が確保できたと喜んだ。といってすることも思いつかなかったから、とりあえずビール式にパチンコ屋に入ることにした。打てそうな台を探してみたが見当たらなかった。何軒かめぐった。ふと、我に返る。何をしているんだ? 現実から逃避したくて京都まで来たのではなかったか? これでは普段と変わらないではないか。

 さびしさで心がいっぱいだった。昨日までの自分に戻りたいと思った。でもそれが不可能なことは、スロットで生活している僕が一番よく知っているはずのことだった。時間はまき戻らないのだ。ギャンブルのど真ん中には「不可逆性」という真理が大いばりで居座っているのだ。失くしたお金は戻ってこない。当たり前のことだ。時間だって同じだ。こんなときもギャンブラー気取りの自分が嫌だった。だいたい偉そうなんだ。このひょろひょろの黒メガネが。
……

 ダテ(ブルーライトカット)メガネを外してポケットに入れた。普段こんな時間に歩かないからか、普段とは周りにいる人間の種類が違いすぎるからか、遠近感がうまく取れなかった。印象派の画家が描いたようなぼやけた街を僕はただ歩いた。そのうちに疲れてしまい、牛丼屋で牛丼を食べてマンガ喫茶に入った。旅行ってこんなのでいいんだっけ? と思っているうちに眠っていた。

 朝起きて、外に出て、タクシーに乗った。

 京都駅着。お金を払って外に出た。適当に電車に乗った。何線かもよくわからないが、窓の外の風景を見る限り、都市に向かっていないことは確かだった。山を越え谷を越え、川が見えたので、そこで降りてみた。そこにもパチンコ屋があり、善男善女がパチンコやスロットを打っていた。打てそうなゲーム数の台を数台擦る。等価ではなかった。二千円勝ち、タバコとお菓子をもらった。

 再び電車に乗った。どうやら電車は北上していた。西舞鶴という駅で降りた。パチンコ屋が見当たらなかったので、何だかレトロな電車に乗ってみた。

 日本三景「天橋立」の近くで宿を取った。一泊二食で八千円。旅館、浴衣、部屋内での食事。体験したことのない種類の感情がわいてきて、なかなか眠れなかった。夢うつつのまま朝食を取ってすぐ出発した。
 適当な電車に乗って適当な駅で降りる。パチンコ屋を探す。入ってみる。そうしてまた電車に乗る。兵庫県に入った。鳥取県に入った。パチンコ屋に入った。どこにだってパチンコ屋は存在した。知らない駅を降りてパチンコ屋を発見したとき、騒音の中に身を浸しているとき、僕の心は落ち着いた。

 何かが変だと思った。でも、気づかないふりをした。あるいは僕は死に場所を探しているのかもしれなかった。そんなネガティブな衝動を、パチンコ屋の存在が押し留めていた。アンビバレントでアンビギュアスな自分のために服を買い、服を捨てた。お金がしだいに減っていった。

 パチンコ屋で生活していくために見つけた鉄則のひとつに「勝負の先送り」というものがある。
 負ける、負ける、負ける。ギャンブルの沼に沈んでいくとき、体は重いのに、なぜか気持ちだけは浮いている、ということがある。それは甘い痛みのような二律背反だ。ひっきりなしに汗が出る。ジェットコースターに乗っているように体の中心線がスウスウする。そのような状況下では、席から立ち上がって勝負を切り上げるよりも、不思議とお金を使い続ける方が楽なのだ。もちろん負ける。負けを確定させるために負債を増やす、倒錯した悦楽の世界。僕はこれまでにも、何度もそんな状態に陥っては戻ってきた。どうすればいい? 席を立てばいいのである。 

 スロットというギャンブルの、他のギャンブルとの違いは、絶対に勝たなくてはいけない一度の勝負がないことだ。結果として、ああ、あのときがターニングポイントだったな、というのはあるが、僕は気にしない。意識してもしょうがない。だから最優先事項は、勝負を先送りすること、つまり、翌日に勝負を送る。永久運動的に、明日の自分に勝負をたくす。一回や二回ではなく、総体で勝負する。数を打つ。確率的に勝てるであろう状態をキープする。例外や運不運に負けないように、現実に負けないように。

 それでも負けが込むと、体が硬く重くなった。代わりに心が浮いた。何度体験しても、わかっていても、心はふわふわと落ち着きをなくした。勝負の極意とは、精神と肉体の一致に他ならない。いつもそう思う。でも、実行するのは難しい。心を常に体の中に捕まえておくこと。それさえできたら、といつも思う。

 ……うちなる自分の言葉が耳障りだった。考えるな、と思っても言葉が溢れ出る。電車に揺られる。知らない土地の夜の灯りを眺めながら、今日はどこで眠ろうか? と考える。駅を降りて、寝床を探す。第一候補はマンガ喫茶、第二候補はサウナかカプセルホテル、第三候補は素泊まり宿。そのどれをも発見できない日がやってきて、野宿を試みた。九月とはいえ、夜は寒かった。本当に寒かった。怖かった。それが心地良かった。朝が待ち遠しくて、それなのに、来て欲しくなかった。心細い、というのと、快い、というのが微妙なバランスで混ざり合っていた。アンビバレントでアンビギュアスな存在として、僕は移動を続ける。

 短い眠りのたびに夢を見た。登場人物は過去の自分だった。バスケットボールに飽きてしまった頃の気持ちとか、友人(と思っていた連中)に無視されたこととか、忘れかけていた過去の映像とともに起きると、ひどく気持ちが沈んでいた。それらは過ぎ去ったことだ。終わってしまったことなのだ。なのにどうしてこんなに生々しいのだろう?

 気づくと貯金が六十万円まで減っていた。帰ればいいじゃないか、と思う。アパートはどうする? 冷蔵庫の中のものは? 家賃は? 光熱費は? 僕は首を振る。帰るという選択肢はもうない。

 
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 ここはどこだろう?

 朝もやか何かで顔が濡れていた。体が熱っぽく、ひどく寒い。痩せたカラスが一羽、何かの実のついた枝をくわえ、道をぴょこぴょこ歩いている。愛媛県のどこかにいることは確かだけど、くわしい場所まではわからない。そんなことでスマホの電源を入れる気にはなれない。鳥取から島根、山口からぐるり広島に向かい、尾道からしまなみ海道をとことこ歩いて四国に入った。広島で購入したバックパックはどんどん膨らんでいった。パンパンのバッグ、伸びていく髪と無精ひげ。地元の人からみかんをもらったり、お遍路さんと間違われることもあった。しかし巡礼者という意味では似たようなものかもしれない。パチ屋からパチ屋へ。ただひたすらにパチンコ屋を探し、入店し、空気を吸い、騒音を聴き、そこに座る人々の顔と出玉とを眺める。
 開店や閉店の時間や交換率など、多少の差異はあれ、パチンコ屋の中で行われていることは、富士川の東西にかかわらず、完全に同じだった。ただ、日本とはずいぶん広いものだと思った。初期衝動はすでに忘れた。というよりどうでもよくなっていた。旅の当初はジグマ的に通っていたホールのブログやメールをチェックしたりもしたが、今はもうどうでもいい。僕がいようがいまいがパチンコ屋は営業し、誰かが勝ち、大勢が負ける。僕が今いる場所はここであり、ここではないどこかを気にしてもどうしようもない。

 肥大化した自意識も落ち着き、口やかましい言葉や些少なあれこれに気を煩わせることの無意味さや、痛みやすい精神や、何やかや一切の俗っぽい部分を先々に置いてきた。きっともう戻れないところまで来てしまったのだろう。この先がどこにつながっているのかはわかっている。死だ。それだけのことだ。

 何、まだ五十万円ある。僕は寝袋にもぐりこみ、目を閉じる。 

「すいません」寝袋を叩く声があった。
 目を開けると、白い簡素な服を着た、おそらくは十代だろう少年の顔があった。
「何すか」と答える。
「お金、貸してもらえないですか?」
「はい?」
 この状態で戦ったら百パー負けるな、と思いながらも、怪訝な表情で少年を見つめた。
 少年は泣き出しそうな顔で「マジ。お願いします」と言った。
「はあ?」若干強気で押してみる。
「お兄さんもお遍路さんですよね。おれもそうなんすけど、金、盗られちゃって、昨日から飯なにも食ってないんす」
「どうして?」
「え、何か、歩いてたら、君も遍路だろ? って二人組の人が声かけてきて、お寺に泊まる方法を知ってるから一緒に泊まらない? って言われて、その日一緒にお寺に泊まらせてもらったんですけど、それで、お寺に泊まるときは貴重品預けた方がいいからって言われて、それで預けたら、それっきり」
「どうして大切なものを誰かに渡したりしたの?」
「そう言われたんで」 
 こういう顔の人間は、パチ屋の中でたまに見かける。財布を落として真っ青な婦人。百万の入ったジャケットを忘れたと騒ぐ職業不詳の御仁。僕が商売道具を落とすことはない。気をつけているからだ。が、ここはパチンコ屋の中ではなく、路上だ。
 このとおりですから、と彼は言った。
「いいよ」
「ほんとっすか。助かります。恩に着ます」
「で、何食いたいの?」
 とはいえ、まだ空は夜の支配下にあり、開いているのはコンビニしかなかった。彼にカゴを渡し、食べたいものを入れな、と言った。
「ありがとうございます」
 僕はスロット雑誌を読みながら待つことにした。
「あの、これ」と後ろから声が聞こえ、見ると、カップラーメンがふたつ、おにぎりが三つ、ペットボトルのお茶が入ったカゴを持った彼が立っていた。
「これだけで足りる?」と聞くと、「あの」と彼が言いにくそうに口ごもった。「からあげも、いいすか?」
「いいよ」と言って、カゴを受け取り、レジに出して支払いを済ます。僕は何も買わなかった。
 オラオラとサラリーマン番長のような勢いで食物を口の中に入れていく彼を見ながら、僕はタバコを吸った。ノドがいがいがするだけで、美味くはなかった。
「あの」人心地ついたような顔で彼が言った。
「ん?」
「もし、良かったら、ご一緒してもいいですか? お金ないけど、どうしても一周したいんす」
「遍路?」
「はい」
「俺、それ、してないよ」
「マジっすか。ああ……」
 明らかに彼は落胆していた。その顔のままカップラーメンをすすり、「この島を一周すると幸せになれるんすよ」と言った。
「どうして?」
「ご利益があるんです」
 よくわからないので、スマホを取り出して電源を入れた。
「遍路」空海の修行の遺跡である四国八十八ヶ所の霊場などを巡拝すること。また、その人。
 一般的に徒歩だと四十日かかる。八十八ヶ所を廻りきると結願成就となる。どこで倒れてもいいことから、死装束を着る。
「ああ、それで君、その白い服着てるんだ」と呟いた。一九九〇年代以降から、自分探しの巡礼者が増える。「ふうん」順序。徳島県鳴門市霊山寺より。「ねえ、これ、順番あるじゃん。それともこんなに回ってきたの?」
「あの、話せば長くなるんですが」と彼は言う。
「短く言うと?」
「まだ数か所しか回ってないです……」
「じゃあ順番とか気にしないんだ」
「はい。とにかく一周したくて」
「ふうん」
「あの、お兄さんは、何をしてる人なんですか?」
「移動してる」と正直に言った。
「よくわかんないけど、深そうっすね」小僧はそう言った。
 小僧と呼びたくなるところが彼の風貌にはあった。ニキビと共にまだ甘えの残る、よく言えばあどけない、悪く言えばバカみたいな笑い顔。
「なあ、君はお家に戻った方がいいと思うよ。まだ高校生くらいだろ」
「高校は辞めてきました」
「とにかくさ、交番行って事情を話せば、帰り道分のお金は貸してくれるよ。それで帰りなよ」
「無理です」
「どうして?」
「やるって決めたから」
「お金はどうすんの?」
「何とかします」
「どうやって?」
「あの二人組を見つけて、それで……」
「その2人がすでに金使っちゃってたら? もしくは、暴力に訴えてきたら?」
「……」
「どんな人間も、一度失ったお金を取り戻すことはできないんだよ」どういうわけか、僕はそんな説教じみたことを語っていた。
「どうしてですか?」
「それが失うってことの意味だから。もし、同じだけの価値のものを手にしたいんだったら、新たに得なければいけない」
「難しくてよくわかんないです」
「取り戻すという感覚は違う」
「あの、師匠」
「師匠?」
「いや、何か、色々深いことを知っているじゃないですか。師匠はどこに向かってるんですか? 良かったら、一緒に遍路しませんか?」
「しません」
「じゃあ、師匠。お金を貸してください」
「……キミはバカなの?」
「何でですか?」本当にバカみたいな顔をして小僧は言った。
「誰が他人にいきなり金貸すんだよ」
「だって返しますよ」
「あのね、この現代社会において、信用っては、第一に金に根ざしてるんですよ。意味、わかる?」
「わからないです。どういう意味ですか?」
「返すって言葉だけで君に金を貸してくれる人間がいたとしたら、その人は君のことを貨幣以上の価値があると認めているわけ。で、俺にとって、君にその価値があるとでも?」
「師匠は袖振り合うも多少の縁って知りませんか?」
「知ってるけど、それが何か?」疑問形の応酬にうんざりしながらも僕は言った。
「四国って、平安の昔は鬼が住む国って言われてたんですって」
「何で?」
「偏見ですよね。知らないからそういう差別が起きるんです。でも、知り合ってしまったらもう他人じゃない。それに、おれ、師匠に返せるもの持ってますよ」
「何? 家が金持ちってこと? 俺そういう話嫌いなんだけど。だったら親に借りたらいい話だし」
「違います。おれ、すさまじく不幸な境遇なんです。それ聞いたら、テンション上がるかもしんないっすよ」
「意味わかんね。つうか、何か俺も腹減ってきたから、行くわ」
「カップラーメン食いますか?」
「それはおまえが食え。じゃあな」
「待ってくださいよ」
「ついてくんなって言ってんだろ」
「お願いします」
「だから」
「マジで、おれには師匠しかいないんです」
「さっき会ったばっかだろ」
「マジでお願いします」 
 何をするかと思ったら、小僧、土下座をしている。僕はその行為を無視して歩き出す。小僧はすかさず追ってくる。捨て犬に餌をやったらクンクンなつかれた感。
「ねえ、師匠」
「まだいたの?」
「いますよ。師匠」
 タバコを取り出し、火をつけて、煙を吸い込んだ。尖った風が落ち葉をさらって走り去る。季節は冬の入り口に足を踏み入れていた。野宿はそろそろ厳しいな、と思う。
「あの」「あのう」「すいません」「あの」
 僕は声を無視してすたすた歩く。いつかあきらめるだろうと思って。
 しかし、無視というのがこんなにも精神を使うだなんて知らなかった。いじめの場合は集団だから可能なのだろう。一対一だと無理がある。人間の感情は、携帯電話の電波みたいに送受信可能なのだ。喜びも悲しみも伝播する。だから無視という交換の拒否を続けると疲弊するんだ。たぶん。
 では、どうしてパチ屋の中ではそのような感情の働きが失われるのだろうか? 金のせいだろうな、たぶん。
 そんなことを考えながら歩いていると、小僧も疲れたのか、喋らなくなった。が、それでも律儀についてくる。そのうちに、パチンコ屋が見えてきた。駐車場まで開店を待つ人で溢れていた。
「あ」小僧が素っ頓狂な声を出す。
「ん?」しまった。思わず声が出てしまった。
「あいつらです」
「……え?」
「おれの金、盗んだやつら」
「……」
「師匠。どうしましょう?」
「どうしようか……」


