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「何で京都なん?」素朴な疑問だったが、そんなことを嫁に聞いて、嫁がわかるはずなかった。
 京都駅のホームには、どこから吹き込むのか、強い風が吹いていた。
 嫁は俺のシャツの袖を引っ張りながら、とりあえず駅の外に出ようと言った。ちょごめん、と言って、トイレの個室に入って吐いた。それから、小便をした。鏡に映る自分はひどい顔をしていた。俺は顔をばしゃばしゃと洗い、ああ、しまった、拭くものを持ってないと気づく。
 びしょびしょの顔のまま、嫁のもとに行くと、嫁はハンカチを渡してくれた。
「ジェットタオルなかったん?」嫁は言う。
「ああ。見てへんかった」
 嫁は小さく息を吐いた。
「ちょ飲み物買うわ」そう言って、キオスクでアクエリアスを買った。キャップを取って、飲んだ。
 京都駅は、たくさんの国籍の人たちでごったがえしていた。細やかに手が震えていた。その手を掲げながら言った。
「アル中になってもうたんかな、俺」
 脳味噌のどこか、考えるところに何かが詰まっているようで、ものが考えられなかったのだった。それとも脳をどこかに落としてきてしまったのだろうか。おまけに体中が痒かった。骨が出るまでかきむしるか、酒を飲むか、どっちかをしない限り、取れそうにない痒みだった。

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「excuse me」
 誰かが俺たちに向けて何かを言っていた。アジア系の女性だった。
 どうやら彼女は、清水寺に行きたいらしかった。
 嫁は、バスに乗るか、タクシーを使うか、ということを英語で言った。歩いていけなくもないが、40分はかかる、と。バスを使うならパスを買った方が得だ、とも。そう言った後で、あ、今日はもうクローズしてるわ、と言い直した。もう18時過ぎてるもんね。明日やね。
「どうもありがとう」たどたどしい日本語で言って、女性は頭を下げた。
「どういたしまして」と嫁は言った。
「京都っていつ以来やろ」独り言のように俺は言う。
「お越しやすぅ。ま、来てしまったものは楽しもうや。なあ、りょーたろ、おいでやすとおこしやすって違うんやって知っとった?」
「何が違うん?」
「お出でになる。お越しになる。って違うやろ。単に出てきた人を迎えるのと、わざわざ越してくる人を迎えるのでは」
「俺の苦手な、ニュアンスってやつやな」
「そう」と言って嫁は笑う。「ニュアンス天国へようこそ」
 嫁の笑顔を見ているうちに、お腹が空いたような気がしてきた。
「カナ」俺は言う。「腹減らへん?」
「うん。何でわかるん? エスパーか」
「何かうまいもんでも食おうや」
「よっしゃ」
 嫁は肉肉しいステーキを食べたいと言ったので、よさげな店をスマホで探して、タクシーで向かった。お腹が減ったような気になっていたが、吐いた後だったからか、少し食べただけでお腹が一杯になってしまった。それでも無理やり一人前を詰め込んだ。嫁は肉厚のステーキを美味そうに食べた。バケットのお代わりまでした。俺たちはハウスのワインを1杯だけ飲んだ。ステーキハウスを出た後で、四条通に近いホテルに飛び込みでチェックイン。
 交代で風呂に入って、ホテルの室内着を着て、ベッドに寝転んだ。ツインの部屋しか空いてなかったから、微妙な距離がある。というか、嫁と一緒の空間で寝るのが久し振りすぎて、若干、緊張ぎみだった。
「なあ、俺たちって、どうやって出会ったんやったっけ?」
 緊張ついでに、ずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「マジで言うてんの?」嫁は激熱と書かれたリーチが外れたときのような顔で言う。
「ごめん。酔っ払ってた」
「それはちょっとショックやな」
「ごめん」
「いや、ちょっとじゃなくてだいぶや」
「ごめん」
「だいぶどころの騒ぎじゃないわ」
 この後、俺は13回連続で謝った。そうして、俺は、俺たちの初めて物語を聞くことができたのだった。

つづく
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