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更新されなくなって放置されたブログを見ると、哀しい気持ちになる。現実世界の廃墟と違い、デジタル世界のそれは、永遠の無だ。
たぶんぼくは、そこに自らの未来を見てしまうのだの思う。停滞を。その向こう側の死を。もし、このブログが更新されない様を見て、そのような思いをさせてしまったとしたら、すいません。

ぼくは今、堕落の中におります。遅い昼に起き、大気を、あるいは太陽を嘆きつつパチ屋に向かい、適当にスロットを打ち、帰ってきてシャワーを浴び、ビールを飲みながら心を整え、テレビ前に陣取ってFW(フトンとウィスキー)の配置を整え、DF(ドンキホーテの黄色いフクロ)からおつまみを取り出し、MF(マザファッカ)すれすれの際どいワードを吐く吐く。監督、ファン、評論家とめまぐるしくポジションをチェンジさせ、フトンで寝オチ。以下繰りかえし。こんな頭では文章はとても書けない。W杯が続いている間は文章を書くべきではない。そう思っていたのだけど、堕落を書かずに何を書くという気分が醸成され、今。

どうしてW杯は、こんなにもぼくの心を浮き立たせるのだろう? 彼らが停滞と戦っているからではないだろうか。ゴールラインは、ただの白い線ではない。人類の営みの最前線なのだ。彼らは相手チームではなく、ぼくたち共通の敵、時間と戦っている。そして得点は、得点こそは、更新の止まってしまったブログとは対極にある生の爆発なのだ。

と、弛緩しきった頭でここまで書いたところで、日本対ベルギー戦を見た。ご承知の通り、日本代表はベルギーに2ー3で敗北し、トーナメントから脱落した。

柴崎岳のパスが原口元気の足元に収まったとき、ぼくたちの感覚は、生命の誕生の前兆とでも言うべきモードに突入した。その刹那、原口の右足から放たれたボールが、白いラインを超える。さっきのあれは、やはり前兆だったのだ。新たな生命の誕生を祝う声があがる。数分後、今度は香川真司が落としたパスを受けた乾貴士が右足を振りぬいた。何だ? 視界がぼやける。ぼくの目に、テレビの画面と二重写しになっていたのは、生まれて初めて買ってもらったマンガに出てきた二人の少年の姿だった。翼くん。岬くん。ボールは、重力に負けず、大気に負けず、少しの回転も許さずにゴールに吸い込まれていった。

美しい夢のような時間だった。

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