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 懐かしい夢を見た。

 以前、利害関係が一致して、コンビで打っていた太郎という男がいた。ふたつ年上で、すぐキレて台に当たる、性格的には僕と全然合わないやつだったが、あの頃は本当に状況が良く、月の収支が百万を超えることもあったから、耐えられた。中古のワゴン車をふたりで購入して、そこで寝泊りした。大勝の後は、いつもキャバクラや風俗をハシゴした。それでも翌日は朝からパチ屋に並んだ。太郎は太いヒキをしていた。その分浮き沈みの激しい攻め方をしたけれど、パターンにはまると本当に強かった。僕が尻込みするような状況でも彼は猛然と突っ込んでいった。彼の信条は、引く、乗せる、持ってくる、という精神論に近いもので、コツコツ系の僕の考えを、理解は示しながらも本質の部分で見下していたように思う。お互いがお互いの保険のような存在だった。それでも時勢と合致したのだろう。ひとりのときとは比べ物にならないほどの金額を得ることができた。そしてその金の大半を夜の街に吐き出した。得る、と、使う、が大なりイコールで結ばれる気楽な季節。邯鄲の夢、バブルと知りながら、僕たちは時代に乗った。

 しかし彼は、みなし機撤去の業界再編成のあおりから流行り出した裏スロットにはまり、朝から晩までパチ屋で打って得た金を、夜、開店する裏スロットで溶かすというギャンブル連鎖にはまり、借金を抱え、車とともにどこかに消えた。
 誰かと一緒に行動するのはあれ以来だった。僕は、寝返りも満足にできないマンガ喫茶のリクライニングシートの上で眠っていた。小僧はたぶん横の個室で眠っている。


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 僕は小僧の金を奪い返すにはどうすればいいだろう? と考えたのだった。どこで? パチ屋の前で。人から何かを奪うにも、技術が必要なんだろう。たとえばブラフで騙す。気づかれずにスる。暴力に訴える。しかし僕は塵芥のスロット打ちで、そんなテクニックなどあるはずもない。
「なあ、あいつらにいくら盗まれたの?」
「五万円とちょっとです」
「じゃあさ、この店から金を得るってのはどう?」
「どういうことですか?」
「どうせあいつら負けるよ。あいつらが落としたお金を店から得る。それで手を打たないか?」
「全然いいですけど、でも、どうやって?」
「とりあえず並ぼう」

 行列はすでに100人を超えていた。
 問題は、入場に際して、会員カードが必要か否か。前に並んでいる老人にそれとなく聞いてみると、カードは必要ないとのこと、後はいい番号を引けるかやけどなあ、とのこと。今日は熱い日なんですか? と聞くと、熱いといいんやけどなあ、とのこと。笑顔でお礼を言う。しかし、この人数。店が力を入れているのは間違いなかった。であったとしても、初見の店でいきなりノープランの勝負は愚の骨頂。とにかくスマホで情報を収集する。ブログ。掲示板。もちろん信憑性には疑問符がつくが、雰囲気はつかめる。しかし、情報はほとんどなし。本当はそれとなく若い子に聞くのが一番だけど、僕にそのような人懐っこさはない(太郎はこういうことが上手だった)。まあ、とりあえず今日は状況を見て、後で腰を据えてこの店を攻めてもいい。小僧には白装束を脱いでもらい、服と帽子とサングラスを貸した。これであいつらに気づかれることもないだろう。
「なあ、あいつらに復讐したいとか、そういう気持ちはあるの?」
「いや、ないです」
「そうか。じゃあ、頑張ってここで五万稼ごう」
「お願いします」
「いや、一緒に稼ぐんだよ」
「え、でもおれ、パチンコ屋なんて入ったことないっすよ」
「大丈夫だよ」
 しばらく待っていると、抽選の時間になった。僕は七十六番、小僧は十番。悪くない番号だった。

 入場までの時間を使って、できる限り小僧にレクチャーした。パチスロの構造、設定というシステム、店の営業努力。小僧がどの程度理解したのかはわからないが、とにかく「数字」を数えれば設定を判別できるということはわかってくれた。そして高設定台を打つのが誰であれ、店はまったく痛くないということも。

 入場が始まった。朝一からパチ屋に入るのは久しぶりで、胸が高鳴った。僕は十番の入場順番券で店に入る。小僧には七十六番を渡し、入ったら俺を探せ、と伝えてある。開店の音楽に軍艦マーチが流れる店も久しぶりだった。ワクワク感に首を振り、仕事をしよう、と気持ちを切り替えた。前の人間が進む先を見据える。パチンココーナーに流れるおじさんおばさんを横目にスロットのシマへ。設定が入りやすいであろう機種を絞り、目立つ位置にある台を入場順番券で押さえる。さて、次は小僧が打てそうな台を探さなくては。ということで、Aタイプと沖スロのシマを徘徊する。データカウンターをポチポチ押しながら眺めていくと、悪くないボーナス回数が並んでいる。通常営業でも設定状況が悪くないのかもしれない。が、いきなり彼に打たすのは荷が重過ぎる。そうこうしているうちに、小僧が現れた。想像以上に、素人との二人三脚は難しいものだと思った。とりあえず、今日は小僧に雑用をしてもらおう、と決断する。
「うるさいっすねえ」小僧は嬉しそうに言った。「それで、どうすればいいですか?」
「とりあえず今日は見学。適当に研究しといて。で、飽きたらあの隅にマンガコーナーがあるから、スロ雑誌でも読んで待ってて。とにかく何かあったら呼びにいくから、ぜったいに店内にいて。いい?」
「わかりました」
 

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 パチンコ屋に併設されたうどん屋で昼飯を食べながら、小僧が口を開く。
「素朴な疑問なんですけど、高設定ってほとんど勝てるんですよね。じゃあ、店の人がその高設定台を知り合いに打たせたら、絶対にお金を稼げるじゃないですか」
「うん」
「どうやって、それを防ぐんですか?」
「防げないね」
「……それっておかしくないですか?」
「おかしいよ。そもそも誰が打ってもほぼ勝てる設定なんて、ギャンブルの概念と合わない。だってギャンブルは基本、客が負けるようにつくられた金吸い上げシステムでのみ成立するビジネスなんだけど、パチンコとスロットの場合は、もうハナから勝てるっていう釘なり、設定なりが仕込むことができる。それが幻想だっていう人もいる。設定なんてウソだ、と。控除率が、最低設定で3パーセントくらいで、なおかつ高設定を入れるなんてことをしたら、店の儲けはどこから生まれるんだ、とかね」
「控除率って何ですか?」
「参加料。日本の競馬の例でいうと、売り上げの25パーセントっていう金額がJRAに入って、残った75パーセントでオッズを割り振る。実際はもうちょい複雑だけど、簡単に言えばそんな感じ。だからレースごとに、主催者側は最低でもその25パーセントのお金だけは得られる。確実に」
「すげえ」
「パチンコ屋の場合はそれが曖昧なのは事実。でも、設定ってのが存在するのは事実だし、高設定が負けにくいのも事実。店が遠隔とかしない限りね」
「どうやって見極めるんですか?」
「今は雑誌社がメーカーからもらって出す解析データと照らし合わすしかないんだよね。後は自分の経験を踏まえてさ」
「師匠がいる世界ってすごいっすね」小僧は感心したような顔で言った。「でも、今日は調子悪いんですね」
「うん」
「これからどうするんですか?」
「とりあえず台が空くのを待つしかないかな」
「地味ですね」
「うん」 
 暇な時間を使って店の会員カードを作り、メール会員にもなった。ろくな情報は来ないにしても、念のため。小僧から金を巻き上げたあいつらは、早々に負けて店からいなくなっていた。小僧の金はこの店に流れたということになる。一台目を見切った僕は、ひたすら店を歩き回った。確かに高設定はある、と踏んだ。気づいた点をトイレの中でメモった。
 小僧には、僕が言った台が空いたら取るべし、という指令を出している。その客がトイレに行くたびにそわそわする小僧を眺めながら、僕は不毛な時間をやり過ごした。

 投資30000円、回収15000円。この日は15000円(ひとりあたり7500円)の負け。


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「ノリ打ちをするにあたってのルールを言うね」と僕は言った。
「はい」
「まず、コインは共有財産。だから、1枚たりともムダにしてはいけない。取りこぼし、ムダ回し、勝手に換金したり、ジュースやホットドッグを買ったり、落としたりしてはいけない」
「はい」
「分け前は完全に二等分して分配する」
「でも、いいんですか?」
「ルールだから」
「そのルールって誰が決めたものですか?」
「俺」
 これは以前太郎とコンビ打ちするにあたって提示したものだが、太郎は油断するとすぐに小役を取りこぼすし、カフェラテや梅こぶ茶を飲んだりホットドッグを食べたりタバコに交換したりしていた。でも、僕は一度もそういうことをしなかった。当たり前だ。自分が提示したルールを守れない人間がギャンブルに勝てるはずがない。太郎は僕に甘えていただけだ。甘えはツケと同じだ。どこかで返すハメになる。

