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W杯が始まる前、ぼくはフランスが優勝するだろうと思っていた。

てなことをわざわざ書くのは、もちろんフランスが優勝したからだ。W杯に出場するチームは32で、どのチームが優勝したとしても、1/32(1ゲーム目に巻物を引く方が断然レア)なわけで、にもかかわらず、ぼくの自我は、ワールドカップトロフィーを掲げたチャンピオンチームの一員を気取っている。何一つとして成し遂げていないくせに。

ぼくがこう思った……だから何だ? 信憑性もなければ、蓋然性も再現性もない。少ない確率で当たるかもしれないが、ほとんどは外れるじゃないか。とどのつまり、予想などというものは、自己愛の塊に過ぎないのだ。だけどそう思ってしまった事実を、ぼくは、すなわち自我は、重く受け止めてしまう。それが自我というものなのだ。自我にとっては、事実よりも自己愛なのだ。

だからこそ、この類の予想的中は記憶に残るんだ。予想外しはすぐ忘れるくせに。

20数年も前の菊花賞。1着ナリタブライアンから、2着ヤシマソブリン、3着エアダブリン、4着ウインドフィールズ、5着スターマンという4点を予想したことを、ぼくは生涯にわたって記憶することだろう。何てミ事な(みっともない、みみっちい、みじめな)トロフィーなんだろう。

今年ぼくは、見事に予想を外した。

2008年夏、37歳までに小説家になっているだろう、というギャンブルにベットしたのは、ぼくだった。
and here I am,
ぼくは38歳になった。果たして、ぼくの予想は外れたのだった。ぼくぼくうるせえ。一人称の使い方も忘れてしまったのか。


人間が依存すべきもの 



3年前、目標さえあれば、人間はどんなところでも生きていける、というような文章を書いた。たぶん、ぼくが書いた。が、目標を失ってしまった今、ぼくは何をどうすればいいのだろう?

小学校で習ったとおり、マイナス同士の足し算は、プラスとは反対方向に数が進む。たとえばー3とー4を足すと-7になる。間違った行動を重ねれば、マイナスは増えていく。そう、ぼくたちは、案外、頭が回る。だから、自分のしてきたことが間違っていたかもしれないという疑念が浮かんでしまうと、身動きが取れなくなる。

これが算数だったら、問題はすぐに解決できる。マイナスからマイナスを引けばいい。-3からー4を引くと+1。プラてん!

は? 自我が叫ぶ。オレの10年は、マイナスだったのか? と。

おいおい。そんな話はしていない。間違った行動をしていたなら、その行動を改めよう。それだけの話だ。誰、なんて関係ないのだ。お前も手前もない。落ち着け。

自我は納得いかないという顔で言う。もし、オレが関係ないのであれば、オレが生きている意味なくねえ? と。

それも違う。この10年で得たものもあった。たとえば、スロット。スロットは、自己愛、目標依存といったワガママボディでは勝てない。逆に言えば、スロットは、オレとかキミとかヒキとか意味みたいなものが必要ないから勝つことができたのだ。

10年の試みは、失敗に終わった。38歳にして、ふりだしに戻った。さて、次はどんなギャンブルをしようか。


――文章はここで終わっている――

目的依存の先に行かなければいけない、ということが言いたかったのだと思う。たぶん。ちょっと落ち込んでたのかな。頑張れ、自分。

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