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 桜井さんとおれは、一時期、運命共同体的に、生活を共にしていた。離れるにあたって、桜井さんが出した条件は、心臓の共有というものだった。おれの体内で血液を循環させている心臓は、半分がフェイクなのだ。おれたちは心臓を共有することで、お互いの存在を、常に感じあっている。そのため、別々に行動しても、別々に時間逆行をしても、同一性が保たれる。ただし、おれと桜井さん、ふたりだけでは、お互いの身に何かあったときに、共倒れする危険性がある。そこで、おれと桜井さんの心臓の一部は、別の場所に隠してある。
 それは、現実性と同一性と再現性の担保なのだ。担保でもあり、呼び鈴にもなる。万が一、お互いに連絡が取れない状況になったら、そこに行って、心臓を握る。そうすると、すぐに相手が自分を呼んでいることがわかる。
「だけどな、蓮。わかってると思うけど、めったなことじゃ使うなよ」
「そりゃそうだ」おれは答える。「誰かが握りつぶしたら、おれらは死ぬ」
 心臓でつながっているとはいえ、桜井さんの居場所は見当もつかなかった。といって、カナをあの場所に連れて行くわけにはいかない。山村も心配だ。
「所用を済ますためにパチ屋から出るから、何かあったら連絡してくれ」と山村にラインを送った。
 さて、と。とりあえず、アジールに向かってみるか。しばらく行ってないからどうなってんだろうか。
 おれたちは歌舞伎町を抜け、ヤマダ電機の前の道を渡り、トンネルに入り、都庁方面に進む。アジールが建っていた場所を見て茫然とした。おれの知るアジールは、10階だか11階建ての、高層ビル街にあっては谷間のようなボロボロのビルヂングだったが、アジールの両肩を押さえつけるいじめっこという感じで両隣にあった高層ビルはなくなり、そこの土地を呑み込み、肥え太り、見上げると不安になるくらいの高さにまで拡張され、キングボンビーが来ても壊せないぞという威容を誇っている。高額なデザイン料を払ったのだろう、洒脱な書体で控えめに光る、アジール・ホテル&レジデンスというロゴ。
 自動トビラの向こうには、10階以上の高さまで吹き抜けになっているロビーがあり、スタインウェイの新型グランドピアノが、演奏者なしで高品質な音の粒を空間に放射している。膝や腰に負担のかからないカーペット。気品のある調度品の数々は、かつてあったわけのわからない絵画や像の存在を忘却の彼方に運び去る。自分が強くなったような錯覚とともにフロントに進むと、背をピンと張った女性が、「おかえりなさいませ」と言った。フロントのササイさんだった。
「まだ働いてらしたんですね」
「はい。永里様のお部屋もお取りしております。1101号室にお上がりになりますか?」ササイさんは言う。
「いえ、桜井さんに取り次いでもらえますか」
「かしこまりました。少々お待ちください」

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 以前、ここに連れてきたときは、小さなげっ歯類のようにおどおどしていたが、今のカナは、シャンパンと仲間に囲まれたパリピのように落ちついている。ホテルも、スライムがゴールデンスライムに昇格したかのような変貌を遂げた。おれだけがまったく変わらず、路上から頭上をすねたように見上げている。
 座り心地がいいとか悪いとかいう以前に、自分がソファと同化してしまったと錯覚するようなソファに座って待っていると、ササイさんがやってきた。
「永里様。オーナーは今、アメリカにいるそうです。伝言をそのままお伝えしてもよろしいでしょうか?」
「はい」
「しばらく手が離せないから、用事があるならおまえが来い、とのことでした」
「だって」とカナに話を振った。
 カナは頭上の吹き抜けを見上げ、しょうがないな、と言った。
「ありがとうございます」カナは立ち上がり、ササイさんに頭を下げた。「永里蓮、行こう」
 カナはおれの手を引っ張り、おれを立ち上がらせた。
「行ってらっしゃいませ」ササイさんは言った。
「行ってきます」おれは言った。
 アジールを出た瞬間に、カナは言った。「もう回りくどいのんはええわ。四の五の言わんと、心臓の場所まで案内しなさい」
 おれは息を吐き出して、言った。「おまえ、ナニモンなん?」
「あんたらに了承を得ずに、うちが勝手に心臓を取り出したら、嫌やろ?」
「そこまで知ってるなら、あれがおれらにとって、どれだけやっかいなもんかもわかるやろ」
「大丈夫」
「何で?」
「私も時間逆行者だから」
「……それ、理由になってなくね?」
「ええねんええねん。それでは、デッパツ進行! で、どこなん?」
 始まりの場所、今間、か……。

つづく
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