 久しぶりのノリ打ちの後は、店の近くで野宿して、翌日は午後からの出勤。
 寝袋を持たない小僧は寒さでほとんど眠れなかったらしく、僕が起きた後の寝袋で朝から眠っている。その間、僕は戦術を練ることにした。まずしなければいけないのは、彼を戦力にすることだった。小僧がすぐにでも使える戦法は、ゲーム数で大当たりを管理する台のゲーム数狙いと天井狙い。が、僕はできれば設定狙いをしたい。そのために覚えることは山とある。
「あのさ、本当にやる気ある?」小僧が起きた後でそう聞いてみた。
「何のですか?」
「パチンコ屋で稼ぐ」
「はい。というか、頼んだのはおれの方なので、もちろんやる気あります」
「じゃあ今から言うことを何かに書くか、記憶して」
「はい」
 僕は大切であろうことを、一通り伝えた。
 その後、食事を取り、店のデータをチェックしたり、気づいたことを(その場では書かず)スマホにメモったりした。
「これって何か不審者みたいじゃないですか?」と小僧が言った。
「ギャンブルで勝とうとしてるんだから不審者に決まってるだろ? でも、なるべく不審に思われないように、目立たないように。人の顔を直視しない。店員の顔も直視しない。早くもなく遅くもないスピードで歩く。体を動かすんじゃなくて目を動かす。なるべく一回で記憶する」
「難しいこと言いますね……」
 結局この日は何も打たなかった。やろうと思えばハイエナはできたけど、とりあえず小僧には、この作業がしんどいのだ、ということを知ってもらいたかった。
 その夜、スマホでスロットのアプリをダウンロードして小僧にやらせた(小僧は携帯電話を持っていなかった)。
「それを四六時中やって、リールが一周するスピードを覚えて」
「はい」
 小僧の飲み込みは早そうだった。この分だと、目標額までは二週間もあれば何とかなるだろう。

 次の日も午後から。
 少し目押しがわかってきたという小僧に、レギュラー回数のついたジャグラーを打たすことにした。アイムジャグラーEX。最高設定の機械割が104パーセント程度の(リスクとテイクのバランスが悪い)ため、朝から進んで打ちはしないけれど、この機種の客つきで店のやる気がすぐにわかる、リトマス試験紙のような台だ。

 正直、僕だったらこの台は打たない。では、なぜそんな台を小僧に打たしたかと言えば、経験を積ませたかったのだ。高設定でなくてもよかった。勝つにしろ、負けるにしろ、自腹を切る経験、この初期投資は、たとえ今日負けたとしても、後ですぐ回収できる。それに、もちろん高設定の可能性もあった。
「毎ゲーム、チェリーを狙って打つ。で、GOGOランプがついたら、今度は一枚がけにして中リールに7を狙う。7が上段に止まったら左は7以外を狙ってブドウを取って、中段、下段に7が止まったら左右とも7を狙って揃えて。取りこぼしや目押しミスは、ポケットから何十円か落としてると思って」
「はい」
「で、ブドウとチェリーがそろうたびにこれを押して。ブドウは緑、チェリーは赤のボタンがいいかな。それからチェリー重複ボーナスと、レギュラー回数も数えといて」僕は商売道具のひとつ、カチカチくんを一万円と一緒に渡した。
 僕はパチ屋内放浪を続ける。昨日よりも店内にいる客は多い。僕は店を調べるときは、まず常連客を見る。具体的に言えば目線を見る。目線を見れば、玄人かどうかはすぐわかる。優良店でプロ的な存在がいないということはほぼない。生態系と同じだ。プロ或いはセミプロが取り逃した高設定台に、他の常連客が座る。高設定台を日常的に設置する優良店はそのように回っていく。だから玄人の行動を観察することが店攻略の第一歩。幸運なことに、僕はスロッターにしては珍しく、目がいいのだ。

 この三日間を通して目についたのはふたり。それと、コンビ打ちが一組。この四人はたぶんこの店で食っている。まず打ち方が早く的確で無駄がない。それと、表情が落ち着いている。顔付きは内面の反映でもある。大声を出したり、殴ったり、僕のかつての相棒、太郎のような顔付きの人間が長期間この地味で地道な作業を続けるのは難しいのだ。

 店の中央部に位置する巨大なデータロボから、四人が打っている台の一週間ほどのデータをメモ。やや尚早かもしれないが、この店はありだと思う。この感じだと、明日は朝から勝負しても面白いかもしれない。そうこうしているうちに、小僧の台の調子が上がってきた。ビッグ主体の連チャンで、モリモリと出玉を増やしていた。嬉々として打っているのが背中から窺えた。その感覚はとてもよくわかる。その楽しさが地獄へのチケットなのだけど、今日はまあ、いいか。

 結果、閉店近くまで打ち、小僧は二千枚ちょっとの出玉を得た。投資4000円、回収42000円。38000円勝ち。僕は僕で、ハイエナでプラマイゼロ。今日までの収支はプラス23000円(11500円ずつ)。

「ジャグラーめっちゃ楽しいっすね」と言って、小僧は笑った。
 僕にこんな時代はあっただろうか? と、「これは経費で出すからな」と念を押して買ったスロット雑誌を、公園の薄明かりの下、かじりつくように読む小僧を見て思う。人を騙すのは、案外簡単なのかもしれない。
「師匠万枚って出したことありますか?」
「年に1~2回あるかないかって感じかな。4.5号機時代はけっこうあったけど」
「すげえ。最高はどれくらい出ました?」
「2万枚ちょい」
 そういえば、太郎は初代ミリオンゴッドで5万枚出した。出っ放しで百万円。決まりとはいえ、その金の半分を受け取ったときは、さすがに悪いような気がして、その日の夜遊びの金は全部払ったのを思い出す。
「うわあ、この台面白そうですね」
「でもコイン持ち悪いよ」
「このプレミアって引きました?」
「うん、何回か」
「マジすか。いいなあ」
「このフリーズも?」
「うん」 
「何でプレミアって、どの機種も65536分の1なんですか?」
「スロットの仕組みの話だから、ちょっと時間かかるよ」
「聞きたいです」
 ハマりかけの小僧に、たとえば、このツールを使えば必ず勝てるよ、みたいな話をしたとしたら、信じてしまうんだろうな。そう思いながらも、僕は小僧にスロットのフラグ、つまり抽選方法の話をした。それから、寝袋に入った。小僧はまるで聖書を扱うように、スロ雑誌を抱えている。


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 朝から例のパチンコ屋に並んだ。
 並びは三十人から四十人ほど。抽選であたりさわりのない番号を揃って引き、四台に絞った狙い台をすんなり確保してふたりで打った。予想通り、プロ連中も似たり寄ったりな狙い台を打っている。小僧にカチカチくんを渡し、僕はスマホで小役カウンタのアプリをダウンロードして使ってみる。多少操作感は違うが、便利な時代だな、と思う。

 僕の台はまるでダメ。小僧の台も、出だしこそ良かったけれど、失速。ともに低設定と見切ってやめ。
 常連のおじさんの情報によると、どうやらこの店の強イベントは、かつて6のつく日に開催されていたらしく、月イチのイベントは11日に行われていたらしい。僕たちが初めてこの店に来たのがその日付だったことから、イベントが継続して行われていると僕は踏んだ。ということは、次の強イベントは明後日。ここで勝負というのがまあ順当だろうなと思う。
 データ収集をした後、マンガ喫茶泊。シャワーを浴び、ここまでの経費を計算した。

 11日日曜、負け。かまたまうどん×2、カップラーメン×2、おにぎり×2。

 12日月曜、見。かしわ天うどん×2、からあげ弁当×2。

 13日火曜、勝ち。かけうどん、かやくご飯×2。焼肉弁当×2。スロ雑誌。

 14日水曜、負け。天ぷらうどん×2。マンガ喫茶×2。

 端数を切り捨てて、ここまで四日間で12000円。

 本日、投資48000円、回収38000円。10000円負け。経費を含む総収支はプラス1000円(500円ずつ)。目標まで99000円。


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 翌日も朝から勝負。並びは五十人ほど。

 ここに来て初めて予想が的中したらしい。僕の座った台が朝から好調。小僧の台は微妙だったので、やめてもらって、交替しながら閉店までぶん回した。小僧は随分スロットを打つということに慣れてきた。途中おいしいゲーム数の台を拾ったこともあり、会心の勝利。
 投資22000円、回収95000円。73000円勝ち。経費を含む総収支はプラス71500円。目標まで28500円。
「はい。これ、おつかれさま」僕は小僧に金を渡した。35750円。「明日からは経費計算するのめんどくさいから、自分の分は自分で買うって感じでよろしく」
「師匠。ありがとうございます」
「いや、別に、ただの対価だから」
「おれ、仕事をしたことってなかったんで、何かめっちゃ感動です。でも、今日は何もしていないも同然なんで、何か申し訳ないですけど……」
「いや、決まりを守ってくれて、同じ方向を向いていてくれれば、ふたりいるだけでリスクを軽減しているわけだから、出た方がエラいとか、出ない方がダメだとか、ないよ。だからその金額はおまえの正当な取り分。それに、まだ終わってないから。明日これがそっくりそのまま呑まれる可能性だってある」
「いやあ、でも、嬉しいなあ」
「一喜一憂してたらもたないよ」
「ちょっとだけ贅沢しちゃダメですか?」
「ダメ。明日イベントだから今日は早く寝る」
「え、今日も野宿っすか?」
「うん」
「……師匠は何でそんなストイックでいられるんですか?」
「大敗して気分を変えるために贅沢するならわかるけど、勝ったときはそれ自体が報酬だし、嬉しいんだから、節制もできるでしょ」
「マジか。すげえな。師匠すごいですね。ジャングルとか砂漠とかでも生きていけそうですね」
「いや、無理だろ」
「やったー、とか、どよーん、とか、師匠は感情の起伏をどうやってコントロールしてるんですか?」
「コントロールはできないよ。フォルダー作って必要なものと不必要なものを分けてるっていう感じ」
「マジすげえ」
 ウソだった。そんな簡単に感情をゴミ箱送りにできるはずがない。小僧は晴れやかな表情でダンボールとダンボールの間にもぐりこみ、「おやすみなさい」と言った。寒いのだろう、時々鼻をずるずるとすする音が聞こえる。明日勝ったらこいつともお別れだな、と思う。これからますます寒くなる。こんな生活は体力的に不可能だ。昨日マンガ喫茶の温かい空間で寝たせいで、なおのこと屋外の寒さが身に染みる。それでも上空の星は輝いているのだ。残酷なまでに。 

 ……こんな風に条件の良いパチンコ屋が今日本にいくつあるだろうか?
 少なくとも、お金を欲しいと望む人間の数だけはない。あのホールだって客側が嬉々として打ちにきてくれるから(敗北を繰り返してくれるから)営業できるわけで、それがいつまで続くかは、誰にもわからない。今まで何軒の優良店が潰れるのを見てきたか。ぜったいに勝つはずの胴元ですら消え去る可能性のある世界なのだ。ある日法律が変わったら、年間二十兆円と目されるパチンコ業界にかかわる大多数の人間が失業する。
 何かが決定的におかしい。けど誰もそのおかしさの理由がわからない。わかってても言わない。一番上のボタンがかけ違っていたら、その下が合うはずがない。ぬかるみに建てた建物はいずれ倒壊する。僕たちはそのような場所で生きている。適材が適所にはまることのない環境で、それでも居場所と信じて生きている。

 どうして狙い通りの勝利の後は、いつもネガティブな方向に感情が向かうのだろう? 負けたときは気持ちが勝ちたいに集中できるのに。拡散する気持ちを集めて明日の狙い台のことを考える。結局抽選次第なんだよな、と思う。重力に導かれるように、眠りがやって来る。


