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駅のトイレに入る。

入ってすぐに鏡があり、鏡の前には蛇口があり、手をかざせば水がシャーと出る。電車に乗ってこれからどこかに向かう男達は、トイレを済ました後、そこで手を洗い流し(あるいは洗う真似をし)、鏡に映る自分を確認し、ホームに向かう。

トイレは混み合っていた。順番待ちをしているうちに、あることに気づく。鏡の前の男たちは、揃いも揃ってキメ顔で自分の顔を見つめているのだ。他人を見るとき、人間はあんな表情はしない。他ならぬ自分の姿だからこそ、キリッとした顔をしていて欲しい。そういうことだろうか? たしかに、鏡は、自分の顔を見る、ほとんど唯一のチャンスだ。そのチャンスを逃さずキリッ、そういうことなのだろうか?

腕を組んだり、手を口に持っていったり、鼻に触れたり、髪をかきあげたり、貧乏ゆすりをしたり。人間のクセというのは、そのほとんどが自己防衛の表れだという。

劇団に所属していた頃、演出家に言われたのは、「芝居に登場する人物は、お前ではない」ということだった。お前個人のクセは、登場人物にも、物語にも関係ない。それを出してしまうのはただ怠慢なだけだ。個性でも何でもない。


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スロットに負けるのが好きという人は、たぶんいない。が、野生の勘を利用した立ち回りで勝ち越す確率は限りなくゼロに近い。そこで、スロットに負けてしまった人間の精神は、ある仮説を立てる。
「自分が悪いのではなくて、何か他のものが悪かったのではないか?」と。

これがおそらく、ヒキ弱という言葉の始まりである。ヒキのせいにしておけば、自分は傷つかなくていい。今はたまたまヒキが悪いだけなのだ。そのうちヒキがよくなるだろう(酒グビー)。

が、ヒキなどというものを証明することはできない。再現性もない。そして、基本的にスロットは客が負けるようにできている。つまり、その負けは必然であり、その認識は、オカルトに他ならない。

オリジナル攻略法にオカルト乙とのたまえても、自分のヒキだけはオカルトとは思えない。これが人間なのだ。そもそもパチンコ屋に行って勝てるに違いないと考えてしまうことが、オカルトそのものなのに。

かくいうぼくも、オカルト信者である。継続率ジャッジ(や上乗せ特化ゾーンのレバーオン)の際は、右手で行くか、左手でいくか(その部位にまで)悩むし、直近に失敗した部位は使わないし、あられもない負け方をしていたときに身につけていた衣服はしばらく着たくない。

そして、鏡の前では顔をキメるのだ(キリッ)。

――文章はここで終わっている――

どうしてお蔵入りになったのだろう。前段と後段のつながりがいまいちだと思ったのだろうか。あるいは、単純につまらないと思ったからかもしれない。つまらなかったらすいやせん。

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