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 予想の正解を示すように、百人を超える列が店の前にできていた。
 抽選次第ではあるが、いくつかのパターンを考えてきた。イベントにおいては、開店までにしておくことの量で勝敗が決まると思う。この店に設置された20円スロットは百二十台ほど。最高設定は十台がいいところだろう。それを取ろうというのだから、十二分の一を二分の一、三分の一程度まで限定できなくては勝負にならない。そこは予想。その後は臨機応変に。ぞろぞろと伸びた列が抽選ボックスに向かって縮まっていく。
「何番くらいが理想ですか?」と小僧が言う。
「十番以内。ただ、ここの抽選はパチンコとスロットが同時だから、正直読めないんだけどね」
「何か良い番号な気がする」
「だといいけど……」
 僕たちの番号は、七十八と一〇六。まいった。が、こればかりはどうしようもない。小僧に作戦を伝え、先に入場する。予想台はほぼ埋まっていた。ということで、バラエティコーナーにある少し古めの台を打つことにした。こういう常連が好む台に設定が入る可能性があるというのも優良店の条件だ。小僧がやってきて、狙い台は全部埋まってました、と言った。そっか、じゃあ、とりあえずあっちのシマの後ろでそれとなく見ててよ。
「はい」 

 さて、この台はどうなんだろう? 設定を開始一時間程度で見極められる状況というのは少ない。だいたいは数値とにらめっこして押し引きの決定をする。そうこうしているうちに、小僧が顔を腫らしてやってきた。
「どうした?」
「いや、あの、こないだのやつらがいたから、お金を返してくださいって言ってみたんですけど、逆に殴られちゃって。でも大丈夫です。今持ってるお金は死守しましたから」
「大丈夫か?」
「はい」
「もう少しで判断できるから、ちょっとマンガ読んで待っててくれるか?」
「はい」
 コインを流すと千三百枚ちょっとあった。

 腹が立っていた。でも、あいつらに反撃する方法がわからなかった。僕に力があったら暴力で蹴散らすのに。僕に知恵があったらあいつらを騙すのに。僕に人脈かお金があれば復讐を代行してもらうのに。僕に銃があったらぶっ放すのに。でも、僕には何もなかった。何もできなかった。
 投資3000円、回収26000円。23000円勝ち(11500円ずつ)。放心状態のまま換金して道後温泉に向かった。
「坊ちゃん泳ぐべからず」という札の下のお風呂に浸かりながら、なあ、小僧、おまえが持っていた金はほぼ原点に戻った。もういいんじゃないか? と言った。
「師匠はどうするんですか?」
「うーん」と言いながら、考えた。何も思いつかなかった。
「移動を続けるんですか?」
「どうすっかな。つうかおまえ、遍路に戻るんじゃないのか?」
「いずれは」
「なあ、何で遍路をしようと思ったんだ?」
「弔いです」
「弔い?」
「はい。両親が他界して、それでおれ、高校辞めて、親戚に引き取られたんです。でも、何だか納得いかなくて。それで……」
 ああ。やっちまった。だから他人のバックボーンなんて知りたくなかったのだ。これは致命的だ。情が、移ってしまった。

 客観的に見ると、背骨の形はみんな同じだ。湯船の中の数人も、体を洗うおじいちゃんも。そしてそれは、小僧から金を奪ったあいつらも同じなのだ。死んだ小僧の両親も、もちろん僕の両親も同様に。
 でも情は、その理を曲げる。客観を保てず主観に堕ちる。必要不必要ではなく、好きと嫌いに分断する。今の僕は、完全に小僧の味方だった。小僧を殴ったあいつらが憎かった。それはスロットをするうえで、不必要な感情だった。こんな気持ちは久しぶりだった。
 風呂から出て、久しぶりにヒゲをそると、無理して若づくりしたみたいな風貌で、それがひどくむなしかった。ヒゲがないと師匠ってけっこう若いんすね、と小僧が言った。
 風呂代と飯代を払い、総収支はプラス92000円(46000円ずつ)。目標までは8000円。
「師匠どうしました?」小僧が言った。
「何が?」
「何かどよーんとしてますよ」
「そうかね」とは言ったものの、こんな精神状態でスロットを打っても勝てる気がしなかった。
「師匠、明日はどうしますか?」
「明日は休もう」
「じゃあおれ、ひとりで勝負してみていいですか?」
「おまえバカなの?」
「どうしてですか?」
「ひとりで勝負して負けたら今まで得た金がなくなるんだぞ」
「負けたらまた勝ち取ればいいじゃないですか。あの店はいいっていつも師匠言ってるじゃないですか」
「今日までよくても、明日から悪くなることなんていくらでもあんの。一軒いい店見つけてそれで暮らしていけるなんて、そんなことはぜったいにない。それに、おまえ遍路に戻るんじゃなかったのか?」
「おれ、決めたんです。おれも師匠みたいなプロのスロット打ちになって、それで、腕を磨いて、スロットをしながら遍路します」
「旅打ちなんて足がないと無理だよ。つうかあのホールがたまたま優良店だっただけで、例外中の例外なの。ほとんどのパチ屋には死体みたいな台しかないんだよ。でも、おまえの知識じゃそこが死体置き場かどうかを判断できない」
「それを師匠の下で学びたいです」
「おれだっていつ稼げなくなるかわからない。でも、おまえが今すぐできる必勝法は知ってる」
「教えてください」
「金輪際ギャンブルは止めろ。今止めたら、おまえは生涯のギャンブル成績をプラスで終えることができる。それは素晴らしいことだ。勝利を確定できるんだから。続けるなら、おまえは必ず負ける。負けてから俺の言葉を思い出しても遅い。おまえが俺の弟子なら俺の言うことは聞けるだろ?」
「でも……」
 小僧の言葉をさえぎって僕は言った。
「人間がギャンブルにハマるのっていつだと思う?」
「えーと」小僧は空を仰いで腕組みした。「美味しい思いをしたときですかね」
「違う。それは入り口でしかない。本当にハマるのは、こてんぱんに負けたときだよ。うちのめされて家に帰る。しばらくすると、不思議な感情があることに気づく。過去に戻りたい。あの瞬間に戻りたい。最初は小さい声だ。でも、そのうちにそいつは叫びはじめる。あの素晴らしい『モノ』をもう一度くれよ。愛しい愛しい『アレ』が欲しいんだ、『アレ』をくれ、と。おまえはその声に逆らえない。ロードオブザリングのゴランみたいに、脳の中におまえじゃない別のボスができる。それが依存だ。こわいんだよ、ギャンブルは。本当に。今のおまえはその準備状態だ。明日ひとりで行って負けたら、おまえはもう戻れないぬかるみに立つことになる。そんなズブズブの場所で両親の弔いができるのか? それに、ただただスロットが打ちたい人間なんて、俺には必要ない」
「ひどいですよ。師匠。おれ、もう、夢見ちゃいました。じゃあ何で助けてくれたんですか。それじゃ、あんまりです」
「他人のせいか?」
「違います。違いますけど、お願いします。おれに凌いでいく術を教えてください。一生のお願いです」
「あのさ」と僕は言った。タバコを取り出し火をつけて、煙を吸い込み吐き出した。「おまえがひとりで凌ぐってことはさ、俺の敵になるってことだろ?」
「違います」
「違くないよ。勝ち方ならいくらでも教えられる。ギャンブルなんて、ツイてる人間が勝つんだ。運が良い人間が勝つんだ。ツイてる状態のときは誰でも勝てる。でも、負けが始まったら止められない。負けない方法はひとつしかない。勝負しない。勝負しなければ負けはない。でも、勝負しなけりゃ勝てないわけで、勝負するってことは負ける可能性に飛び込むってことだ。そんな薄い氷の上を歩くのがギャンブルという行為の本質で、努力や経験によって氷を厚くすることができない。一回のミスで、簡単に氷は割れてしまう。だから何年やってようがどこの地点からだろうが落ちる可能性がある。或いは、おまえが百万人、一千万人にひとりの運の持ち主かもしれない。何をしても負けない人間なのかもしれない。それならそれで、どうぞご自由に。俺とは関係のない世界のできごとだ。勝つことじたいは運さえあれば誰でもできる。でも、凌ぐってのは、誰でもできることじゃない。生の感情を凍らして倉庫にしまうくらいの 自己管理が必要なんだ。自分が死ぬことを想像できるくらいの」
「……それはできます」
 小僧は深く息を吐いた。「おれの目の前で両親は死にました」
「おまえが前言ってた不幸な話ってそれか?」
「いや、これだけじゃないです」
「俺嫌いなんだよ。そういうの。運がいいとか、悪いとか。ヒキが強いとか、弱いとか。自分がヒキが弱いと思ってるなら打たなきゃいいだけの話なのに。それでも打って文句言うってただバカなだけだろ」


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 小僧の人生は、確かに同情すべきものに違いなかった。
 だけど、それがどうした? 世界で一番幸運なやつと世界で一番不幸なやつの、どちらが幸運でどちらが不幸かなんて、本当のところはわかりようがない。幸運が当たり前の人間にはちょっとした不運がこたえるかもしれないし、不運が当たり前の人間には些細な幸運で空も飛べるかもしれない。上を見ても下を見てもキリがない。だから自分だけが不運であるとか、不幸であるとか、ヒキが弱いだとか、そういうことを考えたり、決めつけたり、憂いたり、嘆いたり、他者を羨んだり、自暴自棄になったりするのは時間のムダだ。

 立て続けに吸うタバコはクソまずかった。何でこんなまずいものを俺は吸っているのだろうか、と言うと、不思議そうな顔で小僧が僕の顔を見た。やれやれと思いながらも、僕は説教臭いことを口に出そうとしていた。饒舌な意識が憎かった。でも、口も意識もブレーキが外れていた。
「おまえの両親はおまえが殺したわけじゃない。おまえがそんなことを思うのは勝手だが、おまえの話を聞く限り、両親が悪い。両親を否定するのは自分を否定するくらいつらいことかもしれないけど、おまえが思ってるより世界はドライだし、だいたい生きるのに意味なんてない。後悔する意味もない。意味なんてなくても、それでも生きていかなくてはいけないんだよ」
「どうしてですか?」と小僧が言った。
「決まりなんだ、生きるってことは。その事実に辟易して自殺する人間が出るくらい、その決まりは重いんだ。人間は生きなくてはいけない。それは背骨と同じように、連綿と受け継がれてきた決まりなんだ。疑問をとなえても不満を呟いてもそれは変わらない。生きなくてはいけないってことは、働かなければいけないってことだ。働かなくても生きていける人間がいる事実なんてどうだっていい。そんなの関係ない。だってほとんどの人間はそうじゃないんだから。人間には食べるものや飲むものが必要で、そのためには金が必要だ。だから、ほとんどの人間はしかたなく働く。十代の頃は俺も死ぬほどアタマ悪かったから、ひたすら考えた。人生とは何か。何で俺は生きてるんだろうか。でも、結局そんなのは全部ウソかクソだった。モラトリアムとか自分探しみたいな言葉は幻想を甘えと見栄えでコーティングしてるだけだ。人生に猶予なんてないし、自分なんて探すとか探さないとかの前にすでにある。甘えてるだけだ。今現在できること以外には、何もできない。何も成せない。未来とか将来なんてのも幻想に過ぎない。人の説教を聞いてる暇があったら、さっさと動いて失敗した方がいい。失敗から何かを見い出せないやつは何もできない。他人の言うことは真実かもしれないけど、自分の真実かどうかはわからない。本当はこうやって偉そうに話してる意味もない。そんな資格があるはずもない。何言ってんだ、俺は」
「何言ってんですか? 師匠は」
「わかんねえ」僕は苦笑した。 
「師匠。おれ、師匠みたいになりたいです」
「俺はむしろ俺がおまえだったらどんなにマシかって思うよ」
「まさか」
「もし俺がおまえになれるなら、学校に戻ってだいたい同じような年齢のやつらと同じ列に並んで勉強したい。一般的な大学の一般的な学部に進学して、それで一般的な会社で働きたい。上司の言うことをマジありえねえとか思いながらへえこら聞いて、帰り際には安い居酒屋で安酒片手に同僚と愚痴を言い合いながらも会社内での位置関係を気にして、次の日の朝には二日酔いの酷い顔で出社する。友人の紹介で出会った女性と結婚、二児の父、趣味はアウトドア、休日はキャンプにGOみたいな人生がいい。そう願う」
「それは卑怯ですよ。師匠の背景と経験があるからそんなこと思うわけで、師匠がおれだとしたら、やっぱり師匠はおれみたいに師匠に憧れるはずです」
「まさか」
「だいたい一般的って何ですか?」
「わかんねえけどさ」
「人は他人にはなれないってことですよね」
「たぶん」
「おれこう見えて、中坊の頃けっこーモテたんす。でも、おれが好きな子はおれのことを見てくれなかった。師匠が言ってるのはそんな感じのことですよね」
「まあ。……ん? モテた?」
「本当っすよ」
「ふうん。すごいね」
「本当ですよ」
「それはよかった」
「本当ですってば」

 翌日、朝から半径二キロ圏内にあるパチンコ屋をしらみつぶしに回ったのだけど、使えそうな店は見つからず、といって、その店が本当に使えないかどうかを判断する決め手も得られず、ただ足が疲れただけだった。やはり移動手段の必要性を痛感する。
 といって、レンタカーを借りる余裕はなく、今の軍資金では中古車を買うわけにもいかない。小僧に現実を見せられたのが収穫といえば収穫か。かきあげうどんといなり寿司を食べてからいつものホールに向かってみると、よさげな台が空いていたので小僧に打たし、僕は僕でハイエナ。しんどい展開だったが、ふたり合わせて投資25000円、回収46000円。21000円(10500円ずつ)勝ち。経費込みの総収支が十万を超え、五万円という目標額をあっさり達成した。一週間の稼ぎと思えば、充分とは言えないが、それでも缶ビールで祝杯した。


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 翌日、朝から並んで設定狙い。いつものプロ連中の姿がない。どこかで熱いイベントがあるのかもしれない。或いはこの店の状況が変わったのか、それとも通常の日曜日は締め日なのか。不安を覚え、抽選だけで、打つのを止めておく。打たなければ負けはない。ただ、打たなければ勝ちもない。やはりホールの傾向を調べるためには一ヶ月くらいのスパンが必要なのだ。
 レンタサイクルを借りて市内を散策。三百円。こんな便利なものがあったんだな、と思うものの、出ているホールは見当たらなかった。いつものホールに戻るも、客つきこそいいものの、設定が入っている感じはしない。打たないという作戦が当たったとはいえ、気分は優れない。デパートで小僧用の寝袋を購入。経費として出費、九千円。
「それ、俺のよりあったかそうだな」
「あざーす」
 翌日も見が中心。いつものホールにはプロ連中が戻っていた。小僧にはデータを取ってもらう。僕はチャリンコでコツコツとホールめぐり、期待値追い。
 投資27000円。回収29000円。2000円(1000円ずつ)勝ち。

 翌日は朝から高設定狙い。抽選番号が悪く、狙い台はいつも何かしらの帽子をかぶっているプロ風に取られ、それがどうやらアタリ。見切りをつけ、レンタサイクルでホール発掘&ゲーム数or天井狙い。も、はかどらず。投資34000円、回収10000円。24000円(12000円ずつ)負け。

 その翌日も抽選から。四台に絞った狙い台を優先順位通りに確保。小僧の台、高設定の兆しはあるものの、まったくボーナスがついてこず、ねをあげた。僕の台は見切ってやめ。交替。しんどい。しんどいが、周りの状況と台の数値から察すると、間違いなく設定は入っている。なら信じて回すしかない。一進一退、じりじりと膠着状態が続く。が、纏綿とからみあった結び目がほどけていくように、夕方から夜にかけて盛り返す。も、失速。こればかりはどうしようもない。推定高設定台に座りながらも負け。投資56000円、回収42000円。14000円(7000円ずつ)負け。

「師匠が言ってたことが何となくわかりました。こういうこともあるんですね。おれ途中、嫌な汗しか出ませんでした。あそこまで取り戻せるとも思えなかったですし」
「うん。こんなときはこんなもんだよ。やめたくなったか?」
「いや。やめたくないです」
「金が全部なくなる可能性もある」
「はい」

 翌日も設定狙い。抽選の順番を待っていると、いつもパチンコのシマにいる常連のおじちゃんに話しかけられる。いい天気じゃの、と。そうですね、いい天気ですね、と返す。抽選番号は僕がまあまあ、小僧もまあまあ。おじいちゃんは一番を引き当て、「今日取っても意味ないなあ」と言ってからからと笑った。

 実戦開始。1000円が消え、2000円が消え、3000円、4000円、5000円、6000円、7000円、8000円、9000円、10000円、まったく何も引けず、そのまま2万が消え、25000円、3万円、35000円、天井まで打つも、そこから伸びず。僅かなコインを流して小僧の後方支援に回る。小僧も苦戦を強いられている。
「ちょっと先、飯食ってくるわ」と小僧に言った直後、小僧の台がフリーズ。台が壊れたわけではない。65536分の1のプレミアフラグ。「頑張れ」と言ってうどんを食いに行く。戻ってきてもまだ続いている。一時間経ち、二時間経ってもまだ続く。小僧の目が嬉しそうに輝いている。そんな顔して打ってたらダメだぞ、と思うものの、どうしようもない。よけいなことを言って流れを堰き止めたくなかった。オカルトチックだがしょうがない。この日の僕は小僧に近づかず、延々とぶらぶらしていた。

 得たコインは8000枚強。「高設定じゃなかったのによく伸びましたね」と小僧は言う。
「薄いのをたくさん引いたね」
「はい。超楽しかったです」
 ……ノリ打ちをしていると、こういうときにきまりが悪い。今日なんて完全に小僧のヒキで勝ったようなものだ。その前段階の台選びは僕がしているとはいえ、僕ひとりではありえなかった展開だ。ただ、僕がひとりだったら、攻め方も違うのだから、比較なんてできないのだし、別に何ら恥じることはないのだが、それでも多少の罪悪感を覚える。満面の笑みの女性店員に渡された景品をそのまま小僧に渡し、「交換してきて」と言った。小僧は嬉しそうに大量の景品を受け取った。
 景品交換所で朝のおじちゃんにばったり遭遇。「それ、今日一日の分?」と聞かれ、「はい」と言うと、「酒、飲みに行こうや」と誘われる。「おごってもらいたいとこやけど、わしも勝ったから、ご馳走するよ」
 めんどくさいな、と思ったけど、小僧がいかにも行きたそうな顔をしているのでそれに従った。
  とことこ歩いて、おじちゃんの馴染みらしき居酒屋に着いた。軒先に赤提灯が垂れ下がる、バラック風の簡素なつくりの居酒屋だった。ビールでええか、と言うので、はい、と言った。

「自分ら東京の人?」
 僕はうなずき、小僧もうなずいた。
「師匠も東京だったんですね」
「そうなんだな」
「なあ、わしの知り合い呼んでもええか? そいつも同じ関東やから話も合うやろ」
 うなずくより他にないのでうなずいた。
 二つ折りの携帯電話に向かって、おじちゃんはでかい声で話し出した。ああ、りんぼん? 今から来いや。スロットしよる若い子らと飲んどる。東京人。ああ、ああ。待ってるわ。

 生ビールがやってきて、乾杯した。ゴクゴクと嬉しそうに飲むおじちゃんが、可愛らしくもあり、憎たらしくもあった。
 ジョッキの中身が減っていく。なくなったらまた頼む。そんなこんなで、おじちゃんの特に面白くもない話にうなずいているうちに、ガラガラとドアが開き、ひとりの男が入ってきて、「こっちこっち」とおじちゃんが言った。「今日はおごりやから何でも飲んでくれ」
「じゃあ甘えさせてもらおうかな。どうもはじめまして。みんなはビール飲んでんのね。じゃあおれもビールにしよう。すいません、生ひとつ。君たちは旅行か何か?」
「そのようなものです」と僕は言った。
「遍路かい?」
「おれはそうです」と小僧は言った。
「君は?」
「ええと、なりゆき、というか……」 
 まあ、細かい話はいいよね、と男の人は言い、やってきたビールのジョッキをカツンと重ねた。それが、長い夜のはじまりの合図だった。

 投資49000円、回収165000円。58000円ずつの勝ち。


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 たけさんがりんぼんと呼ぶ男は、田所りんぼと名乗り、僕たちはりんぼさんと呼ぶ流れになった。正直、僕は小僧の名前を知らない。小僧も僕の名前を知らない。だからかどうか、特に自己紹介をせずに喋っているうちに、ふたりは僕たちのことを「師匠」「小僧」と呼び始めた。
「で、何の師匠なんだ?」とたけさんが言うと、間髪入れずに「人生の師匠です」と小僧が返した。僕が嫌そうな顔をするのを見て、りんぼさんは「面白い師弟だね」と笑い、たけさんも笑った。

 たけさんは自分のことをたくさん喋った。数年前に奥さんを失くし、今はひとりで暮らしている。後二年で受給される年金を心待ちにしている。ひとり息子とはそりが合わず、二十年前に出ていったきり会っていない。趣味はパチンコ。勝ってもいないがそれほど負けてもいないと胸を張る。毎日のようにりんぼさんを家に招いては、酒を飲む間柄という。

 ビールから日本酒に移行し、その後ウーロン杯に移行した。ふたりはよく食べよく飲み、たけさんはよく話し、りんぼさんはよく話を聞いた。気づくと客は僕らだけだった。もしかしたら閉店時間はとっくに過ぎているのかもしれなかった。僕は酔いつぶれないように注意しながらも、なるべく空気を壊さないように、口に杯を運んだ。先にダウンしたのは小僧だった。

 変な話だが、僕は飲酒も一種のギャンブルだと思っている。体質という初期設定にしたがって、ペースをどう配分するか、相手に合わすのか、自分を優先するのか、場を優先するのか。だからひとりではまず飲まない。もっと優先すべきギャンブルが僕にはある。どうやら小僧は酔いつぶれる前に意識が遮断してしまうタイプの飲み手らしい。脱落者には違いないが、彼こそがこのギャンブルの勝者なのかもしれなかった。それを見たたけさんが、「よし、うちに行こう」と言った。
「いいんですか?」僕は聞いた。
「いい、いい。汚いとこだけど、酒もあるしな」
「すいません」
 居酒屋の代金はたけさんが五千円を払い、僕が四千円を出した(安っと思った)。「師匠、ごちになります」とりんぼさんが言った。

 外に出ると、驚くほど「しん」としていた。星々と尖った月、山、木々、稲のない田園、まだ新しいアスファルト、暖色の灯。車は走っていない、人の姿もない。
 酒の影響か、寝袋やら何やらが入ったバックパックが重く感じる。小僧の分の荷物も持っているから余計だ。地に足の着かない亡霊のような小僧をりんぼさんが支え、たけさんは上機嫌で昭和の時代の曲を口ずさんでいる。
 数分歩くとたけさんの家に着いた。木でできた小さな門の上に表札があった。
「竹田」
 門をくぐると屋根瓦のついた平屋があって、たけさんは手を伸ばしてドアを開けた。どうやら鍵はかかっていないらしい。
「おじゃまします」家の中は古い畳の匂いがした。部屋のあちこちで埃が自己主張の範囲を広げようとしていた。ここでひとりで住むのは大変そうだ。そうじをするにしろ、庭を手入れするにしろ、何にしろ。

 通された客間に荷物を置くと、布団はそこにあるから、好きに使ってくれ、とたけさんが言う。押入れから布団を出して、重い人形のような小僧を寝かした。布団はすえた匂いがした。生物が生まれ、生きて、死んで、それが積み重なった匂いだった。電気を消し、すうすう眠る小僧を残して居間に向かった。ふたりはすでにあぐらをかいて、酒盛りをはじめていた。

 ふたりは死後の世界について語っているみたいだった。あるとしたらどのような世界がいいか、そのときはいつの自分の姿が望ましいか、その世界には今までのすべての生物が行くのだろうか、たとえば微生物の魂は見えるかどうか、などと意見が飛び交い、しばらくすると、たけさんがいびきをかいて眠り始めた。師匠はまだ飲めるかい? とりんぼさんが言い、はい、とうなずいた。
 りんぼさんは、たけさんとひとつかふたつしか変わらないというが、ひとまわり以上若く見えた。特に若作りしているわけじゃないし、白髪交じりの短髪にヒゲ面なのに、なぜか老いているという感じがしない。

 僕たちは、アタリメをつまみながら、湯飲みに氷を入れて、パックの芋焼酎を飲んでいる。
「四国はどう?」
「いいところですね」と答えた。「道後温泉しか観光らしいことをしてないですけど。ただ、こういう風に面識のない人の家に泊めてもらうのは人生で初めてで、少しとまどってます」
「君は何か不思議な雰囲気があるね。外見は二十代のようにツルンとしているけど、妙に老成している」
「そうですかね」
「何の仕事をしてるんだっけ?」
「……」
「別に無理に言う必要はないよ。僕だって人様に誇れるような仕事をしているわけじゃないし」
「スロットをしています」
「スロプロってこと?」
「そんな大層なものじゃないですけど」
「いつから?」
「十代からです」
「すごいなそれは。大学は?」
「高校もろくに行ってないです」
「へえ。何で?」
「……何でだろう」
「他者と関わるのが好きじゃないとか?」
「たしかに、好きじゃないかもしれません」
「パチンコってさ、めちゃくちゃバッシングされてるじゃん? ヤフーニュースとか見てると記事のトップに出たりする。それについてどう思う?」
「廃止しろ、とかですか?」
「パチンコ廃止しろ。日本から出て行け。百害あって一利なし」
「何を言われても何も思わないです」
「ネガティブな情報は見ない?」
「見ないわけじゃないんですけど」
「他人の意見は気にならない?」
「気にならないこともないんですけど」
 ……俺、ネットの言葉に傷ついて旅に出たんじゃなかったっけ? 今はもう何とも思っていない自分が不思議だった。
「世間から白い目で見られることに対して何とも思わないの?」りんぼさんは意地の悪そうな顔でそう言った。
「というか、世間って幻想ですよね」僕は言った。「俺、幻想を振りかざす人って苦手で。たとえば、昔は勝てたんだけど、今は勝てないからダメだ、とか、昔はそんなにお金がかからずに遊べたけど、今はかかるからダメだ、とか、そういうことを言う人ってけっこういるんですけど、それ幻想ですし、もっと言っちゃえばウソですよね。たまたま勝った記憶が残っているだけ。昔にしても、今にしても、無策で勝てるほどギャンブルは甘いものじゃない。パチンコ業界の衰退はそういうことじゃなくて、ただ単に娯楽の多様化というか、無料化というか、要はインターネットの登場からですよね。娯楽産業はほとんど全部右肩下がりじゃないですか」
「師匠はすごいね」りんぼさんはしみじみと言った。「僕は君が怒ると思ってこんな質問をしてみたんだけど、そんなそぶりもない。じゃあ質問を変えよう。師匠は何をしてるときが楽しいって感じる?」
「スロットですかね」
「ゲーム性みたいのが楽しいってこと? それともギャンブル自体が楽しいの?」 
「スロットを打っていると、生きてるって感じがします」
「どうして?」
「生きるためには、他の生き物を何かで上回らないといけない。何かで誰かに勝たないと暮らしていけない。だから、できるだけ弱い相手を相手にしてるだけです」
「ふうん。君も、僕と同じなんだね」
「どういうことですか?」
「人の不幸を飯の種にして生きてるってこと」


       777


 目を覚ますとりんぼさんの姿はなく、小僧はまだ眠っていた。
「何か食うか?」とたけさん。
「大丈夫です」と返す。
 布団の中の小僧に声をかけてみると、「師匠、具合が悪いみたいっす」という返事が返ってきた。
 熱を測ってみると38度5分。 心労がたたったのか、久しぶりの団欒に気が緩んだのか、どちらにせよ、この状態でパチ屋になんて行けなかった。
「ゆっくりしてったらええ」とたけさんが言ってくれたので、小僧を残して僕はひとりで外に出た。

 パチ屋の状況がよくなかったのと、店回りをする気分にもなれなかったので、スロットは早々に切り上げ、食料を買って、たけさんの家に戻った。
 小僧の体温は、39度付近で停滞していた。僕は小さい頃母がそうしてくれたように、卵お粥にネギをたっぷり入れて小僧に食べさせて、買ってきた風邪薬と栄養ドリンクを、気休めと知りつつも飲ませた。
「師匠すいません」と小僧は言った。
「俺じゃなくてたけさんに言えよ」
「たけさんすいません」
「治るまでいてくれていいからな」たけさんは笑顔で言った。
 結局、その日もたけさんの家に泊まらせてもらうことになった。申し訳ないので、家事を手伝うことにした。
 夜になるとりんぼさんがやってきて、酒を飲んだ。二晩連続で酒を飲むなんて、太郎とツレ打ちをしていた頃以来で、僕は酔ってしまわないように慎重に杯を口に運んだ。先に寝たのはやはりたけさんだった。
「師匠は将来について考えたりする?」りんぼさんはこの時間を待っていたというように、目を輝かせて言った。
「考えないです」
 色々と喋っているうちに、疲れていたのだろうか、酔ってはないはずなのに、眠ってしまっていた。
 翌日になっても小僧の体調は戻らなかった。僕は小僧のご飯をつくり、それからパチ屋に行き、そしてたけさんの家に戻ってきて、たけさんの晩酌に付き合った。そのうちにりんぼさんがやってきた。
「小僧くんの体調はまだ戻らないの?」
 りんぼさんの問いかけにうなずくと、「ま、小僧が早く治ることを願って乾杯しようや」とたけさんが言った。
 もう酒は飲みたくないな、とは思うものの、しょうがない。小学生男子のするようなふたりの会話を聞いているうちに、例によってたけさんが先にいびきをかきはじめた。
「師匠は女性に興味ないの?」湯飲みに氷を詰め、芋焼酎を注ぎながらりんぼさんが言う。
「興味なくはないですけど」
「じゃあ最近いつやった?」
「何ですかその質問は」
「いや、ちゃんとそういうことしてるのかなっていう単純な興味なんだけど。じゃあ、すぐにやらせてくれる女性と、まったくやらせてくれない女性はどっちがいい?」
「そりゃ、やらせてくれるほうがいいんじゃないですか」
「じゃあ、すぐにやらせてくれるけど、誰とでも寝ちゃう女と、やらせてくれない処女とどっちがいい?」
「質問おかしくないですか? どういう外見で、どういう内面があってっていう前提がないと答えようがないですよ」
「いや、君と会って3日経つけど、少しずつ君のことがわかってきたよ。師匠がスロットをしているのは、お金のためだけじゃないよね。たとえば、スロットよりもっと楽に稼げるものが目の前にあったとしたら、それ、する?」
「それは具体的にどういうものですか?」
「ここにひとつのボタンがあります。このボタンを押すと、あなたと関係のない人が何人か不幸になります。そのかわりにあなたにはお金が入ります。押す?」
「押さないです」
「何で?」不思議そうな顔でりんぼさんが言う。「スロットだって同じでしょ。敗者のいないところに勝者は存在しない。大勢の誰かが負けてくれて、ようやく君みたいな人間に恩恵が届く。やってることは同じじゃない?」
「でも、そのボタンで不幸になる人には自己決定権がない。前提が違いますよ」
 りんぼさんは芋焼酎をぐびと飲んだ。「きれいごとだよね、それは」
「そうかもしれませんね」僕は同意した。
「うーん、こりゃ是が非でもパチンコ屋の存在しない世界で君が何をするのか見たくなってきたな」
「あの、昨日りんぼさんが言った、人の不幸を飯の種にするってどういうことですか?」
「人の不幸が利益に直結するビジネスモデルってけっこうあるんだよ。君も知ってのとおり、ギャンブル産業がそう。金貸しってのもそう。警備会社もそう。日本にはないけど、刑務所の経営とかもそうかな。軍隊もそうだね。武器、兵器をつくるってのもそう。社会が不安定になればなるほど事業拡大の契機になるっていう。もしかしたら酒造メーカーもそうかもしれない。娯楽産業もそうかもね。もちろん、それらには両面あるわけだけど。うーん何て言えばいいのかな、ビジネスってさ、人に奉仕するのが第一義じゃない。だけど、その裏には、儲けたい。儲けを独占したいという思いがある。師匠は桃鉄ってやったことある?」
「学生の頃に」
「あれってさ、モノポリーをベースにしたようなゲームだから、ある種の経済モデルでもあるわけ。ひとつの鉄道会社が椅子取りゲーム的に成長していく過程で、会社にとってネガティブな事件が発生する。台風とか、地震とか、キングボンビーとか。師匠なんてまさにパチンコ屋にとってはミニボンビーだよね」
「そうですね」と言って笑った。
「ミニボンビーくらいなら、儲けのある会社からしたらかわいいもんだ。でも、そういうのを意図的に起こす仕事ってのも、世の中にはあるんだよ」


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「師匠、すいませんした。復活したんで、パチンコ屋行きましょう」起き抜けにすっきりした顔で小僧が言った。
「大丈夫なのか?」
「はい」
 僕はたけさんの寝室をノックして言った。
「たけさん、今までありがとうございました。こいつ回復したって言うんで……」
「そんな話はええわ。とりあえず今日の晩は回復祝いしようや。スロット終わったら一度ここ戻ってきてや」
「はい」と言った。
 病み上がりの小僧を連れてのスロットは、どこか気持ちが入らなかった。何日も連続で酒を飲んでるせいだろうか。一応データだけは取っていたから、打つ台には困らなかったが、これじゃない感があった。
 昼食にうどんを食べながら、小僧に話をした。
「なあ、おまえは遍路に戻るべきだと思う」
「師匠はどうするんですか?」
「俺は何とでもなるよ」
「何するんですか?」
「中古の軽でも買うかな」
「おれ、使えないですか?」
「いや。逆。居心地が良すぎるんだよ。たけさんの家も、おまえとの連れ打ちも。つうか、おまえは遍路がしたいんじゃなかったのか?」
「もう少しここにいたいんです」
「他人に迷惑かけておいて?」
「それはすいません。でも……」
「もう金もできただろ。十万じゃ充分とは言えないかもしれないけど、少なくとも四国に来たときに持ってた金額の倍にはなっただろ」
「そうかもしれませんけど……」
「けど?」
「このお金いらないんで、もう少し師匠と一緒にいさせてくれませんか」
 小僧は今にも泣き出しそうな顔をしていて、僕はそれ以上何も言えなくなってしまった。「その話は後な」と言ってホールに戻る。


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 小僧の復帰戦を無難な勝利で飾り(ひとり8000円の勝ち)、僕たちはたけさんの家に戻り、一番最初に行ったバラック風の居酒屋に向かった。「風」という名前の居酒屋だった。
「風に飛ばされそうな店やけど、でも、ええ店や」とたけさんが言って、僕たちは神妙な顔でうなずいた。
 りんぼさんは遅れてくるらしく、先に三人でビールで乾杯した。
「なあ、君らがよかったら、家使ってもらってもええぞ。もう野宿は寒いやろう」
「ほら、たけさんもそう言ってくれてるし、師匠、もう少しここにいましょうよ」
「……」

「おいっすー」遅れてやってきたりんぼさんは、女性を連れていた。
「どうも」と女性は言った。モコモコした白いニットにファーつきの黒いコート、黒いミニスカートの下にロングブーツをはいていた。年齢は僕よりも少し年下くらいだろうか。
「ねえちゃん、誰や」とたけさんは言った。
「越智果歩と申します」
「ほうか、で、越智さん、あんた、りんぼんの何や?」
「まあまあ、何でもいいじゃない」とりんぼさんが言い、乾杯した。
「なあ、りんぼん、師匠が帰る言うとるんやけど、何とかならんか」
「え、師匠帰っちゃうの? 何で?」
「長居してしまいましたし」
「でも、特に行くあてはないんだよね」
「あてはないですけど」
「人間、望まれる場所にいるのが一番だと思うけどなあ」
「……あの、師匠って何のお師匠さんなんですか?」越智さんが不思議そうな顔で言った。
「コイツ、プロなの」口を尖らしてたけさんがそう言った。
「何のですか?」越智さんの疑問に、「人生のっす」小僧が笑顔で答える。
 僕はトイレに逃げ込んだ。やっぱ苦手だ。こういうの。
 トイレから戻ると、小僧がたけさんに煽られ酒を一息で飲み干していた。まったく。病み上がりに何をしてるんだ。こういう風にすぐに調子に乗る人間が僕には理解できなかった。
「師匠も飲むかい」りんぼさんが言った。
「俺は一気はしません」
「な、言ったとおりだろ」りんぼさんは笑った。「こういうやつなんだよ」
 結局、小僧もたけさんもぐでんぐでんになってしまい、たけさんの家に行くことになった。越智さんは「明日仕事だから」と言ってひとりで帰った。りんぼさんに送らなくていいんですか? と聞くと、「大丈夫大丈夫」と言った。ふたりの関係がよくわからない。
 コンビニで水を買おうとすると、水なんて蛇口ひねれば出てくる、とたけさんが言うので、そのままたけさんの家に向かった。
「次の6の日は熱いらしいぞ」たけさんは言う。
「ですって。とりあえず次の6の日まではいましょうよ。師匠……」
 そう言うと、小僧は寝息を立て始めた。

 勝ったり負けたり、一進一退の日々が続いた。夜になると、りんぼさんがやってきて、酒を飲んだ。小僧の体調はすっかりよくなった。そうこうするうちに、6の日がやってきた。
 僕たちは一緒にたけさんの家を出て、抽選を待った。
「今日こそおまえらより出すけんな」たけさんの鼻息は荒い。

 ……風にあおられる蝋燭のように、心がざわついた。たけさんの鼻息のせいではない。駐車場から出てきた二人に見覚えがあったからだ。筋肉質なロン毛ピアス、首すじに龍のタトゥが見える背の高いボウズ。多少外見が変わったように思うが、それは、小僧から金をせしめた二人組だった。他のことはからきしだが、僕は目だけはいいのだ。面倒なことが起きなければといいな、と思いながら、抽選を受けて、そこそこいい番号を引いた。小僧は微妙な番号だった。たけさんは一桁の番号を引き、じゃ、後での、と得意げに歩いていった。
 入場が始まり、難なく狙い台を確保。小僧はどうだろうか、と見にいくと、伝えておいた優先順位の三番目の台を取っていた。悪くない。例の二人組はスロットの新台に座っていた。一目で打ち方が荒いのがわかる。ドン、ダンダンダン。ドン、ダンダンダン。周りを威嚇するような打ち方だった。隣に座る人間に同情しつつも、僕は確保した台に戻り、自分の仕事に集中する。

 今打っている台を見極めるには、正確を期すなら半日は欲しいところだが、設定の高低だけなら二時間で足りる。ということで、この台はナシと見切り、持っていたコインを流した。そのまま小僧の様子を見に行くと、小僧が座っていた場所には誰もいなかった。台の下皿にコインとカチカチくんが置かれたままだから、見切ったわけではない。トイレにでも行ったのだろうか。
 十二時を回り、徐々に明らかになってくる設定と出玉。悲喜こもごもの様子を観察しながらパチ屋を歩く。壊れたように連チャンしている台もあれば、沈黙を保ったままうんともすんとも言わず、天井で単発、またはまって単発と、客を半狂乱させている台もある。客付きはすこぶるいい。良さげな台が空く確率は高くないが、といってあきらめるのは早すぎる。知ってか知らずか、お宝(高設定)を手放す人間はいるものだ。
 それにしても、小僧が戻ってこない。さっきの二人組の姿も見当たらない。嫌な予感を制しながらパチンココーナーに向かう。どうやら、調子よく連チャンを重ねているらしい。たけさんの後ろのドル箱には、別積みの札が挿されていた。「たけさん、小僧、見なかったですか?」
「ん、見てないけど、どした?」
「いや、前話した、小僧の金をまきあげたやつらが来てたから、ちょっと心配になって」
「便所は?」
「いなかったです」
「電話は?」
「あいつ持ってないんですよ」
「まあ、そのうち戻ってくるやろ」
「そうですね」
 しかたなく、小僧の台を打つことにした。トイレならそのうち戻ってくるだろう。少しハマッて擬似ボを引いて、ボーナスが終わったところでスマホが振動した。知らない番号だった。走って外に出て、通話ボタンを押した。
「師匠」という声がした。「どこにいる?」と言う間もなく、電話の向こうの声が変わった。「おまえが親分か? こいつが粗相した分の金、払ってくれるな」
「は?」
 粗相? どの口がそれを言うんだ?

 ……ダメだ、と思う。感情的になっている場合ではない。気持ちを静めて、話を聞いた。彼らは小僧を連れて、近くの神社にいるという。
 スロットはどうする? あの台は、まだ判別が完了してはいない。周りの状況を見る限り、設定が入っている可能性は大いにある。お金のことだけを考えれば、このままスロットを打つ方がいいに決まってる。
 じゃあ、無視してスロットを打つか? ……そんなわけにはいかなかった。あいつらの言い分を、やっていることを、その存在を許すわけにはいかなかった。
 強いものをいじめることは物理的に難しい。だから、弱いものをいじめることは合理性があるのかもしれない。だけどそれがどれだけ合理的であったとしても、それを了解することはできないのだった。僕は明らかに分裂していた。
「それ、犯罪行為だよ」僕は言った。
「何をぬかしとんねん」スマホの向こうの声が言った。「おまえこそこいつがどうなってもええんか?」
 こいつがどうなってもいいのか?  一昔前のドラマに出てくるようなセリフだな、と思う。僕はスマホを耳に当てたままでタバコをくわえ、火をつけた。「わかった」と言った。「覚悟しとけよ」
 僕は電話を切り、パチンコ屋と逆の方向に歩き出した。

 人生を通じてあまり経験したことのない感情に、自分で感じつつも、戸惑っていた。勝手に歩き出している足を止め、タバコを携帯灰皿に押し込んで深く息を吐いた。そのまま二回、三回と深呼吸をした。自分の立ち居地を明らかにしたい、と僕は考えた。
 自然界において、弱いものから搾取するというのは合理的ではある。強い敵よりも、弱い敵を倒す方が簡単に決まっているからだ。その意味では、やつらには義はなくとも、利はある。それは理解できなくもない。というか、僕がパチ屋でやっていることと変わらない。だけど、粗相も何も、喧嘩を売っているのは向こうなのだ。そもそも小僧は、金をまきあげられている。正義がどちらにあるかは火を見るよりも明らかだ。

 僕は首を振った。これはギャンブルだ、と思おうとした。人情を捨て、与えられた条件で、彼らを上回る。力が弱いなら弱いなりの勝ち方があるはずなのだ。怒りや怯え、感情にゆだねず、あいつらの勢いや言い分に呑まれることなく、今、ここですべてを清算する方法。不完全な人間対不完全な人間の勝負である以上、どこかに期待値はあるはずなのだ。
 ……何も思いつかなかった。そもそも僕という人間にフィジカル的な優位性がない以上、直接的な戦闘に期待値があるとは思えなかった。しかし足はずんずん進んでいった。僕は怒っていたのだ。


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 彼らが指定した神社に到着し、ぼろぼろの参道を上がっていく。ほとんど手入れのされていない境内の木々の葉が、黄色に紅に、色づきはじめていた。人の姿はない。神主も見当たらない。なかなかやって来ない参拝客に対してか、歪んだ社会情勢に対してか、ろくでもない僕らに対してか、ところどころ風化した狛犬が二体、こわい顔で睨んでいる。賽銭箱があり、神殿があった。ぐるりとまわって神殿の裏、彼らはそこにいた。小僧は窮屈な格好で正座させられていた。感情が煮えそうだった。
「おい、金は持ってきたんだろうな」耳にピアスをつけた筋肉質が言った。
「おまえらこそ覚悟できてんだろうな」ひょろひょろの黒メガネこと僕は言った。空をうそぶく覚悟だった。
「何イキっとんじゃコラ」首に龍のタトゥがある背の高いボウズが言った。
「師匠」顔を腫らした小僧が言う。
 おい、ここで師匠とか言うの、恥ずかしいから止めろよな……
 
 デカタトゥは手に特殊警棒のようなものを持っていた。僕の目はその凶器に釘付けになってしまった。あんなんで殴られたら骨折れちゃうよね。……とりあえず様子見のプランAを決行。僕はポケットに手を入れて、道中で拾った石を握った。じりじりと距離を縮めながら言った。
「おまえらがこいつから盗んだ金、返せ」
「あれは宿賃だろ」
 筋肉質のデブが鼻で笑うように言った。」
「寺に泊まるのをプロデュースしたってんから、金を払うのはあたりまえやろ?」
 デブの言葉にデカタトゥはへらへら笑っている。やはり法律や論理が通じる相手ではなさそうだ。
「コイツがアホやから悪いんやろ」と言って、デカタトゥは警棒の先で小僧の頭をツンと小突く。
 うううううう、と小僧は頭をおさえてうずくまる。
「おい、早く金払えや」デカタトゥはなおも小僧を小突く。
 プランなどあったもんじゃない。頭の中が真っ赤に染まり、気づくとポケットの石を握ったまま、デカタトゥに殴りかかっていた。ひょい、とかわされた。すかさず、デカタトゥはその警棒で反撃してくる。何とか僕も攻撃をかわした。ギリギリだった。と、思った瞬間、あらぬ方向に首をグリンと持っていかれ、後から鈍い痛みが追いかけてきた。
 デブが僕を殴ったのだった。
「おいコラ、おまえひとりで勝てると思っとるんか」デブピアスはポケットからサバイバルナイフのような刃物を取り出して言った。
 うん。ピンチだ。
 頬をさすりながら体勢を立て直す。状況を整理してみよう。小僧の顔面はすでにボコボコで、部分、部分、赤かったり青かったりしている。スロットのボーナス図柄みたいだ。
 おそらく戦闘力はない。僕のポケットに入っているのは卓球のボール大の石がふたつ、対する相手は警棒的な棒を持ってよく吠える、僕よりも十五センチばかり背の高いドラゴンタトゥボウズ、もうひとりは、切れ味のほどはわからないまでも、何かを切り裂く目的で作られた刃物を手にもって猛り狂う、オレ昔、柔道かキャッチャーをやっていました、でもやめたんで記念に耳に穴を開けました、みたいな男。ともに十代後半から二十代前半くらいで、しかも無傷。大した痛みはないが、僕は頬を一度殴られている。おまけに告白すると、僕は喧嘩など一度たりともしたことがない。
 ふむ。これはどう贔屓目に見ても厳しい状況だった。
 ふいに小僧が立ち上がり、奇声を発しながらドカベンに突っ込んでいった。僕が殴られて逆上したのかもしれないが、刃物をもつ男に突っ込んでいくなど、正気の沙汰ではない。
 刺されるという最悪の事態は回避したものの、状況が変わるはずもなく、助けに入ったデカ太郎の警棒でわき腹あたりをなぎ払われ、小僧はもんどりうって倒れた。
 やむなし。プランBを決行する。すなわち、ブラフ作戦である。
「はい、もしもし、そうです、はい、そこの神社です」僕はスマホを取り出し大声で言った。
(おい、まさか、誰か呼んだんじゃないだろうな?)という反応が返ってくるとばかり思っていた。が、彼らの発した言葉は僕の想像を易々と飛び越えた。
「こんな状況で電話なんて、おまえアホか?」と刺青龍は言った。
「アホはどっちだ?」勝ち誇ったような表情で、「もうすぐここに、警察が来るからな」と僕は言った。
 役者を目指してもいけるんじゃないか、と思うくらいの会心の演技だった。さすがにこれで、こいつらもあせるだろう、何なら逃げ惑うかもしれない。僕はそう確信した。
「警察?」キャッチャーマスクが言った。「何で警察が来るんだ? オレらなんか悪いことしたか?」
 キャッチャーの問いかけにドラゴンは「してへん」と首を振る。「悪いことなんて何もしてへん」
「……」まいった。いや、こいつらも僕と同じくブラフをかましてるのかもしれない。どっちだ? そう考えていくとキリがなく、僕はポーカーフェイスを保つのに精一杯だった。

 さっきから必死でふたりの外見上の悪口を探しているのだが、もう一杯一杯だった。だいたい姿形を貶すのにも限界がある。違う角度から切り込まねば、と決意を新たにやつらを睨む。
 俺が今、日本刀をもっていたら、俺が今、銃をもっていたら、俺が警察官だったなら、俺がこの街の裏の顔役だったなら……ありえない設定が頭の中をかけめぐる。違う、そんなことを考えている状況ではないのだ。
 しょうがない。最終兵器、ポケットの中の石を思い切り投げつけた。かつん、という音がして、デブオのどこかに当たった。よし、もう一発。……ダメだ。ドラゴンボウズには当たらなかった。デブは頭を抑えて猛然と吠えている。もはや何を言っているかわからない。よし、いいぞ、怒れ、怒れ。怒れば怒るほど、隙が生まれるはずである。
「おい、デブ」と言った。
 そんなに太っていない相手に使用する言葉として適当かどうかはわからないが、相手は顔を真っ赤にして、僕を睨んでいる。いいぞ、怒れ、もっと怒れ、「おいキャッチャー、そのキャッチャーミットで殴ってみろよ」
 ナイフを振りかざして突っ込んでくるピアス男に向けて、足元の砂利を掴んで投げた。このどれかが相手の目に入れば勝機はあるだろう、と思った。案の定、やつの目に幾ばくかの砂粒が侵入し、動きが止まった。すかさず、生まれてからまだ誰も殴ったことのなかった右こぶしで、ビタ押し気味にキャッチャーのアゴ先を狙った。
 キャッチャーピアスの動きが止まった。俺は目だけはいいんだ、と思った瞬間、鳩尾に重い感触があった。痛みが遅れてやってきた。うあ、という声が漏れた。息ができなかった。坊主のこぶしが僕の腹をとらえていた。今たたみかけられたら負ける、と思った。何とか踏みとどまって、二三歩下がり、呼吸を整えようとした。そこに警棒の攻撃がきた。左肩が爆発したのではないか、というくらいの痛みが脳に到達する。それから右頬を殴られた。腹、左肩、右頬、痛みが張り合うように存在を訴えている。と、倒れていたキャッチャーが起き上がってきた。もうダメだ、と思った。
 そのときだった。小僧が起き上がり、奇声を発してキャッチャーに突っ込んでいったのは。が、僕の投げた砂利で目をやられているキャッチャーを守るように、デカ太郎が立ちはだかり、警棒ではなくこぶしで小僧のみぞおちあたりを殴った。
 ゴボオ。小僧は朝食べたおにぎりの残骸を吐き出した。
「きったな」と言いながら、坊主が警棒で小僧の頭部を殴ろうとした瞬間、僕は距離をつめ、左こぶしで坊主のアゴをビタぎみに狙った。坊主の体勢がゆらいだ。今だ、と思い、僕はリンかけ剣崎のギャラクティカマグナムばりの右ストレートを坊主のテンプルに炸裂させた。決まった、と思った。
 が、倒れるかに見えた坊主は次の瞬間、僕の肩を掴み、投げ飛ばそうとした。抵抗する僕、投げようとする坊主、僕たちは勢い余って地面に転がってしまった。取っ組み合いはまずい、と思う。力の差が如実に出てしまう。僕は立ち上がろうとする。しかし坊主は僕の肩を掴んで話さない。
「離せよ」と言った。言った後で、離せよと言って離すわけないよな、と思った。何を言ってるんだ俺は。
 やはり力の差は如実だった。じりじりと、しかし確実に、坊主に都合のよい体勢になりつつあった。このままだとまずい、と思い、体をよじらせているところに腹部に重い一撃をくらった。目潰しから立ち直ったキャッチャーピアスがサッカーボールキック的に僕のみぞおちを蹴り上げたのだった。息ができなくなった。
「コイツうざいから刺すわ」とピアスが言った。立ち上がろうとする僕をめがけ、左手に持ったナイフで僕の右肩から右のわき腹あたりを狙って、キャッチャーが向かってくる。それは見えているのだが、体がまるで動かない。
 終わったと思った。
 が、「ひゃあ」と悲鳴をあげたのはキャッチャーだった。
「おま何してんねん」キャッチャーが叫ぶ。
 信じれらないことに、立ち上がった小僧は、ナイフの前に顔を突き出したのだった。
 僕のよく見える目は、その一部始終を完璧に捉えていた。ピアスの握るナイフの尖端が小僧の右目の角膜を、そして水晶体を破り、一瞬で黒目が白く濁り、それでもナイフの勢いは止まらず、結膜下の血管をも破ってようやく止まった。小僧の目から血が噴出していた。 
 すべてが凍りついたように静かだった。烏がカアと鳴いてどこかに飛んでいった。

























「お、おまえが悪いんやぞ」ピアスが声を上ずらせながら言った。
 坊主はピアスの手を引っ張り、行くぞ、と言った。
 ふたり走り去っていく間も、小僧の目からは血が流れ続けていた。
「師匠、すいません。目押しできなくなっちゃったかも」小僧が言った。

 僕は119番に電話をかけ、駆けつけてくれた救命救急センターのスタッフと一緒に救急車に乗った。不幸中の幸いというべきか、小僧は親戚の扶養下にあるらしく、健康保険証を持っていた。待合室の長椅子に座りながら、ああ、そういえば、スロットやめてこなかったな、と思った。下皿にコインのある状態で店に戻らない人がたまにいるけれど、あれは店に対する嫌がらせか何かだとずっと思っていたのだけど、こういうケースもあるんだな。高設定だったかな。

 そのうちに警察が到着した。どうして職業のことを聞かれなければいけないのか、と思ったが、僕は正直に言った。その瞬間、警察官の顔が曇ったが、気づかない振りをした。まるで僕が加害者かのごとく高圧的に質問されたが、そのすべてに正直に答えた。僕を捕まえたいというのならどうぞ、という気分だった。小僧は命には別状はなかった。が、右目はおそらく、元の機能を取り戻すことはできないでしょう、と病院の先生は言った。小僧はもともと左目が弱視状態だったらしく、生活に不自由が出るだろう、とも。ただ、一週間ほどで退院はできるだろう、とも言った。
「師匠すいません」小僧は弱々しい声でそう言った。
「心配すんな」僕は言った。「何もかもうまくいくから」
 希望的観測を思うことを、言葉にすることを、ずっと禁じていた。だから、僕はたぶん、スロットに出会って以来、初めてその禁を破った。
「また明日来るわ」
 小僧は寝てしまったようで、返事がなかった。


       777

 
 たけさんから着信が20件くらい入っていた。ため息を吐いた。誰にも会いたくなかった。フラフラ歩き、目に入った一杯飲み屋で、生まれて初めて飲みたくもない酒を飲んだ。飲みたくはないのだけど、飲まずにはいられなかった。飲んでいるうちに、腹が立ってきた。
 誰に?
 あいつらに?
 ナイフの前に顔を出した小僧に? 
 そのうちに、自分が一番の極悪人であるような気がしてきた。怒っているのか、怒られているのか、よくわからなくなってきた。次々わいてくる感情に、意識が耐えられなかった。解決方法が、その糸口すら見当たらなかった。電話が鳴っていた。たけさんだった。依然喋りたい気分ではぜんぜんなかったが、それでも電話を取った。
「おい、師匠。どうしたんや。今どこや?」
 手短に事情を話すと、たけさんは軽自動車を飛ばして迎えに来てくれた。
「小僧はどこや?」とたけさんは言った。
「病院で寝てます」と僕は言った。
「もう面会時間は終わっとるか。……なあ、おまえ、大丈夫か?」
「はい」と言った。
 そのままたけさんの家に泊まった。客間に布団をしき、横になるとすぐ眠ってしまった。

 起きると体中が痛かった。たけさんは見当たらなかった。代わりにりんぼさんがいた。
「おはよう」とりんぼさんは言った。「聞いたよ。復讐してあげようか?」
 僕は首を振った。
「相手が憎くないのかい?」
「憎いというなら自分が憎いです」
「小僧くんがかわいそうとは思わない?」
「もし、小僧がそう感じているのなら、お願いするかもしれません。でも、僕はそんな気持ちにはなれません」
「混乱してるね。君のそういう顔は初めて見た」どこか嬉しそうにりんぼさんは言った。
「たけさんはどこに行ったんですか?」
「小僧くんのお見舞い。師匠が起きたら、連れて来てくれって。立てるかい?」そう言って、りんぼさんが手を差し伸べてくれた。
「ありがとうございます。大丈夫です」と言って、立ち上がる。体中が発する痛みを我慢して歯を磨き、顔を洗って鏡を見ると、自分の血が髪に付着してパリパリに乾き、パンクバンドのギタリストか、ゾンビ映画の特殊効果みたいになっていた。
「あの、ちょっとシャワーを浴びてもいいですか?」と言った。
「うん」
 苦痛に顔をゆがめながらシャワーを浴びた。

 ふと、思う。どうして僕の目には、小僧の目にナイフが入っていく一部始終が見えたのだろう? 今考えてみると、そんなはずはないのだ。あのとき、僕に向かってくるキャッチャーに立ちはだかるように、小僧は体を投げ出した。結果、ナイフが目に入ってしまった。が、後ろにいる僕にその光景が見えていたはずがないのだ。
 或いはあれは夢だったのだろうか? いや、夢でないことは、体のあちこちの痛みが否定していた。わからなかった。僕が人生で唯一手に入れようと思って手に入れたもの。スロットをするうえで一番大切なもの。冷静な判断ができなくなっていた。

 服を着替えていると、越智さんが「こんにちは」とやってきた。上半身裸の僕と目が合って、越智さんは気まずそうな顔をした。
 ……すいません、と言った。服を着て再度あいさつをすると、小僧のお見舞いをするために、車を出してくれるのだという。僕のいない場所で、僕に関わる予定が進行しているというのは、不思議な気分だった。他人と同じスケジュールで朝から移動するなんて、スロット以外ではそれこそ学生以来だった。真新しい車の匂いにウトウトしていると、病院についた。
 
「お、師匠来たぞ」とたけさんが言った。
「師匠。おはようございます」包帯が巻かれているので表情はわからないが、割と元気な声に聞こえた。
「おはよう」僕は言った。
「思ったよりも元気そうだね」とりんぼさんが、「こんにちは」と越智さんが言った。
「りんぼさん、越智さんも。何かすいません。ありがとうございます」申し訳なさそうに謝辞を述べる小僧を見るのはいたたまれなかった。
「目は痛い?」りんぼさんが訊いた。
「それが、痛いとかわからないんですよね」
「そっか」
「なあ、おまえら少しは体鍛えたらどうや?」とたけさんが言った。「あんな連中に負けんように」
「筋肉なんて、スロットするのに邪魔ですから」と言うと、「師匠、それかっこいいです」と小僧が言った。
「バカ師弟が」たけさんがあきれるように言った。


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「また明日来るわ」 
 たけさんとりんぼさんと越智さんが帰った後の病室で、僕は小僧とふたりになった。窓の外の常緑樹に、穏やか陽光が降り注いでいた。
「なあ」と言ったはいいが、その後の言葉が出てこなかった。
「ねえ師匠、リール一周のスピードってどれくらいでしたっけ?」
「は?」
「おれの右目はもう見えるようにならないけど、残った左目もめっちゃ悪いですけど、たぶんビッグの絵柄くらいは見えるんで、基準になる絵柄さえ見えればスロットは打てますよね。そのためにリールの一周を忘れないようにしたいんです」
「何だそれ」と言いながら、僕はリールが一周回るタイミングで、「トン」と言った。「トン」と言いながら、指差し確認のように、リールを止める動きをした。おおよそ0.75秒。一度スロットを覚えた人間が、一生忘れることのない間隔。
「トン、トン……」小僧は、僕の言う「トン」に合わせて「トン」と言った。「トン、トン、トン」
「トン」「トン」「トン」「トン」「トン」「トン」
「トン」「トン」「トン」「トン」「トン」「トン」
 輪唱のように、トントン言い合っているうちに、涙が溢れてきた。
「師匠?」小僧は不思議そうな声で言った。
「どうしました?」
「……」
「師匠?」
「なあ」僕は言った。「おまえ、名前は?」
 スロットを打つようになって以来、いや、これまでの人生で、僕は誰かの名前を聞いたことがあっただろうか?
「高木良太って言います」
 小僧は笑顔でそう答えた後で、スロットを打つ所作をした。

 レバーオン、トン、トン、トン……





つづく